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Y FROM K
しおりを挟む夜もすっかり深くなった二十三時を過ぎた頃。鏡子は天久と奴代を家で降ろし、とある場所に向かう。おそらく朝方には帰れるからと別れたが、鏡子は天久の虚ろな雰囲気に、何か後ろ髪を引かれていた。
「ヤボ用を片付けるだけだ」鏡子はそう天久と奴代に言葉を残したが、鏡子は奴代の身辺の万が一を消しておきたかったのだ。
忠国の話しだと、奴代は鏡子と再会するまでの間、奴代の記憶が無いのをいいことに神弥宮の手先として宮家の弊害となる人間の暗殺をやらされていたらしい。となると、機密漏洩を恐れた神弥宮が奴代を殺そうとしたとしても不思議はない。
鏡子は今だ解けきらない混迷に絡む紐を、懸命に解こうとしていた。
――都内の一角の雑居ビル、そこにトゥーハンドレットアルファがある。看板などは掲げていない。そう……あの男、川崎が鏡子の情報を得たと言っていた場所だ。
エレベーターに乗り三階で降りる。目的の部屋のドアの前には呼び鈴も鍵穴も見当たらない。カバーに覆われたテンキーがあるだけだ。鏡子は至極当たり前に暗証番号を入力してそれを解錠させた。
事務所のような部屋の中には数人の気配があるが、鏡子はそれには眼もくれず部屋の一番奥まで進むと、そこには一人チェスの盤の前で頬杖をついて男性が座っている。その男性の前に立った鏡子は、挨拶もないままおもむろに目を閉じた。
「ビショップをルークの三に」
鏡子の声に、男性は目を閉じると腕を組み直し、ニヤリと微笑み鏡子を歓迎した。
「久しぶりだね、鏡子君。訪ねてくれるとは、サンタクロースもなかなか気の効いたクリスマスプレゼントだよ。ビショップでビショップを」
「ご無沙汰してました。波岡さん。ルークをビショップの四へ」
波岡同様、鏡子も目を閉じたままチェスを指す。それがこの場所での礼儀、挨拶みたいなものだった。
鏡子が訪れたそこは、トゥーハンドレットアルファ。名前の由来のごとく、IQ二百以上。加えて、何かしらの特殊能力を持つ者。それがこのクラブに入る条件だ。
鏡子の情報、いや奴代の情報がどこからリークされたのか。それを波岡に会い、確める意図だった。
「波岡さん、最近二十歳程の男性が新しく出入りしませんでしたか?」
「うん? 相変わらず出入りは多いからね。写真でもあれば特定できるのだけど、どうせ偽名だろう? 鏡子君が知っている名前は。ルークでルークを取る」
波岡が新しくビールのタブを開けた。テーブルには、チェスの駒程に空き缶が並んでいる。
しかし、かといって彼はアルコール中毒でも、ジャンキーな訳でもない。彼にとってアルコールは水と同じ。無害な物なのだ。眼を閉じていても音で分かったのだろう。鏡子は相変わらずだなという感じで微笑んだ。
この波岡という男は病気はおろか、風邪すらひいた事がない。言うなれば超免疫体質とでもいうのだろう。にわかにだが、波岡いわく自分の免疫を確める為にウォッカを片手にピロシキを食べながら、チェルノブイリを眺めて楽しんだ事もあるらしい。
「私を知っているのは波岡さん位ですよね? 今のメンバーでは。ポーンでルークを」
「ビショップをビショップの七へ。だと思うよ」
波岡という男はこのクラブでも上位に冴えている人間だ。それ故、無駄な嘘などつかないと鏡子は思っていた。ではリークは一体どこからなのかと思量を捻らせ、頬を掻いている鏡子。と、その背後から呼ばれた突然の声に鏡子は驚嘆した。
「あっれぇーっ、鏡子さぁん」
呼ばれた声の主は篝の常連客の亀山だったのだ。鏡子があえて聞く必要はなかった、条件を満たさぬ者はここに居るはずはないのだから。しかし鏡子は亀山の存在に驚きを隠せずにいた。
「えっ? か、亀山さん? ま、まじかあーっ」
「うっほんッ」
「あ、クイーンでナイトポーンを。すみません波岡さん。いやぁ~、知り合いでしてぇ彼」
