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正編 黄昏の章

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 翌朝、寝坊したアメリアが身体を起こすと、アッシュ王子が朝食のサービスをルームサービスから受け取っているところだった。

「アメリア、おはよう。妊娠中なのにずっと移動しっぱなしで、無理させちゃってごめんな。今日は一日ゆっくり休もうって話になったから、朝食運んで貰ったんだけど」
「ありがとう、アッシュ君。あら、コーヒーは飲みたいけど……妊婦には良くないのよね」

 今後は食生活も変えていかなくてはいけないと、気にするアメリアだが社会情勢が思わしくない中、食事に困らないだけでも有り難い。オムレツやベーコン、くるみパン、サラダなど……定番の朝食は今では貴重な存在だ。
 そう考えると、このコーヒー手に入りにくいものであるし、二杯ともアッシュ王子に飲んでもらうなど対処した方がいいのかと、アメリアは考えるが……。

「妊娠中の方でも安心のタンポポコーヒーですって、書いてあるぞ。昨日アメリアは妊娠中だって説明しておいたから、気を遣ってくれたんじゃないか? あっオレの分もある」
「じゃあ、せっかくだしタンポポコーヒーに挑戦してみようかしら」

 夫婦水入らずの朝食を済ませて、午後はエルフの村を散策。木漏れ日が温かな森林で巡礼の途中のゆったりとした時間に身を任せようとした。だが、エルフ族は噂話が好きというのは本当らしく、気になる噂話がアメリア達の耳に入ってきた。

『えぇ? ペルキセウス境界自治区って、今立ち入り禁止なの。せっかく、買い出しに行こうと思っていたのに。悪神の手下がうろつき出したの?』
『仕方がないよ、もうすぐ予言の獅子座の新月だろう。万が一、悪神ロキ達が襲ってきてもそこで足止めするために、ユグドラシル側からの立ち入りも禁止されたのさ。シルクロードの貿易拠点はあの場所がメインだからねぇ』
『悪神も人間のことなんか放っておいて、自分達の領域に帰ればいいのに。あっ……でもペルキセウスは王族って精霊なんだっけ。個人的な恨みで森まで襲撃されたら、たまったもんじゃないわよ』

 境界自治区といえば、アッシュ王子の育った故郷であり、ラクシュ姫やマルセスなどの王立騎士団が待機している地点だ。剣聖の武器のある場所を狙って……というより、シルクロードの中継地点という理由でその場所を狙っているようだ。
 ここがエルフ族の領土だから情報が早いだけの可能性もあるが、いつの間にか悪神の存在が世間に知れ渡っている。神々の黄昏が、どんどん迫ってきている証拠だろう。


 噂話をするエルフ達から距離を取り、女神像を祭る泉の前で話し合うことに。トネリコの木々が、日除けになって陽射しは穏やかだ。

「どういう理由であれ、ラクシュ達がいる場所に悪神周辺が動き始めたみたいだな。けど、せっかく送りだしてくれたラクシュ達の想いを、無駄にするわけにいかないし。戻らず進むしかないのか……」
「そう考えると黒いドラゴンに最も効く剣聖の武器は、あの詰所に置いて正解だったのかも知れないわね。きっと先代剣聖のマルセスさんなら、あの剣を上手く使って……」

 アメリアは、双子の片割れラクシュ姫の身を案じているであろうアッシュ王子を安心させようとして、話を進めるが……アッシュ王子は少しの間黙ってしまった。何か、変なことを言っただろうかとアメリアが動揺していると、アッシュ王子は『ああ、そうか』と呟いてから、ラクシュ姫のスキルについて説明し始める。


「いや、あの剣聖の武器は本当にラクシュが装備するんだと思うぞ。そっか、アメリアはラクシュが魔法剣士だって知らないんだっけ。当時はまだ国の跡継ぎ予定だったから立場上、剣聖にならなかっただけなんだ」
「マルセスさんは二番手だったってこと、じゃあ実力で下だったからマルセスさんはラクシュ姫の部下に?」

