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二 皇女アガーテについて
園遊会への招き
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まばゆいほどの午後の陽射しが馬車を照らし出していた。黒地に金の塗装で帝国の双頭竜紋章が見事に描かれた外装は、陽光をなめらかに跳ね返して輝いている。
車内は落ち着いた空間だ。弾力のある大きなクッションまでもが用意され、くつろげるほどに広々としていた。深紅のビロードが張られた座席は、雲のように柔らかい。流石に雲上人の乗る馬車は違う、とアウローラは内心で感嘆していた。
窓の外を流れていく道中の景色は帝都コルンの賑わいそのものとなって目覚ましいものだった。
まず、色彩からして違う。極彩色なのだ。
市場の色とりどりの旗が、吹き抜ける風に競うようにたなびいて、蒼天に画材をばら撒いてしまったように鮮やかだ。
混沌と喧噪をさらにごちゃまぜにしたような市場を、やはり極彩色の衣装をまとった商人やら客やらが闘魚の群れめいて泳ぐように闊歩している。
刺激的な匂いを振りまいてやまない香辛料が、麻袋に詰められて山ほど積載され、誰かの夕餉の隠し味になるのを今か今かと待っている。
宿屋の前では人間たちの騒がしさなど蚊帳の外と言わんばかりに悠々と休む荷馬たちが、息遣いまで聞こえてくるような、のんびりした寝顔を晒している。
銀細工師が振るう槌の、カーン、カーン、という澄んだ金属の打音が、辺りを犬とともに駆け回る子供たちの歓声と会話するように奏でられている……。
このまばゆい世界は、レンゼル王国が帝国に併合されるまで、アウローラにとっては遠い異国の話でしかなかった。今このときは、帝国の街並みを自分の目で見ることができている。人質という立場であれど、監視の下であれば立ち入りはできるのだ。
アウローラは生粋の王女でありながら、弓を握り、獣を追い、自ら獲物を捌いて料理する人間だ。だから、宮廷のような退屈で秩序然とした堅苦しさより、この市場のような猥雑さの方をむしろ好んだ。
隣席に座っていたエリカが、窓の外を眺めて、すっと目を細めている。キルシュヴァルト大公家の侍女である彼女は、清廉としてどこか謎めいた美女だ。
「奥様、緊張なさっていますか」
「ええ、まあ」
アウローラは、ほんのりと憂鬱な視線を窓外に投げかけ直した。
──向かっているのは、離宮で催される園遊会だ。
アガーテ皇女主催の貴族間における公式な交友会である。フィリベルト帝から招待状が届いたのは、枝角亭での晩餐の翌日のことだった。
──三人の候補者の継承順を正しく当てれば、レンゼル王国を領土返還する。
フィリベルト帝の提示したゲームの内容は、アウローラの頭をひどく悩ませているのだった。回答期限は一ヶ月。その継承順となる根拠も示さねばならないという厳しい条件。「デュランツェ皇家の闇を教えてやろう」という意味深な笑み……。
まずは皇家の人間に会ってみなさい、と皇帝は言った。この園遊会は、その最初のよすがとなるだろう。
アガーテ皇女はフィリベルト帝の一人娘であり、三人いる皇太子候補者のうちの一人。むろん、部外者であったアウローラは、彼女の情報などそれ以外を知るわけもなく。
だからこそ、アウローラは著しい緊張を覚えていたのだった。窓の外でも眺めていないと、気が紛れないのだ。
「奥様、お召し物がよくお似合いですわ」
今日の外出のためにアウローラの衣装を新調するのに、エリカは一役買ってくれたのである。生地はこれがいいだとか、デザインはこうでなくては、とか。色々な意見をくれた。
服など、着心地がよければそれでよし、と無頓着極まりなかったアウローラにとっては、まったくの新鮮な出来事だった。
アウローラのミルクティー色の髪によく映えるからと選ばれたのは、群青のシルクに贅沢かつ煌びやかな金糸刺繍が星のように散らされたドレス。袖口には南方の港湾都市産である細やかな真珠の装飾が縫い留められ、今までレンゼル王宮で動きやすさ重視で身に着けていた質素なものとは、いやはや、格が違う。
「エリカ、ドレス選びの節は、本当にありがとう」
エリカはふわりと微笑む。
「さ、ヴァルフリード殿下の正妃になりましょうね、奥様」
「ありえません」
席の正面には、ヴァルフリードが腕を組みながら目を閉じて瞑想しているようだった。何を考えているのか、それとも考えていないのか。皇太子にされようとしている人間が、アウローラの遊戯一つで皇太子から降ろされかねないというのに呑気そうな表情なものだから、アウローラの中にどこか可笑しさが込み上げてきた。
「ヴァルフリード殿下」
彼はぱしぱしと長い睫毛をまばたかせて、おもむろに目を開けた。
「いい加減にヴァルと愛称で呼んでほしいものだが」
「それは初耳ですわ」
「あの夜は何度も何度も呼んでくれたじゃないか」
「今、隣にエリカがいますのよっ」
「まあまあ、奥様」
ころころとエリカが笑った。ヴァルフリードも同じく一笑してから、アウローラの顔を覗き込んでくる。蒼い目が、こちらをじっと見た。
「妻よ、顔色が悪い」
「そんなことはございません」
「なら、いいのだが。健康優良児のきみとあっては、帝国貴族の蒼白い顔がますます蒼くなる」
