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ルールーとリド
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「なんだ、天族が。王家の問題に口を挟むな!」
リドさまの声が聞こえる。いら立っているような、とげとげしい声だ。
「あら、あたしは道化よ。王の治世を皮肉り笑いに変えて、大衆へ伝えるのも道化の務め。
あたしの発言は、どうぞ戯言と聞き流して頂戴。
それとも、王ならばともかく、王子様にその度量を求めるのは酷かしらね?」
「僕は王太子だ!」
ルールーさんの声を聴きながら、わたしはゆっくりと息を吐いた。
それを繰り返すうちに暗くなりかけていた視界が回復し、こちらに向かって歩いてくるルールーさんの姿が見えるようになる。
今のルールーさんは、いつもとは恰好が全然違う。
きらびやかな道化師の衣装ではなく、鮮やかな色の柔らかい布をふんだんに使った天族の伝統衣装を身にまとっている。白塗りの道化の化粧もしていない。
だから彼が『自分は道化だ』と言ったところで、それに説得力があるかどうかはわからない。
それでも、リド殿下は「……発言を許そう」と言った。「ありがたき幸せ」というルールーさんの言葉には、面白がるような響きが含まれている。
それはきっと、リドさまの視線がルールーさん本人ではなく陛下に注がれていたからだろう。
リドさまはわたしと向き合っているときも、陛下のほうをひっきりなしに気にしていた。
リドさまの王太子としての身分は、実は脆い。
今日のパーティーをうまくまとめなければ、王太子としての資質が問われてしまう。
リドさまは次男で、長男のグラッド殿下は諸外国との国交強化のために外遊に出ている。
陛下との関係があまりよくないので兄王子は王太子に選ばれなかったが、それでも、いつでも挿げ替えることができる『代わり』がいるというのは、リドさまにとって大きなプレッシャーだ。
リドさまがいつだって陛下の顔色ばかり気にしてきたことを、側で見ていたわたしは知っている。
彼の尊大な態度は、いつ陛下に見捨てられるかわからない不安の裏返しなのだ。
「ではまず一つ。ルミシカは幼いころよりリド殿下の婚約者に内定していたと聞いたわ。ならばなぜ、婚約披露宴が今日でなければならなかったの? もっと早くてもよかったのではない?」
「それは……ルミシカの希望だ」
嘘だ。
婚約披露宴はもっと何年も前に行うはずだった。
それが今日まで延びたのは、わたしが積極的でなかっただけでなく、リドさまが嫌がって逃げまわっていたから。
「これはこれは。婚約者に嘘をかぶせてまで自分の責を遠ざけるとは。いやはやお見事、道化顔負けの戯言使いね、王子様」
「なぜ嘘だという!」
「王子様が言うようにルミシカが家族を虐待していたというのなら、そんな家からは早く出たかったはずでしょう?
婚約さえとっとと締結すれば、家を出て城に滞在する大義名分にもなるんだから、披露宴を先延ばしする理由にならない」
「ルミシカは……虐待する対象が欲しかったんだ。誰かに暴力を振るうことで、自分の優位さとか強さを確認したいタイプの、最低な人間なんだ」
「だとすれば、王太子との結婚なんてもってのほかよね。結婚し将来王妃になれば今よりもっと衆目の目に晒されることになる。誰かを加害すればそんな醜聞すぐに広まり、王妃の座を追放されるに決まってる」
「王太子妃になれば、権力でもみ消すことだって……」
「あらあら、権力を使えば醜聞をもみ消せるの? つまりあなたの王家は、その権力で醜聞をもみ消してきたってこと?」
リドさまは口を開けては閉じるを繰り返す。
リドさまが黙っていると、ルールーさんはさらに声を張り上げた。
「では二つ。ルミシカは二日前、早朝から天族と共にいることが目撃されているじゃない。
なのになぜ、ムールカ嬢を害したなんて言えるの? れっきとしたアリバイがあるっていうのに」
よく通る澄んだ声を聴いて、ルールーさんは、わたしを庇おうとしているのだ、と確信した。
天族は下賤の者と扱われ、貴族の間では身分を認められないのに。
今、リドさまの機嫌を損ねたら、雑技団全体に責を負わされ、今後城に入れなくなるかもしれないのに。
あの人は、王城に入ることを許された雑技団という身分を犠牲にしてまで、
わたしの無罪を立証しようとしてくれている。
そして、雑技団の他の面々も彼を止めないということは、
みんなルールーさんの意志に沿うことを了承しているということではないだろうか。
だとしたら、わたしはこんなにふらふらしている場合じゃない。
彼は、あんなに堂々と立っている。
あの人に恥じない、自分でありたい。
めまいは収まっている。足の震えもなくなった。
息はもう、苦しくない。
腹筋に力を込めて、骨盤を意識してまっすぐに背骨を立てた。
わたしが姿勢を正したことに、ムールカは気づかない。
彼女の視線もまた、ルールーさんに釘付けになっているのだ。
