ずっと妹と比べられてきた壁顔令嬢ですが、幸せになってもいいですか?

ひるね

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 そして陛下も、リドさまも、ムールカもいなくなった大広間は一瞬静かになったかと思うと、
 その場にいる全員が一斉にしゃべりだして収集がつかなくなった。

 たくさんの人が大きな声で、今見たこと、聞いたことを語り合っている。
 わたしはその様子を見ながら、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 リドさまが廃嫡されれば、わたしとの婚約も白紙になるだろう。
 ムールカの行いによってシェンブルクに処分が下るのは避けられないだろう。

 ――これから、どうなってしまうんだろう。

 そんなことを考える。
 だけど、それより先に思考が進まない。

 大広間で騒いでいた何人かが、まだこの場にいるわたしを見つけた。

 当事者の話を聞こうと思ったのだろう。
 興奮した様子で意気揚々とこちらに向かって歩いてくるその姿をぼんやり見ていると、
 わたしの体がふわりと浮き上がった。

 ルールーさんが後ろからわたしを抱き上げてしまったのだ。

「きゃあ!」

「はい、お疲れ様。よく泣かなかったわね、お化粧もそんなに崩れてないわ」

 片手だけでわたしの腰を持ち上げたので、わたしの視点はルールーさんより頭一つ分ほど上になる。
 まるで子どもの抱っこみたいな姿勢が恥ずかしくて、

「お、降ろしてください……」

 と言ったのだが、彼は首を横に振った。

「ダメよ。今降ろせばもみくちゃにされるわ」

 ルールーさんの言う通り、それからすぐにわたしたちの周りには人が溢れんばかりに押し寄せた。
 そして我先に、と言わんばかりに質問を浴びせかけてきた。

 だからわたしは、その体勢のまま周囲の人々に応じることになる。

 リド殿下はどうして婚約者を貶めるような真似をしたのか。
 ムールカ嬢がシェンブルクの娘ではないというのは本当なのか。
 天族とは一体何なのか。
 陛下はどういうつもりでリド殿下を廃嫡するとおっしゃったのか。
 これから一体どうなるのか。

 矢継ぎ早の質問は、わたしでは到底答えられなそうなものばかりだった。

 わたし自身、さっきまで目の前で起きていたことの整理がつかないのだ。

 中でも一番の疑問が、わたしを抱き上げるこの人の正体だった。

「ルールー殿、あなたは一体何者なんです? 陛下はまるで、あなたを賓客のように扱った。
 それではまるで、王と道化の立場が入れ替わったようにあべこべではありませんか」

 わたしの疑問を代弁するかのように、ルールーさんに質問する人がいた。

「そうかしら? 道化とか王とか、そんなのはただの肩書きよ。
 人と人の間に貴賤があるわけじゃない。他者に接するときに、身分の上下で態度を変える方が問題だわ」

 それは、確かにその通りなのかもしれないけれど。
 そういう関係が理想的なのかもしれないけれど。

 だからといってその通りに振舞うことは難しい。
 国王陛下や王太子殿下のような、機嫌を損ねるだけで自分の身を左右できるような人を相手にしているときは、特に。

 質問をした人もそう思ったのだろう。
 黙ったまま、ただルールーさんを見上げている。

 自分の答えに周囲が納得していないことを察したルールーさんは、気だるげに一言だけ付け加えた。

「あたしの王はあの人じゃない。それだけのことよ」

「陛下に敬意を払わなくても、天領の自治は保たれると?」

「天領はあの人の土地じゃない。あたしたちの土地よ。
 天族が今まで王に従うカタチをとってきたのはあくまで、王に嫁いだ天族の聖女に敬意を払っていたからだった。だから王家が聖女の血を引くシェンブルクの娘を卑下するなら、天族は盟約を放棄してでも彼女を守るわ」

 抱き上げられたままの姿勢でわたしの腰にルールーさんの手が回る。ルールーさんの顔の正面にわたしの顔がきて、至近距離で見つめられた。

 はちみつ色の瞳は、天族の証。
 わたしの目が不思議な色をしているのが、天族の聖女の血を受け継いでいるからなのだとしたら、わたしたちは遠い遠い親戚であるのかもしれない。

 聖女が結んだ縁。
 古と呼ばれるほど昔の約束を果たすために、彼らはわたしを守りに来てくれたのだ。

「ルミシカ様、本当に天領に行かれるのですか? シェンブルク家はどうなるのです?」

 話の筋はそのまま、わたしに向けられた。

 ルールーさんはわたしを天領に迎え入れると言ったが、陛下はわたしに選択させろと言いつけた。

 だから、わたしは選ぶことができる。このまま、この国と家に留まるか。
 それとも、天領に行ってそこで暮らしていくか。

「わたしは……」

 シャラがこちらを見ているのを感じる。
 彼女から聞いた、天族の世界をこの目で見てみたいという気持ちはある。

 けれど、本当にそれでいいのだろうか。

 ルールーさんがわたしを見つけてくれるまで、壁顔令嬢のわたしが見苦しいのは事実だった。
 家族に迷惑をかけた回数だって数えきれないくらいあるだろう。
 ムールカの批判は、すべてが的外れだったわけではないのだ。

 そんなわたしが、家族を見捨てて自由を選んで、本当にいいのだろうか。

 跡継ぎのあてを失う父はどうなるだろう。
 不義が告発された母は、妹は今後どうやって暮らしていくのだろう。

 それにシェンブルクの娘がこの国にいるならば、
 天族はこの国を見捨てずに、今まで通りの実りをもたらしてくれるかもしれない。
 そうなれば陛下の懸念も和らぐだろう。

 だから、わたしがこの国に留まることはそれなりに意味があるはずだ。

 わたしが自由を選択することで、不幸になる人がいるかもしれない。

 だとすれば、わたしには、

 自由を選ぶことなんて、許されないのではないか。

「……誰かの事情なんて気にしないで、自分のために選びなさい。『誰かが何か言うかもしれない』なんて、そんなノイズ気にしないの。
 あなたの人生は、あなたにしか歩めないのだから、幸せになろうとする努力を自分から放棄しないで」

 ネガティブな思考にはまり込みそうになったわたしの耳に、ルールーさんの凛とした声が響いた。

 幸せになっても、いいのだろうか。

 家族とうまくいかず、婚約者にも嫌われて、誰かと心を通わすなんて到底かなわない夢だと諦めて、化粧を厚く塗りたくり、その影に潜むようにして生きてきた。

 だけど。

 こんなわたしにも、選びたいものができたのだ。

 わたしを奇異に見つめないまなざし。
 迎え入れてくれる優しい手。
 言葉を聞いて、反応を返してくれる居場所。

 今を逃したらもう二度と触れることさえ叶わないかもしれない、
 輝きに満ちたあの人たちと共に生きる道を。

 そして何より、
 わたしを見つけて、変えてくれた。
 必要なものを教え、日の当たるほうへ導いてくれた。

 周囲の人と関係を結び、慈しみ合うとはどのようなことか、思い出させてくれた人。

 この人の隣を選びたい。

「天領に、行きます。つれて行ってください!」

 予想外に大きな声で宣言してしまってわたしは両手で口元を抑えたが、
 わたしの返事を聞いた途端、周囲が沸いた。

 天族の人々がもう一度音楽を鳴らす。
 拍手に包まれて、ルールーさんがわたしを抱きしめる。

 それを見て、また周囲が歓声に包まれた。
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