ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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終 祝われた子

これは一体どういうことか

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「これは一体どういうことですか、ランブラン伯爵」

「どうもこうも、国を憂いた末の反乱でございますよ」

「反乱?」

「帝国領レンゼルという不名誉、我ら国民が納得いくわけなどないでしょう。王女殿下が人質となって保つ均衡など、霞か幻のようなもの」

 取り囲む兵士たちから、「そうだそうだ!」と同意の声があがる。

「ですから、私が『帝国領レンゼル』を『レンゼル王国』に戻したのですが」

「はい? 一体どういうことですか、アウローラ殿下」

 アウローラの最初の台詞を、ほぼそのままそっくり返して言ってのけたランブラン伯爵。

「ところで、殿下の隣にいらっしゃる背の高い御仁は?」

 ランブラン伯爵の視線の先にいる、赤髪の美丈夫。

「帝国皇子ヴァルフリード殿下ですが」

「アウローラ、これは一体どういうことかな」

 ヴァルフリードが腰に手を当てて、疑問を示すように身体を軽く傾けた。

「また同じことを言って……」

 と、アウローラが突っ込む間もなく、ランブラン伯爵の顔から血の気が失われていく。

「まさかあの、冷酷非道と噂されている『血だらけ殿下』か……!?」

「失礼な。『慈愛と正義に満ち溢れた』、と訂正してもらおうか」

 ヴァルフリードが、むっとした表情になる。

「……まあいい。つまり、こういうことか。帝国が苦心して守り抜いたイチジクを、他国に売ろうとしている」

 呑気なのか、それとも、危険を感じる脳の機能が壊れているのか、ヴァルフリードは感心したように腕を組むと、しきりにうなずいている。

「帝国はレンゼルを守るのに苦心してなどいないでしょう!?」

 アウローラは今度こそ、盛大に突っ込んだ。

「と、とりあえず、アウローラ殿下と血だらけを捕縛しろっ!」

 こうして、アウローラとヴァルフリードは、正式に王国として返還されたレンゼルに帰国した途端、縄で縛られた。

「せっかくアウローラが推理を頑張ったのにな」

「元はと言えば、誰が占領したせいですか」

──どうやら、事態はアウローラが想像していたよりも悪いらしい。

 まず、「帝国領レンゼル」という属領化を憂いていたランブラン伯ら一味が、国境を隣にする大国の「ガルティヤ王国」からの提案──レンゼル領を帝国の傘下から救い出してやる代わりに、レンゼルが保有する鉱山資源を優先的に融通しろ──という内容に、うなずいてしまったのだという。

 そして、「憂国会」と名乗ることにしたランブラン伯らは、ガルティヤ王国の派遣した軍をレンゼル城まで引き入れてしまった、というわけである。

「これは立派な売国行為です! ガルティヤ王国の提案など、すぐにされるわ!」

 その日から、アウローラは私室に幽閉されてしまった。ヴァルフリードとは引き離された。彼は帝国人の敵性人物として、殺されてしまうかもしれない。

(……どうする)

 アウローラは脱出の機会を窺っていたのだが、監視の目は室内までは入ってこないことが分かっていた。当然ながら、扉の外には見張りのガルティヤ兵がいる。

(扉からの逃走は、ほぼ無理ね)

 ここは二階。あとは窓しかない。窓のすぐそばには、本当にちょうどいいことに、アウローラが幼い頃に部屋からこっそり抜け出す際、利用していた、アンズの古木の枝が伸びている。

(まあ、外よね)

 アウローラは、すぐさまドレスを脱ぎ捨て、乗馬用のスラックスに着替えた。

 窓枠に足をかけ、アンズの枝にそろそろと手を伸ばす。幼い頃から何度も繰り返した動作は、身に沁みついている。枝をしっかりと掴み、体重を移す。ぎ、と木が軋み、枝がたわんだ。

(帝国の怠惰な生活で、太った?)

 いや、成長したのだろう。子供の頃とは体格がまるで違う。慎重に枝を伝い、幹を抱え込むようにして、ようやく姿勢が安定した。樹皮のざらりとした手触りを感じながら、枝から猫のようにしなやかな着地を決めた。

「よし──」

 月光を背後にしながら立ち上がったとき、遠くから声がかかった。松明の点々とした明かりが、揺れている。アウローラは反射的に、明かりとは反対方向へと走り出した。

「そこの女、止まれ!」

 声が追いすがってくる。庭園の茂みを抜けて、真っ直ぐにうまやへ向かう。馬さえ手に入れば、城の裏門は突破できるかもしれない。

 ひときわ豪華なよろいに身を包んだガルティヤ兵の隊長らしき男が、剣を抜き放った。

「美しい姫君だ、殺すのは惜しい。変態の好事家に売るか、それとも、剣で脅しながら、悲鳴を肴に酒を飲んで楽しませてもらうか……」

 下品な嘲弄とともに舌なめずりの音すら聞こえた気がした。げらげらと笑う周りの兵士。

 アウローラはぐっと唇を噛んだ。武器が一つもない。弓も剣も没収されている。徒手での戦闘は不慣れだし、体格で優れる男に勝ち切れるとは思えない。……最悪の覚悟を決めかけたとき。

──ざしゅ。

 ザクロの実を断ち割ったときのような、破砕音が一つ。隊長の胸から、何かが突き出ている。月明かりを受けて鈍く銀色に光るそれから、黒いものが滴る。アウローラは、それが槍の穂先だと気づいた。その影は、鋭く抜剣した。

「なっ──」

 他に五人はいるガルティヤ兵たちからは狼狽の声があがった。彼らの上官に投槍を命中させた敵手に向かって一斉に剣を振りかざすものの、「彼」の剣技の前では、泥人形の児戯に等しい。黒々と地面に描かれる鮮血の弧を増やしただけに過ぎなかった。「片付け」が終わると、彼はようやく口を開いた。

「やあ、アウローラ」

 紅い……紅い髪。それに、上気した声だ。殺人の興奮に濡れた声。やはり、異名は正しかった。彼は頬を返り血に染めて、悪鬼のように嗤っている。供物が足りない、とでものたまうように。

 彼は、ヴァルフリードは、骸から長槍を引き抜いた。ブンッ、と血払いに薙ぐ音が夜風の一部のように響く。そのまま槍を肩に担ぐと、彼はにっこり笑う。今度は、邪気のない笑顔。

「木登りはやめなさいと、あれほど言っただろうに」

 ひどく優しい声だった。

「……え」

「髪に葉っぱがついている」

 ヴァルフリードの長い指が、アウローラの紅茶にミルクを溶かし込んだ色の髪から、小さな葉をつまみ取った。

「えへへ」

 アウローラは、へたりとその場に座り込んでしまった。なぜか、笑いが込み上げてくる。今日は、まやかしを見ているのかもしれない。彼が命を助けてくれて、少なくとも膝は笑ってしまった。

「レンゼル人は殺していないですわよね」

「ああ。レンゼル人は……な。おれの慈悲の心はそう広くない。きみとレンゼル王国とを害そうとする、ふざけた侵略者のガルティヤ人には、残念ながら欠片も持ち合わせてはいない」

 やはり、この人は、怖い。でも、愛おしい。

「助けてくれて、ありがとうございます、ヴァル」

「礼はいい。……馬で逃げるぞ」

 彼の連れた愛馬の黒い毛並みが茂みから覗き、つややかに光る。アウローラは、差し出された力強い手を取って、なんとか再び立ち上がった。
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