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第1章
第9話 1巡目の終わり
しおりを挟む「はぁ……はぁ……スグル、逃げてっ。ぐ……ぁあ……」
「お兄……ちゃん……うぅ」
「みゃあ……スグル……様……」
(やめろっオレの家族を……大切な姉を……妹を……罪のない猫を……これ以上、傷つけないでくれっ!)
術師の家系の中でもエリート一族とされていた家神家。だが、つまりそれらは霊力を完全に封じられてしまえば、ごく普通の一般家庭となんら変わらないものだった。
「ふう……しぶといわよねぇ。私とスグルの仲を引き裂いてスイレンの女神を嫁がせた罪……命を持って償うがいいッ!」
「きゃぁああああああっ」
静寂が辺りに訪れる……絶命の余韻は、ついに何も聞こえなくなった。
(ツグミ姉ちゃん……アヤメ……ミミちゃん……何故だ、何故こんなひどいことを……)
悔しさで涙が、涙が止まらず……オレにとっての世界の全てが終わっていく。
放心状態がしばらく続いたオレが、縋るように握りしめていたのは真っ先に殺された愛する婚約者スイレンの弱々しい手だった。
喉元を薙刀で掻っ切られたスイレン……最期の言葉を交わすことすら許されなかった。
(ああ、死んでしまった……オレの大切な人達は皆死んでしまった……可愛らしい婚約者スイレンも、優しい家族達も……みんな……)
女子大生の姉と中学生の妹は、どちらかというと非力な部類に入るだろう。猫のミミちゃんに至っては、猫神と呼ばれる人間型の神であるものの、霊力がなければ、ただのか弱い白猫だ。
「呆気ないものね、最強だエリートだと褒め称えられた一族も、霊力がなければただの人。悪魔に魂を売り渡した私には、叶うはずないか……ねっスグルッ」
そして、オレも鍛えているからといって、決して大量の魑魅魍魎と素手で互角に渡り合える力自慢では決してなかった。
「きゅぇっけっけっ! 今まで七世代に渡って散々レンゲ族と家神一族にはやられてきたからなぁ。ここで、こいつら一族を根絶やしにして仕舞えば、我らあやかしは安泰よぉ~」
「ひっひっひっ、これもルリ子様が三千世界の川向こうから死に戻りをしてくれたおかげじゃ」
「ひれ伏せっルリ子様にひれ伏せっ! あの世で最も美しいルリ子様よりも、睡蓮の女神を選んだお前が悪いッッ。このような美しい方に想いを寄せられているにも関わらず、女神に走ったお前がワルイ!」
もしかしたら、オレはこの時までどこかであやかしたちの事を恐怖の対象として見ていなかったのかも知れない。
若年最強の異界術師とチヤホヤされて、心の中に自惚れという怪物を飼っていたのだろう。
目の前で起こる惨劇、霊力を封じられあやかし達に縛り付けられたオレにはどうする事も出来なかった。
いつも温かだった家族の居間は、血の匂いと苦しみのうめき声で渦巻き……やがて途絶えた。
(これは、悪夢なんじゃないか……。きっと悪い夢に違いない……)
そうやって都合の良いように、頭の中で解釈をしようとしても、悲劇はそこで終わるわけではない。
(一体、どこで間違えてしまったんだろう……どうして、こんな事になってしまったんだろう)
「はぁはぁっ……かっはっくっ……うぅ……」
過呼吸気味に荒くなる心拍、はぁはぁと荒げる呼吸では何も……何も変えることは出来ない。術を発動する呪文を唱えられないように、声を封じられてしまったからだ。怒りと絶望で気が狂いそうだ。
ふと、現実逃避をするように……障子の隙間から夜空を見上げる。
濃紺の夜空には満月……美しくも冷たい月はまるで傍観者のようだ。
「余所見をしないでよ……スグル……。ねぇ……私を見て……あなたの大事な幼なじみの私を……このルリ子を見てッ! あなたの大切な女はこのッ私でしょッ。いつまで……その女の……睡蓮の女神の手を握っているのよォオオオオオオッ」
修羅とも羅刹ともつかない表情で、狂気じみた叫び声をあげるルリ子は、すでにオレの知っているルリではなかった。
その魂は、七代前の家神一族当主スグルと不義の関係を持っていた【凛堂ルリ子】だった。結局、本当の意味ではオレの大切な幼なじみは帰って来なかった。
伝説の死に戻りを果たしたのは、七代前のルリの先祖に当たる女性の魂に過ぎなかったのだ。
「はぁはぁはぁ……うふふ……ようやく悲願の花を咲かせられる時が来たわ……。禁断の神殺しを成功させた私は、冥府の新たな花となるのよッ。あとは、あなたをコ・ロ・ス・だけッッ」
手にした薙刀から滴る赤い血。狂気に取り憑かれたルリ子に留めを刺される間際、オレは自分自身が犯した小さな過ちを振り返っていた。
* * *
それは、悲劇が起こる1週間前。
幼なじみのルリが事故から奇跡の生還を果たしてしばらく経った。面会謝絶も解除されて、そろそろお見舞いに行こうかという話に……。
「ねぇスグル、せっかくだからスイレンさんも一緒に連れて行ったら? 初対面になるけど、いつまでもスグルの婚約者を紹介しないのもよくないと思うし」
