『帝国第五王女の結界は、婚約破棄では解けません』

春秋花壇

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第5話 『魔力量発表の日』

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第5話 『魔力量発表の日』

 その日は、冬の陽ざしが少し柔らかく、空の透明度が高かった。冷たい空気は遠くの鐘楼の影をくっきりと映し、中央広場には大勢の生徒が集まっていた。魔力コンテストの結果が貼り出される日だ。

 掲示板は、白銀の縁取りがされた巨大な魔法板で、魔力測定値が名前とともに順に刻まれている。人々のざわめきは、雪解け水のように絶え間なく広がった。

「ミレイユさん、すごいわ! 学年四位!」

「やっぱり有能よね!」

「王族以上じゃない?」

 声は全方向から飛び交い、祝福の拍手さえ聞こえてくる。

 それは当然だ。ミレイユは見た目も立ち居振る舞いも華やかで、魔力制御も申し分ない。彼女は静かに会釈し、周囲の生徒に答える。

「ありがとうございます。殿下には、いつも助けていただいておりますの」

 言葉は美しい。しかし、裏側の意味を聞き取れる者は限られていた。

(助けている? どちらが?)

 リリアンヌは人の輪から少し離れた場所で、その光景を眺めていた。風が頬を撫でる。冬の陽光が皮膚をかすかに暖めるが、その温度は胸の奥には届かない。

 やがて、視線が一点に集中し始めた。

「ねえ、見て。あれ……」

「嘘でしょう……最下位?」

「第五王女様が……?」

 魔法板の最下段に、淡い金の文字で刻まれていた。

《最下位 リリアンヌ=アウレリア=エルスティナ》

 人々は、信じられないものを見たような顔をした。言葉が宙を漂い、冷たい影がざわざわと広がっていく。

「まさか、王族が……?」

「魔力量、最低って……」

「雑務に追われてるって噂、本当だったの?」

「いや、でも天才のはずだろう?」

「天才だったんじゃない?」

 そのささやき声は、冬の風のように刺さった。
 リリアンヌは目を閉じ、少しの間、周囲の音を遮断した。

(痛くないわけではない。けれど、驚きではない)

 あれだけ魔力を吸い取られたのだ。結果は当然だ。
 それでも、数字は残酷だった。才能や努力よりも、結果が人々の口を支配する。

 やがて、ゆっくりと足音が近づいてきた。

 薄い薔薇色のドレス、丁寧に巻かれた金髪。その笑みは一切揺らがない。

「殿下」

 ミレイユが声をかけてきた。

「魔法は苦手ですものね。雑務もお忙しいでしょうし」

 周囲の生徒が笑いを堪えるように肩を揺らす。

「庭いじり上手だって聞いたわ。魔法より実務、よね?」

「王族も生活力が大事なんだって」

「なるほど公爵家教育」

 リリアンヌは、静かに顔を上げた。

「魔法は得意でしたわ。……以前は」

 その言葉は小さく、風に乗って遠くまで漂った。
 ミレイユは目を細めた。

「以前、ですわね。今は違うのでしょう?」

「あなたの言う通り、雑務が多いのでしょうね」

「ご自覚を」

 そのやわらかな声には、毒が微量に混じっていた。
 それは、誰にも気づかれない濃度で。

 その瞬間――人々の背後で、鋭い靴音が響いた。

「リリアンヌ!」

 アレクシスが姿を現す。彼は公爵家の若き後継者であり、リリアンヌの婚約者だ。背は高く、顔立ちは整っているが、その目には怒気が宿っていた。

「どうしてだ! 君は結界の天才のはずだ! 帝国の宝と言われたのだぞ!」

「……ご期待に添えず」

「最下位だと? 恥だ! 公爵家の名を汚す気か!」

 周囲がざわめく。教師や生徒たちも、口を覆って驚いている。

「さすがに、殿下に対して言いすぎでは?」

「いや、公爵様は正しいのでは?」

「王族より公爵家の名が大事なのか?」

 さまざまな声が混じるが、アレクシスは聞いていなかった。
 彼は壇の上から魔法板を指さし、声を張り上げた。

「リリアンヌ!」

「……はい」

「婚約破棄を申し渡す!」

 空気が一瞬、凍りついた。
 風の流れさえ止まる。

 遠くで、鐘楼の鳩が飛び立つ羽音だけがした。

「婚約破棄?」

「嘘……学園の真ん中で……?」

「第五王女に対して……?」

 ざわめきが嵐のように広がる。

「王女殿下が、公衆の面前で……?」

「恥をかかせるのか?」

「いや、公爵家が勝手なのでは?」

「帝国が黙っていないぞ……!」

 アレクシスは手を広げ、芝居がかった声で言った。

「君の力は、見込んでいたものではなかった。王家の名にふさわしい魔力を持っていない。自分の立場をわきまえてくれ!」

 ミレイユが目に見えない場所で、ゆっくりと微笑んだ。
 声は優雅に響く。

「殿下は、結婚には向いていらっしゃらなかったのでしょう」

 リリアンヌは、少しも泣かなかった。
 視線を落とし、不思議なほど静かな呼吸のまま言った。

「……承りました」

 声に震えはない。
 ただ、目だけが深く凍っていた。

 その瞳は、冬の湖面のように澄み、凍りついて、音もなく感情を封じ込めている。

 アレクシスが声を荒げる。

「君は反論しないのか?」

「反論の必要はございません」

「悔しくないのか!」

「悔しさとは、あなたに理解される感情ではありませんわ」

「何だと?」

「わたくしの価値は、数字やあなたの判断では測れません」

 その瞬間、周囲が静まり返った。
 風が止み、空気が張りつめる。

 ミレイユだけが、楽しくて仕方ないというように微笑を深める。

「数字がすべてですわよ。魔力社会は合理的ですもの」

「あなたにとっては、そうなのでしょう」

 ミレイユは甘く囁いた。

「婚約が消えても、殿下の結界は溶けませんの? それとも……もう霧散している?」

 リリアンヌは、そのとき初めて微笑んだ。

「わたくしの結界を、あなたが計れると思って?」

 ミレイユの目がわずかに揺れた。

「殿下の力は……もう弱っていらっしゃるはず」

「あなたの罠を理解しながら、なお結界は維持しておりますわ」

「維持……? 本当に?」

「帝国第五王女の結界は、婚約破棄では解けません」

 その言葉が広場に落ち、冬の空がわずかに震えた。

 ミレイユの笑顔が、初めて崩れた。

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