朱の緊縛

𝓐.女装きつね

文字の大きさ
26 / 47

撮影旅行

しおりを挟む

 放置された亡骸なきがらかたわらで物乞ものごいいをする子供の写真が飾られている。それを眺めていた天久君の後ろから、鏡子君が腕を絡ませた。

「あぁ、これは夏稀が十六歳の時に撮った写真だよ。初めて会ったんだ、そこで私は夏稀と」


――昭和六十三年八月――

 私は娘の夏稀を連れ、成田からホーチミン行きの飛行機に乗っていた。夏稀にとっては初めての海外旅行だ。それゆえ観光地に向かっているような気分なのだろう、夏稀はたくさん写真を撮ろうと飛行機を降りる前からハシャぎっぱなしだ。

 ホーチミンで飛行機を乗り換え、ダナンへ向かう。ここはベトナム戦争時に国境だった場所で、最も交戦が激しかった地域のひとつだ。

 夏稀は初めて見る異国の雰囲気に圧巻されていたが、今回カメラに収める予定地はここではない。私は夏稀をそこに同行させるべきなのか、今だ迷っていた。

 空港からタクシーに乗り、夕方に予定通り宿舎へと入る。衛生的とは言えない部屋だったが、疲れを取るには十分な環境だ。水を口には含むなと釘を刺した後、夏稀はシャワーを浴びに行った。と言っても部屋の一角にある一畳ほどのスペースにカーテンがあるだけなのだが。

 そんな環境故、シャワーを浴びていても部屋との会話は容易に出来てしまう。私は日本から持ち込んだカップ麺を何個食べると夏稀に聞いてそれの準備を始めた。

 当時の米軍が、将来の惨状まで理解していたかは不明だが、娘の夏稀に地産物を食べさせる気にはなれなかった。ホーチミンならば外食も出来ただろうが、都市を外れると安全に外食出来る場所を探すのは困難だ。食あたりが命に関わる場所なのだから、すまないが夏稀には我慢してもらうしかない。

 決して夏稀に私の後継ぎなどと考えている訳ではなかったが、今回夏稀を同行させたのは私なりの意図があった。世界を知るというのは酷なのかもしれない、しかし知ればきっと将来、夏稀の糧になるだろうと思う。夏稀が今まで過ごしてきた普通の日常というのがどれほど幸せな事なのか、何が本当に価値がある物なのか、きっと今回の旅行で刻まれる事だろう。


 カーテンなど付いてない私達の枕元に、眩しい陽射しが差し込む。どうやら天候には恵まれたようだ。まぁ、いつスコールが来てもおかしくない土地なのだがな。

 私達は手配していたタクシーに乗り込み米軍の前線基地跡に向かった。やがて郊外へ抜け、その視界に跡地が広がると、それまで車内でハシャいでいた夏稀の口から言葉が消えた。カメラを向ける事も出来ず、その光景にうちひしがれ肩を震わせている。

 米軍は森を無くしたかっただけなのかも知れないがこれが現実だ。米軍が散布した枯れ葉剤の影響で果てなく連鎖する人間、生物の奇形、異形。夏稀、この惨状、現実を受け入れて二度と惨事が起きない為に伝えなきゃならない、それがお前の役目だ。

 夏稀の眼が大人のそれに見えた。そうだ夏稀、覚悟なんだよそれが。大切な物を守る為には覚悟が必要なんだ。いつか大切な人が現れたら今日を思い出すんだ。

 その一日、日暮れの頃合いも忘れる程に夏稀はファインダーを覗き、必死にシャッターを切っていった。

 宿に戻るタクシーが待つ場所までは、歩いて少し時間がかかる。日本人の風習だな、余裕を持ちつつ向かう途中、ふと一人の女性と眼が合い脚を止めた。

 そこにはおどろく程瓜二つの女性が立っていた。顔だけじゃない、髪型、年齢、背格好。まるで双子だっ。

 夏稀の首飾りの鈴が澄んだ音色を奏でた。あれは肌身に持たせて欲しいと桔梗ききょう殿から譲り受けた物だ。しかし夏稀はそれどころじゃなかったのだろう、あまりの瓜二つにすごいと驚き微笑んでいた。

「私は鏡子、織屋鏡子。あなた達は親子旅行?」

 お、織屋鏡子だと、私は空を仰ぎ天命を呪った。なんという悪戯いたずらを桔梗殿。いやダメだっ、違う。貫かなくてはならない。私は精一杯に繕った、共にあれば必ず片方がめつとなる。その言葉を自分に言い聞かせて。