「えっ……だけどさ、姉ちゃん。大丈夫かな? いきなりスイレンを連れて行くなんて……。ルリはあんまり婚約に良い顔していなかったし……」
「だからこそよ。早いうちにスグルには婚約者がいるって理解してもらった方が、お互いのためだわ。スイレンさんの存在に慣れてしまえば、ルリちゃんも婚約について関心を持たなくなるわよ」
「う、うん。そうだといいけど……スイレンは、それで平気か?」
「私には……睡蓮の女神には、他の花に相手の男性が気をとられると滅亡の呪いをかけてしまうという呪縛がある。けど、スグルどのが私を……睡蓮の花だけを心に咲かせてくれれば、滅亡の呪いは発動しない……だから……」
「……つまり、女神様に心を服従させるってことだよな。大丈夫だよ……オレが好きなのはスイレンだけだから」
オレはこの時、婚約者の睡蓮の女神スイレンにも幼なじみの凛堂ルリにも嘘をついていた。睡蓮の花を愛でながら、心の奥底にリンドウを咲かせていた。だから、女神には真の意味で服従をしていなかったのである。
ルリへの想い……それが同情と愛情を履き違えた花だとしても……咲いた花は静かに咲き誇るのだ。
案の定、オレの曖昧な気持ちはルリを……いや、死に戻りを果たしたルリ子を困惑させるものとなった。
ジリジリジリジリ、ジリジリ、ジリジリ……。
病室に目覚まし時計が投げつけられる音と、少女の悲鳴があがる。壊れた時計はジリジリと、まるで危険を報せるかのように警鐘を鳴らし続けた。
「いやぁああああっ。何を考えているのよっスグル! どうして……どうしてレンを私の目の前に連れてきたのっ? 私達がお互いをよく思っていないのを知っているでしょう?」
「落ち着いてくれよ……オレ、少しでもルリにスイレンと親しくなってほしくて……」
「私の名前はルリ子よっ! それにその女の名前……スイレン……? もしかして、あの女の……生まれ変わりね。そう……本当に蓮の女神から睡蓮の女神に生まれ変わったんだ。ねぇレン、見てる? 私とスグルが不義を犯したから、あんたは睡蓮なんかに生まれ変わったのよっ」
「きゃぁっ」
「おっおい、ルリッやめろよっ」
せっかく花瓶に生けた花々は、病室の床で寂しく散り、花瓶の水を顔にかけられたスイレンは無言で病室を出る。
「帰ってよっ! 私にもスイレンの女神にも良い顔しようなんて、都合が良いにも程があるわっ」
目が覚めたルリは、オレの知っているルリではなかった。彼女の名前はすでにルリ子だった。結局、オレの幼なじみルリは帰らぬ人となっていたのだ。
お見舞いは最悪のものとなり、軽々しい気持ちでスイレンを連れて行った姉ツグミはオレとスイレンに謝罪を述べた。
「ごめんなさいね、まさかルリちゃんがあんな風になっているなんて……」
「いや、オレももっとよく考えてから行動すれば良かったんだ」
世間では、凛堂の娘はご先祖様の魂を身体に宿して蘇った……と、もっぱらの評判になっていった。
そして、予定調和のようにあの事件が起きたのだ。
* * *
(ああ、そうだ。オレは、オレ自身の優柔不断な性格のせいで大切な家族をみんな不幸にしてしまったんだ……。だから、ここでオレが殺されても仕方ない……)
殺意を込めた目でオレを見下ろし、月夜を浴びるルリ子。死を覚悟したオレはそっと瞼を閉じる。
ザシュッ!
「くっ……かはぁっ」
だが、薙刀が貫いた肉体はオレの身体ではなく、ルリ子の……幼なじみルリの肉体だった。ルリは、自らの薙刀を自分自身の身体に突き刺したのだった。
「ルリ……どうして……!」
いつのまにか、霊力が戻り言葉を発せられるようになっていた。困惑するオレを涙ながらに見守るルリは……オレがよく知った幼なじみそのもので……。
「ダメだよ、ルリ子さん……スグルは私の大切な人なの。私の肉体を使ってスグルを殺さないで……」
ルリは完全に肉体を乗っ取られた訳ではなかった。いや、もしかしたら本当の意味で【死に戻り】をしてきたのかも知れない。
「ああ、ルリ……もっと早く、お前が帰って来てくれたら……」
やるせない気持ちで、それ以上言葉が出ない。
「スグル……好きだよ……次に会う時は、また……前みたいに……」
次第に光を失うルリの瞳、ルリ子が召喚したあやかしたちは術師が消えた影響からか、すでに現世から姿を消していた。
留めは刺されなかったものの、腹にかなりの傷を負っている。そのうち、失血が原因でオレも死ぬだろう……。
これが、1巡目の悲劇……そして、人間としてオレが生きた最後の日だった。
「このまま、ここで終わる訳にはいかない……オレは、オレは……どんな方法を使ってでも……」
もう一度、温かい家族を……明るかった幼なじみを……そして、一目惚れした美しい女神を…………取り戻してみせる……!
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