いろいろと納得がいかない鏡子にさらに亀山が追い討ちをかける。
「あ、鏡子さん。ビショップをビショップの八へでチェック。いや、チェックメイトです」
鏡子は波岡のビールを奪うと一気に飲み干し缶を潰した。よほど悔しかったのだろう。
「おまえかぁーっ、このこのっ」
「ちょっ、き、鏡子さん……痛たっ一、痛たっーっ」
亀山の首を脇に抱え込み、鏡子は拳をぐりぐりと捻り込んだ。その痛さに亀山が涙目で頭を押さえている。と、溜め息をついた鏡子が一笑した。
――波岡と亀山とチェスを打ってじゃれた後、奴代と再会した時を思い出しながら、鏡子は再び賀茂の家を目指し車を走らせていた。結局、鏡子と奴代の存在をリークしたのは亀山だったようだ。亀山いわくチェスを打った相手に雑談がてら、色々と話してしまったらしい。まったく悪気がない人間というのも考え物だと鏡子は呆れ微笑んだ。だが今回の事で理解したのだ、今だ奴代の存在を煙たがる連中が居る事を。鏡子は全ての芽を摘まなければならないと、その想いを巡らせていた。
しかし鏡子は天久と奴代に朝方には戻るとは言ったものの、もう時刻は朝の七時を回っている。どうやら随分とチェスで遊び過ぎてしまったようだ。帰ったら愚痴を言われそうだと溜め息をつきながら、鏡子はアクセルを踏み込んだ。
賀茂宅の門前に脚を降ろしたのは既に九時を回っていた。鏡子は瞼の重さを振り切り呼び鈴に手を伸ばす。門を通された鏡子はまた賀茂と対する事となる客間に案内され腰を降ろした。しかしさすがに疲れたのだろう、眼を瞑り指先を眉間に寄せ溜め息をついている。
その疲労は賀茂の接近にも気付けない程だった。自愛しなくてはという言葉と共にいつの間にか鏡子の後に立っていた賀茂に肩を叩かれたのだ。気遣いなのだろう、賀茂は至極穏やかな顔で雰囲気を和らげ鏡子にゆっくりと言葉をかけた。既に川崎の処置は済んだから安心しなさいと。
どうやら川崎という男性は金で雇われただけの末梢らしい。雇い主は神弥宮ではないのかとの疑いはあるが、川崎に依頼する経緯で数人を介しているのは至極当然、たとえ辿ったとしても鼠の尻尾だ。
鏡子は賀茂の心使いに心底謝儀を陳じた。しかし証拠がないにしろ神弥宮が動いている可能性は否めない。鏡子は醜悪な歴史がまた繰り返すのかと、賀茂に不安気な表情を見せた。
その鏡子の様に賀茂はすっと立ち上がると、鏡子の背に回り陽射しの注ぐ窓から空を見上げてゆっくりと瞼を閉じた。その姿はまるで牙城に立った将軍のようだ。賀茂は鏡子に背中を向けたまま、貴女達ならば大丈夫だと確信していると、高らかに笑声を上げた。随分と重き荷を課すものだと、微笑んだ鏡子は深々と頭を下げ賀茂邸を後にする。鏡子の後ろ姿を見送った賀茂は一人空を仰いだまま祈りを募らせていた。
帰路の途中、コンビニで車を停めホットコーヒーを飲んだ所で鏡子の記憶は途切れていた。あまりの疲れのせいだろう、そのままうたた寝をしてしまったようだ。時間は既に天久がお店に脚を運んでいる頃合いだった。
鏡子はやってしまった感に苛まれながらも、急ぎ車を走らせる。こんな時間になってしまったのだから、天久と奴代には随分と心配をかけたことだろう。
家に着いた鏡子は悟られないように脚を忍ばせて、至極ゆっくり扉を引いたが、料理の最中だった奴代に驚く程即座に見つかってしまう。バツが悪そうにごめんなさいと頬を掻く鏡子に、エプロン姿の奴代は無事を喜びながら駆け寄ると。天久から預かっていたと、リボンに飾られた小さな箱を手渡した。
クリスマスには早いよなと不思議そうな顔をしながら鏡子は渡された小さな箱のリボンを解く。と、鏡子は見た事もない程に頬を朱らめ「あの……バカ」と照れ笑いをした。
結婚してくれてありがとう。とメッセージを添えたプラチナのリングが鏡子の手の小さな箱の中で、こぼれ落ちた水滴に光っていた。
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