「あぁ、娘の夏稀だ。君はひとりなのかい?」

「家の者はタイニンに居るけど、ここに来てみたくてひとりでノコノコさ。日も暮れてきたし、野宿場所の探索だよこれから」

「の、野宿ってっ……パ、パパぁーっ、ダメだよぉそれなら私達と一緒にホテルに行こっ」


 絡みつく夏稀に諦めたのだろう。鏡子君はすみませんが一晩お世話になりますとお辞儀をした。これがあらがえぬ運命だと言うのか……桔梗殿。

「えぇ~っ同い年なのぉ?」

「なんでだよっ、」

「夏稀も、もっとしっかりしないとな」

「でもでも、誕生日は私が後だからいいんだもんねぇ」

 あ、ありがたい。というか私は感服かんぷくした。桔梗殿は最初から夏稀の誕生日を事実より遅くずらして私に教えていたのだろう。この時が来る事を恐れて……二日目の夜、部屋には遅い時間まで二人の明るい声が響いていた。この時から夏稀は鏡子君の事を『鏡子ネェ』と呼ぶようになった……しかし見違えたよ、本当に大人びたな鏡子君。


――「タイニンには観光で? 家族の人がいるのかい?」

「観光というか、カオダボってのに用があるんです。あ、家族じゃなく家の者です」

 夏稀は鏡子君の存在がひどく嬉しいようだ。ホーチミンから車を調達して、タイニンに向かう道中も、夏稀の言葉は途切れなかった。荒れ地と田園風景を繰り返す中。走らせ続けた車のフロントガラスに、突如異様な色彩の建造物があらわれた。

「あぁ総本山だ、あそこに家の者が居ます」

「たしかベトナムではメジャーな宗教だったかな? 観光にはいい場所だ」

「そうだとよいのですが」

 車を降りた後、砂漠のような景色に降りてからずっとハシャいでいた夏稀が突然立ち止まった。どうやら何かで右脚を切ったようだ。

 車に救急道具を取りに行きかけた私に、夏稀は大丈夫だと微笑む。右脚を見ると包帯のように布が巻いてあった。それなりに夏稀も準備をしていたのだろう。私と夏稀は何事もなかったように、先に建物に向かっていた鏡子君の後を追った。しかし、その思い違いがのちの取り返しようのない後悔となるとは知るよしもなかったのだ。

「私が気に入らないだけだ。お前達には関係ないっ」

 鏡子君は五人の大人に正門近くで取り囲まれていた。私達に振り返るお辞儀はここで別れるとの意味なのだろう。するとその頭を上げた瞬間、突然鏡子君が形相を変え夏稀に駆け寄った。

「きっさまぁ、な、何をしたぁあっ、」

「えっ……キャッ、」

 足が浮くほどに夏稀の襟ぐりを吊り上げる鏡子君の変貌へんぼうすべなく狼狽うろたえていると、夏稀の口からどこの語源か分からない言葉が発せられ突如暴れだした。

「ア、アザゼルだとぉ? い、いったいどうしてっ」

 不明な言葉を吐いた鏡子君が、夏稀の右脚に巻かれた布を奪い取ると夏稀から力が抜けていった……かのように思えた一瞬の隙、夏稀は腕を振りほどき、奇声をあげて荒れ地へ駆け出した。

 な、何がどうなっているのかわからない。こ、これは現実なのか?……黒い小石? まずいっ、あれは


――「おぉっ、良かったぁ夏稀ちゃん」

「あれ……竜さん、ここは?」

 病室のベッドで夏稀は意識を取り戻した。なぐさめもままならなかったのだろう、ゆっくりと廊下に出た鏡子君は、壁にもたれ夏稀の叫喚きょうかんが消えるまでまぶたを閉じていた。

 竜さんは地雷被害者の為に義足を作っている指折りの技師だ。SAT特殊急襲部隊時代からの親友でお互いの有事を託しあっている。まぁこんな商売だしな。気休めだが保険の類いはお釣がくる程だと思うぞ。

 運命のひとつなのだろう。私はどうやら君達の場所には遠かったようだ。でもいつかまた人間をやれるのなら君達の近くに居たいと思う。君の父親だった事は私の誇りだ。ありがとう夏稀。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

身体だけの関係です‐三崎早月について‐

みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」 三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。 クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。 中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。 ※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。 12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。 身体だけの関係です 原田巴について https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789 作者ツイッター: twitter/minori_sui

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...