『帝国第五王女の結界は、婚約破棄では解けません』

春秋花壇

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第4話 『魔力コンテストの罠』

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第4話 『魔力コンテストの罠』

 春の学園は、魔法祭の準備で熱を帯びていた。
 広場に設置された競技台は、淡い光をまとう魔法石で飾られ、周囲にはクラス旗がはためく。観覧席では、生徒たちが菓子袋を抱え、屋台の甘い香りが風に混じって広がった。魔力コンテスト――毎年、学年の魔力量と制御力を競い合う大イベントだ。

 リリアンヌは、控室の窓辺で深呼吸をした。
 薄い桃色の風が頬に触れ、胸の奥にささやく。

(大丈夫。今日は、きっと大丈夫)

 弱くなってしまった魔力でも、集中すればある程度の制御は可能だ。
 学園での生活は、雑務の重圧を少しだけ軽くしてくれた。毎晩の庭仕事も、洗濯も、掃除も、公爵家での暮らしが続く限り消えることはない。それでも、学園にいる間だけは、魔法を使える場所に戻れる。

 すると、控室の扉がやわらかくノックされた。

「失礼いたしますわ、殿下」

 入ってきたのは、もちろんミレイユだった。
 ふわりと花の香りが広がり、彼女の白い手にはベルベットの箱が抱えられている。

「今日は特別な日。殿下にお貸ししたい道具がございますの」

「道具?」

「ええ、魔力増幅器。私の家の秘蔵でしてよ。これを腕に巻けば、魔力が安定して、競技で見事な成果を出せますわ」

 箱の蓋を開けると、銀の紋様を刻んだ細いブレスレットが入っていた。
 宝石は淡い紫で、光の角度によっては心臓の鼓動のように明滅している。

 リリアンヌはその輝きに息をのむ。

「こんなに美しいものを……わたくしが?」

「もちろん。殿下のお力になりたいだけですわ」

 ミレイユの笑顔は、相変わらず柔らかい。
 人の心を疑うことを知らない者なら、疑いようもないほど完璧だ。

「ありがとう。とても助かりますわ」

「ええ、どうかご活躍を」

 ミレイユは、ブレスレットをリリアンヌの手首へとそっと巻いた。
 金具が閉じる瞬間――ほんのわずか、冷たい針のような感覚が肌に触れた。

「あ……」

「大丈夫ですわ。魔力が安定する証拠です」

 微笑みは崩れない。
 リリアンヌは胸に不安を抱えながらも、礼を言った。

「あなたの厚意、忘れません」

「いえいえ、殿下の未来のために」

 その声は甘く、風のように滑らかだった。



 やがて競技が始まる。

 観覧席からの声が、にぎやかに響く。

「第二組! 魔力弾の制御競技!」

 参加者が競技台の前に立ち、水晶球へ魔力を注ぎ、飛翔させ、的に当てる。魔力量と精度、その両方が求められる。

 リリアンヌは、自分の出番を待ちながら、胸元に手を当てた。
 ブレスレットの石は、じっとりと汗ばんだ肌を冷やしてくれるように思えた。魔力が整う感じが――確かにある。

(たしかに……少し安定している)

 だからこそ、信じようとした。
 今日は巻き返せる、と。

 アレクシスが観覧席から手を振っている。
 婚約者として視線を送るが、その表情には期待よりも焦りが混じっていた。

「殿下! 頑張れ!」

「王女殿下ならできるはず!」

 応援が届く。
 胸に温かさが灯る。

 リリアンヌは競技台に立ち、深呼吸した。

 水晶球に両手を添え――魔力を流す。

 すると、水晶球は一気に光を帯びる。
 青白い光が、空気を震わせた。

「すごい!殿下、やっぱり本物!」

「魔力量、ありそうじゃない?」

 観客席に驚きが広がった。

 だが、その瞬間――

 水晶球の奥で、何かがぬるりと動いた。

(……?)

 魔力が増幅されていくはずが――逆だ。

 中から、何かが彼女の魔力を吸い込む。

 足元の空気が一気に冷え、皮膚がざわりと鳥肌に覆われた。

「……痛っ」

 手首のブレスレットがじわりと熱を帯びる。
 その熱は逆流のように、魔力を根こそぎ吸い上げていく。

 呼吸が乱れ、喉が締めつけられる。

「な、なんだこれ……!」

 頭がぐらりと揺れる。
 目の奥で、白い光が弾ける。

 魔力が、湧き出すのではなく――

 引き剥がされている。

 水晶球の色が、不気味に濃くなり、観客の間にざわめきが起こった。

「王女なのに……魔力量、少なくない?」

「おかしい、こんなに薄いなんて」

「殿下、魔力が劣っていたのか?」

「やっぱり噂、本当?」

 リリアンヌの唇が震えた。
 痛みが指先から肩へ、胸の奥へと広がる。冷水を注がれたような寒気が、背骨を一気に駆け上がる。

「やめて……!」

 水晶球に手を引こうとした瞬間、ブレスレットがびたりと肌を締めつけた。
 吸い尽くそうとする力が、呪具のように絡みつく。

「殿下!? どうした!」

「魔力が乱れているぞ!」

 教師が駆け寄るが、競技台の防御結界が邪魔をする。彼らは中へ入れない。

 ミレイユは、人混みの後ろで小さく笑っていた。

(あら、よく吸う……)

 その顔が、誰にも見えない角度で静かに歪む。

 リリアンヌの胸に、激しい頭痛が走った。
 視界が揺れ、焦点が合わない。

(結界が……薄れていく……)

 自分の魔力が結界の基礎であることは、生まれたときから知っている。魔力を削られれば、結界は霧のように溶け始める。

 それが――今、起きている。

「……っ」

 歯を食いしばる。

 競技台の外から、アレクシスの怒鳴り声が響いた。

「リリアンヌ!しっかりしろ!」

「どういうことだ、殿下は結界の天才じゃないのか!」

「まさか、こんな無能だとは思わなかった!」

 その言葉は、石より鋭かった。
 胸の奥がぎゅっと締めつけられ、心臓そのものが傷つく。

 ミレイユが、横を通り過ぎるふりをして耳元で囁いた。

「公爵夫人には……役不足ね」

 声は柔らかく、冷たい。

 リリアンヌは顔を上げた。涙はこぼれない。
 唇を震わせ、小さな声で言った。

「……私の価値は、雑務の速さではありませんわ」

「その言葉、いつまで保ちますかしら?」

「私は――結界の主です」

 その瞬間、ブレスレットの宝石が、細く軋んだ。
 ひび割れるような音が、皮膚の下で響く。

 ミレイユの微笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。

(結界……まだ生きている?)

 だが吸収は止まらない。
 教師が叫ぶ。

「競技を中止!殿下を離脱させろ!」

「早くブレスレットを外せ!」

 騒ぎが広がり、魔法師が駆け寄る。

 アレクシスの怒鳴り声が、さらに鋭くなる。

「信じられない!王女なのに、なぜこんな失態を!」

 リリアンヌの胸が、深く、裂けた。

「……あなたは、私を守る気があるの?」

「守る? 君が無能なら、守る意味はない!」

 その言葉は、刃そのものだった。

 光が滲む。
 音が遠のく。

(ああ――やっぱり、私は独りだったのね)

 そして、視界が白く溶けた。

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