「下賤な天族や使用人の証言なんてあてにならない。ルミシカが金で抱き込んで証言させたに決まっている」
「王子様は身分で発言の軽重を計るのね。あなたのために汗水たらして働く者の誇りを汚し、踏みにじった発言を何の問題にも思わない。それが本意で間違いないわね?」
「言い方が気に喰わないな。曲芸なんて腹の足しにもならない商売をしているお前に軽んじられる筋合いはない! 僕を誰だと思っているんだ? 王太子だ。今すぐ不敬罪で捕えても構わないんだぞ!」
「道化の戯言をまともに受け止めて捕らえるならば、戯言と真実が裏返る。それを承知で言ってるかしら。あたしの言葉をあなたが笑い飛ばしてこそ、大衆は戯言として受け止めるものなのよ?」
王太子の怒りをさらりと受け流すルールーさんの姿は堂々としている。
その勢いに呑まれて、リドさまはうまく反論できないように見えた。
『いつも堂々としていなさい。それだけでも、説得力が違ってくる。自信がなさそうにすればそれだけ、見下してくる人間を増長させるだけなんだから』
化粧や立ち振る舞いを教わるとき、繰り返し聞いた言葉。
あの言葉には、こんな意味があったのか、と思わせる態度だった。
リドさまがまた黙ってしまったのを見計らって、ルールーさんはもう一度声を上げた。
「三つ目。王子様、ルミシカを縛る、盟約とはなに? なぜシェンブルクの娘は、王家に嫁入りせねばならないか、あなたは知っているの?」
「盟約なんて、聖女の血を引く乙女を王家に迎え入れるという、形骸化しているただのしきたりだ! 言っておくが、迷惑しているのはこっちだぞ。古の聖女がどれほどのものか知らないが、その血を継いでいるというだけで、こんなうじうじした女と結婚させられるだなんて冗談じゃない!」
今度は、黙るのはルールーさんの方だった。
ひどく不快そうな顔だ。しばらくぶりに取り出す化粧品の瓶を開けたらカビが生えていたときに、同じような表情をしていたことを覚えている。
そんな様子に気づかないリドさまは、ルールーさんが黙ったことに気をよくして大きな声を出した。
「満足したか、道化!」
しかしルールーさんはリドさまに返事をしない。もうすでに、彼はリドさまを見てはいなかった。
ただ、いつの間にか二階に上がってわたしたちを見下ろしていた陛下に向き合い、もう一度声を出す。
「王よ。そなたに免じてそなたの許しを乞おう」
リドさまの声が聞こえる。いら立っているような、とげとげしい声だ。
「あら、あたしは道化よ。王の治世を皮肉り笑いに変えて、大衆へ伝えるのも道化の務め。
あたしの発言は、どうぞ戯言と聞き流して頂戴。
それとも、王ならばともかく、王子様にその度量を求めるのは酷かしらね?」
「僕は王太子だ!」
ルールーさんの声を聴きながら、わたしはゆっくりと息を吐いた。
それを繰り返すうちに暗くなりかけていた視界が回復し、こちらに向かって歩いてくるルールーさんの姿が見えるようになる。
今のルールーさんは、いつもとは恰好が全然違う。
きらびやかな道化師の衣装ではなく、鮮やかな色の柔らかい布をふんだんに使った天族の伝統衣装を身にまとっている。白塗りの道化の化粧もしていない。
だから彼が『自分は道化だ』と言ったところで、それに説得力があるかどうかはわからない。
それでも、リド殿下は「……発言を許そう」と言った。「ありがたき幸せ」というルールーさんの言葉には、面白がるような響きが含まれている。
それはきっと、リドさまの視線がルールーさん本人ではなく陛下に注がれていたからだろう。
リドさまはわたしと向き合っているときも、陛下のほうをひっきりなしに気にしていた。
リドさまの王太子としての身分は、実は脆い。
今日のパーティーをうまくまとめなければ、王太子としての資質が問われてしまう。
リドさまは次男で、長男のグラッド殿下は諸外国との国交強化のために外遊に出ている。
陛下との関係があまりよくないので兄王子は王太子に選ばれなかったが、それでも、いつでも挿げ替えることができる『代わり』がいるというのは、リドさまにとって大きなプレッシャーだ。
リドさまがいつだって陛下の顔色ばかり気にしてきたことを、側で見ていたわたしは知っている。
彼の尊大な態度は、いつ陛下に見捨てられるかわからない不安の裏返しなのだ。
「ではまず一つ。ルミシカは幼いころよりリド殿下の婚約者に内定していたと聞いたわ。ならばなぜ、婚約披露宴が今日でなければならなかったの? もっと早くてもよかったのではない?」
「それは……ルミシカの希望だ」
嘘だ。
婚約披露宴はもっと何年も前に行うはずだった。
それが今日まで延びたのは、わたしが積極的でなかっただけでなく、リドさまが嫌がって逃げまわっていたから。
「これはこれは。婚約者に嘘をかぶせてまで自分の責を遠ざけるとは。いやはやお見事、道化顔負けの戯言使いね、王子様」
「なぜ嘘だという!」
「王子様が言うようにルミシカが家族を虐待していたというのなら、そんな家からは早く出たかったはずでしょう?