 てっきり、か弱いお姫様にベタ惚れの典型的なカップリングだとアメリアは思い込んでいた。しかし、よく振り返ると主従関係の圧が無言で成立していたことに気づく。おそらく彼女がお姫様じゃなくても、実力至上主義であの主従関係が成立するのだろう。

「ああ。マルセスがラクシュに惚れている真の理由は、最強だと思い込んでいたマルセスがボコボコに負かされたからだよ。ペルキセウスのトップ剣士は【剣聖姫ラクシュ】だからな。そしてマルセスの真の役割は姫の盾、パラディンだ」

 剣聖姫ラクシュ。
 そういえば、双子の神話でも健康な方の双子が片割れの魔力や攻撃力を貰っている設定だと気づく。

「じゃあ、悪神やドラゴンに一撃を浴びせたいとの発言は……本気だったのよね」
「あぁ。ラクシュはオレと違って、生まれた時から健康に恵まれているからな。ラクシュとオレは本来的にはまったく同じスキルらしいんだけど、一番不健康だった頃のオレでも気合いで鱗を採取出来た訳だから。全開のラクシュが挑めば、尻尾の一つくらいはヤレると思う」

 双子のスキルが同一だったはずと考えると、アッシュ王子も本来はもっと剣技に長けていたことになる。病弱というハンデから、護身術寄りの杖術や棒術に長けるようになったのだろう。

「アッシュ君も健康に生まれていれば、本当に【剣聖アッシュ】だったってことよね。ううん、せっかく助かった命だし、これから健康になればいいんだわ」
「……アメリアはさ、やっぱりオレが男らしく剣に優れた剣聖だった方が良かった? 英雄譚の主人公みたいに剣でドラゴンを薙ぎ払うような。今のオレみたいに、聖職者が使う輪廻の棍で巡礼の旅をするんじゃなくて……」

 病弱で自室で過ごす毎日が続き、楽しみといえば英雄譚を読むことだったというアッシュ王子。自分ではなく双子の姉が剣聖の武器をもち、自分は聖職者のような武器しか上手く扱えないことは、コンプレックスだったようだ。

「私は……アッシュ君が剣で戦っているから好きになった訳じゃないわ。優しく手を差し伸べてくれたアッシュ君のことが好きになったの、だから……。剣聖じゃなくても、剣を持たなくなっても、アッシュ君は私だけの英雄……ヒーローよ! ごめんね、何かもっとアッシュ君そのものを現すような形容詞が、見つかればいいのだけれど」
「い、いや。アメリアが気にしていないなら、いいんだよ。オレにとってのヒロインは、一生アメリアだけなんだからさ。剣を捨てたオレが大勢の人にとってのヒーローにならなくても、アメリアさえ認めてくれたらそれでいい」

 きっとまだ、男としてのプライドや憧れが、華奢で繊細な彼の中にもあるのだと、アメリアは改めて感じる。実質、剣で勝負することを辞めてしまった後悔の念が、彼の心の中にあるのだと。

 気まずかったのか、泉の水面を眺めるようにアメリアから背を向けてしまったアッシュ王子。ザワザワとした心のように、トネリコの木々が騒ついている。
 アメリアが言葉に詰まっていると、突然白い花びらが風に吹かれて二人を取り巻くように舞い始めた。

 ヒュッ!
「きゃっ……風が、急に強く……」
「これは……花びら?」

 気がつけば二人は先程までいた外の森林ではなく、もっともっと樹の奥の大樹の中の花畑にいた。
 そして花びらが徐々に人の形を造り出していき、新緑の髪色に尖耳の美しい女性が目の前に現れる。

「神のいとし子が二人おる、いやもうすぐ三人か……」
「貴女は……?」
「わらわはエルフ族の女王メリアス、またの名を大樹の女神ユグドラシル。よく来たな、神のいとし子らよ。輪廻の森へ」
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