『帝国第五王女の結界は、婚約破棄では解けません』

春秋花壇

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第9話 『審判』

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第9話 『審判』

 冬の午後、学園の大講堂は、いつになく重たい空気で満ちていた。
 大理石の床は冷たく、薄い靄がかかっているように感じる。
 生徒や教師、そして学園役員たちが一斉に席につき、ざわめきだけが微かに揺れていた。

 壇上に立つのは帝国皇帝。
 その隣には、白い外套を纏ったリリアンヌ。
 彼女の指先には、まだ薄い震えが残っていたが、瞳は曇りなく澄んでいる。

 皇帝の声が講堂を包んだ。

「婚約破棄は認めよう」

 その一言に、場内がわずかにざわつく。
 軽い雪のような囁き声が、天井に跳ね返って揺れた。

「だが――」

 皇帝が一歩前に出る。
 靴音が大理石に吸い込まれるたび、空気が締めあがる。

「帝国第五王女に対する侮辱、魔力搾取、公開の辱めは――国家犯罪だ」

 公爵ヴァレンシアは、その瞬間、膝から崩れ落ちた。
 膝が床に当たる鈍い音が、静寂を裂く。

「ち、違うのです陛下、私どもは……ただ、ただ家庭教育を――」

「黙れ」

 皇帝の声音は静かだった。
 叫びではない。
 だが、誰も逆らえない。

「王女を家庭教育に名を借りて雑務に使い、魔力を搾取し、公開の場で侮辱した」

 その言葉が落ちるたび、公爵の肩が震えた。

 皇帝はゆっくりとミレイユを見た。
 彼女はすでに涙を流し、声もなくしゃくり上げている。

「ご、ごめんなさい……私はただ、アレクシスの婚約者になりたかっただけなの……!」

 ミレイユの声は掠れ、必死だった。
 頬は濡れ、指先は冷えて青ざめている。

「欲望は罪ではない。人を好きになるのも罪ではない」

 皇帝は表情を変えずに続けた。

「だが、王女を“餌”に使い、力を削ぎ、辱めて自分が上に立つ――それは国家への反逆と同義だ」

 ミレイユの肩が震え、床に額をつけて泣き伏した。

 アレクシスは頭を抱えていた。
 指の間から見える横顔は、土のように色を失っている。

「王女は愛玩ではない。
 外交と魔法は帝国の財産であり、国家の安全保障だ。
 その力を故意に削ぐとは、帝国の防御を傷つけたに等しい」

 皇帝がそう言うと、講堂の空気が一層重くなった。
 窓の外では木立の枝が風に軋み、どこか遠い鐘が鳴った。

「証拠を示せ」

 学園長が震える声で言った。
 彼は皇帝の怒りが政治的威圧ではなく、事実に基づくものなのかどうかを、恐れながら問うた。

「よかろう」

 皇帝はリリアンヌに目を向ける。

「娘よ。結界を映し出せ」

 リリアンヌは小さく頷き、両手を胸の前で組んだ。
 かすれた声で、囁くように詠唱する。

「――記録結界、解放」

 次の瞬間、講堂の中央上空に、淡い金色の光が立ち上がった。
 光は粒子となり、ひとつの透明な幕へと形を変える。

 映し出されたのは、公爵家の廊下。
 そこには、リリアンヌが重たい買い物袋を抱えて歩く姿。
 雪の降る庭で、一人で剪定を続ける姿。
 深夜、濡れた床を雑巾で磨く姿。
 息が白く、指先が凍え、肩が沈んでいる。

 ミレイユが笑顔で言う。

「王女殿下、ここも磨いてくださいまし。床は王族の品格に直結しますわ」

 アレクシスの声が重なる。

「王族だからこそ雑務を学べ。ミレイユは正しい」

 ざわ…と講堂が揺れる。

 次の映像。
 魔法学園の屋外競技場。
 リリアンヌが痛みに膝を押さえながら魔力コンテストに参加しようとする。

 ミレイユの声。

「殿下、私の魔力増幅器をお使いになれば、もっと楽にできますわよ?」

 競技が始まる。
 魔力は光になり、観客席に鮮やかに舞い上がる。

 しかし――
 増幅器は光を吸い込み続ける。
 吸い込まれた魔力は、ミレイユの杖に流れていく。

 リリアンヌの顔が苦しみに歪む。
 唇が震え、指先が痙攣している。
 観客は気づかない。
 ただ、光の多彩さに歓声を上げる。

 ミレイユは爽やかに笑う。

「殿下、大丈夫ですよ。休憩なさってくださいませ」

 最後に、中央広場――魔力量発表の日。

 ミレイユが囲まれ、称賛を浴びる。
 リリアンヌは最下位。
 噂が雪崩のように広がる。

「王女なのに魔力が低い!」

「雑務ばかりしてたら当たり前だ!」

 アレクシスが人前で叫ぶ。

「婚約破棄を申し渡す!!」

 ミレイユが囁く。

「無能な王女にふさわしい結末よ」

 映像が消えた瞬間、講堂全体が息を呑み、誰かが思わず泣いた。
 椅子が軋む音さえ痛い。

 リリアンヌは目を伏せていた。
 涙はない。
 ただ、長い冬をひとりで耐えてきた人の静かな顔だった。

 皇帝は口を開く。

「この結界は国家の魔法庁で検証済み。改竄できない。
 事実として、王女を侮辱し、魔法力を奪い、公開の場で辱めた――」

 静寂。

「これを――国家犯罪と裁く」

 アレクシスの肩が震えた。
 頭を抱え、膝をつき、うめき声を漏らした。

「ち、違う、僕は……僕はただ、ミレイユの才能を信じて……!」

「信じることは罪ではない」

 皇帝の声は氷のように透明だった。

「だが、王女を犠牲にした瞬間、君は“国家”を敵に回した」

 ミレイユは泣き崩れ、指先で床を掴んだ。

「お願いです、陛下!私はただ、愛されたかっただけなんです!」

「愛されることは自由だ。
 だが――人を蹴落とすために王家を利用した瞬間、自由は法に追われる」

 講堂には、冬のような静けさが落ちた。

 雪が降ったわけでもない。
 ただ、重く、深い静寂が、人々の胸に積もっていく。

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