「それ、褒めてます?」
「ああ、褒めているとも」
どこかで聞いたやり取りを繰り広げているうちに、馬車がゆっくりと停止した。
「さ、今日の舞台だな」
──離宮。
車内は落ち着いた空間だ。弾力のある大きなクッションまでもが用意され、くつろげるほどに広々としていた。深紅のビロードが張られた座席は、雲のように柔らかい。流石に雲上人の乗る馬車は違う、とアウローラは内心で感嘆していた。
窓の外を流れていく道中の景色は帝都コルンの賑わいそのものとなって目覚ましいものだった。
まず、色彩からして違う。極彩色なのだ。
市場の色とりどりの旗が、吹き抜ける風に競うようにたなびいて、蒼天に画材をばら撒いてしまったように鮮やかだ。
混沌と喧噪をさらにごちゃまぜにしたような市場を、やはり極彩色の衣装をまとった商人やら客やらが闘魚の群れめいて泳ぐように闊歩している。
刺激的な匂いを振りまいてやまない香辛料が、麻袋に詰められて山ほど積載され、誰かの夕餉の隠し味になるのを今か今かと待っている。
宿屋の前では人間たちの騒がしさなど蚊帳の外と言わんばかりに悠々と休む荷馬たちが、息遣いまで聞こえてくるような、のんびりした寝顔を晒している。
銀細工師が振るう槌の、カーン、カーン、という澄んだ金属の打音が、辺りを犬とともに駆け回る子供たちの歓声と会話するように奏でられている……。
このまばゆい世界は、レンゼル王国が帝国に併合されるまで、アウローラにとっては遠い異国の話でしかなかった。今このときは、帝国の街並みを自分の目で見ることができている。人質という立場であれど、監視の下であれば立ち入りはできるのだ。
アウローラは生粋の王女でありながら、弓を握り、獣を追い、自ら獲物を捌いて料理する人間だ。だから、宮廷のような退屈で秩序然とした堅苦しさより、この市場のような猥雑さの方をむしろ好んだ。
隣席に座っていたエリカが、窓の外を眺めて、すっと目を細めている。キルシュヴァルト大公家の侍女である彼女は、清廉としてどこか謎めいた美女だ。
「奥様、緊張なさっていますか」
「ええ、まあ」
アウローラは、ほんのりと憂鬱な視線を窓外に投げかけ直した。
──向かっているのは、離宮で催される園遊会だ。
アガーテ皇女主催の貴族間における公式な交友会である。フィリベルト帝から招待状が届いたのは、枝角亭での晩餐の翌日のことだった。
──三人の候補者の継承順を正しく当てれば、レンゼル王国を領土返還する。
フィリベルト帝の提示したゲームの内容は、アウローラの頭をひどく悩ませているのだった。回答期限は一ヶ月。その継承順となる根拠も示さねばならないという厳しい条件。「デュランツェ皇家の闇を教えてやろう」という意味深な笑み……。
まずは皇家の人間に会ってみなさい、と皇帝は言った。この園遊会は、その最初のよすがとなるだろう。
アガーテ皇女はフィリベルト帝の一人娘であり、三人いる皇太子候補者のうちの一人。むろん、部外者であったアウローラは、彼女の情報などそれ以外を知るわけもなく。
だからこそ、アウローラは著しい緊張を覚えていたのだった。窓の外でも眺めていないと、気が紛れないのだ。
「奥様、お召し物がよくお似合いですわ」
今日の外出のためにアウローラの衣装を新調するのに、エリカは一役買ってくれたのである。生地はこれがいいだとか、デザインはこうでなくては、とか。色々な意見をくれた。
服など、着心地がよければそれでよし、と無頓着極まりなかったアウローラにとっては、まったくの新鮮な出来事だった。
アウローラのミルクティー色の髪によく映えるからと選ばれたのは、群青のシルクに贅沢かつ煌びやかな金糸刺繍が星のように散らされたドレス。袖口には南方の港湾都市産である細やかな真珠の装飾が縫い留められ、今までレンゼル王宮で動きやすさ重視で身に着けていた質素なものとは、いやはや、格が違う。
「エリカ、ドレス選びの節は、本当にありがとう」
エリカはふわりと微笑む。
「さ、ヴァルフリード殿下の正妃になりましょうね、奥様」
「ありえません」
席の正面には、ヴァルフリードが腕を組みながら目を閉じて瞑想しているようだった。何を考えているのか、それとも考えていないのか。皇太子にされようとしている人間が、アウローラの遊戯一つで皇太子から降ろされかねないというのに呑気そうな表情なものだから、アウローラの中にどこか可笑しさが込み上げてきた。
「ヴァルフリード殿下」
彼はぱしぱしと長い睫毛をまばたかせて、おもむろに目を開けた。
「いい加減にヴァルと愛称で呼んでほしいものだが」
「それは初耳ですわ」
「あの夜は何度も何度も呼んでくれたじゃないか」
「今、隣にエリカがいますのよっ」
「まあまあ、奥様」
ころころとエリカが笑った。ヴァルフリードも同じく一笑してから、アウローラの顔を覗き込んでくる。蒼い目が、こちらをじっと見た。
「妻よ、顔色が悪い」
「そんなことはございません」
「なら、いいのだが。健康優良児のきみとあっては、帝国貴族の蒼白い顔がますます蒼くなる」
「それ、褒めてます?」
「ああ、褒めているとも」
どこかで聞いたやり取りを繰り広げているうちに、馬車がゆっくりと停止した。
「さ、今日の舞台だな」
──離宮。
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