婚約さえとっとと締結すれば、家を出て城に滞在する大義名分にもなるんだから、披露宴を先延ばしする理由にならない」
「ルミシカは……虐待する対象が欲しかったんだ。誰かに暴力を振るうことで、自分の優位さとか強さを確認したいタイプの、最低な人間なんだ」
「だとすれば、王太子との結婚なんてもってのほかよね。結婚し将来王妃になれば今よりもっと衆目の目に晒されることになる。誰かを加害すればそんな醜聞すぐに広まり、王妃の座を追放されるに決まってる」
「王太子妃になれば、権力でもみ消すことだって……」
「あらあら、権力を使えば醜聞をもみ消せるの? つまりあなたの王家は、その権力で醜聞をもみ消してきたってこと?」
リドさまは口を開けては閉じるを繰り返す。
リドさまが黙っていると、ルールーさんはさらに声を張り上げた。
「では二つ。ルミシカは二日前、早朝から天族と共にいることが目撃されているじゃない。
なのになぜ、ムールカ嬢を害したなんて言えるの? れっきとしたアリバイがあるっていうのに」
よく通る澄んだ声を聴いて、ルールーさんは、わたしを庇おうとしているのだ、と確信した。
天族は下賤の者と扱われ、貴族の間では身分を認められないのに。
今、リドさまの機嫌を損ねたら、雑技団全体に責を負わされ、今後城に入れなくなるかもしれないのに。
あの人は、王城に入ることを許された雑技団という身分を犠牲にしてまで、
わたしの無罪を立証しようとしてくれている。
そして、雑技団の他の面々も彼を止めないということは、
みんなルールーさんの意志に沿うことを了承しているということではないだろうか。
だとしたら、わたしはこんなにふらふらしている場合じゃない。
彼は、あんなに堂々と立っている。
あの人に恥じない、自分でありたい。
めまいは収まっている。足の震えもなくなった。
息はもう、苦しくない。
腹筋に力を込めて、骨盤を意識してまっすぐに背骨を立てた。
わたしが姿勢を正したことに、ムールカは気づかない。
彼女の視線もまた、ルールーさんに釘付けになっているのだ。
「下賤な天族や使用人の証言なんてあてにならない。ルミシカが金で抱き込んで証言させたに決まっている」
「王子様は身分で発言の軽重を計るのね。あなたのために汗水たらして働く者の誇りを汚し、踏みにじった発言を何の問題にも思わない。それが本意で間違いないわね?」
「言い方が気に喰わないな。曲芸なんて腹の足しにもならない商売をしているお前に軽んじられる筋合いはない! 僕を誰だと思っているんだ? 王太子だ。今すぐ不敬罪で捕えても構わないんだぞ!」
「道化の戯言をまともに受け止めて捕らえるならば、戯言と真実が裏返る。それを承知で言ってるかしら。あたしの言葉をあなたが笑い飛ばしてこそ、大衆は戯言として受け止めるものなのよ?」
王太子の怒りをさらりと受け流すルールーさんの姿は堂々としている。
その勢いに呑まれて、リドさまはうまく反論できないように見えた。
『いつも堂々としていなさい。それだけでも、説得力が違ってくる。自信がなさそうにすればそれだけ、見下してくる人間を増長させるだけなんだから』
化粧や立ち振る舞いを教わるとき、繰り返し聞いた言葉。
あの言葉には、こんな意味があったのか、と思わせる態度だった。
リドさまがまた黙ってしまったのを見計らって、ルールーさんはもう一度声を上げた。
「三つ目。王子様、ルミシカを縛る、盟約とはなに? なぜシェンブルクの娘は、王家に嫁入りせねばならないか、あなたは知っているの?」
「盟約なんて、聖女の血を引く乙女を王家に迎え入れるという、形骸化しているただのしきたりだ! 言っておくが、迷惑しているのはこっちだぞ。古の聖女がどれほどのものか知らないが、その血を継いでいるというだけで、こんなうじうじした女と結婚させられるだなんて冗談じゃない!」
今度は、黙るのはルールーさんの方だった。
ひどく不快そうな顔だ。しばらくぶりに取り出す化粧品の瓶を開けたらカビが生えていたときに、同じような表情をしていたことを覚えている。
そんな様子に気づかないリドさまは、ルールーさんが黙ったことに気をよくして大きな声を出した。
「満足したか、道化!」
しかしルールーさんはリドさまに返事をしない。もうすでに、彼はリドさまを見てはいなかった。
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