マッチ売りの少女

春秋花壇

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第3話:祖母の優しさと金色の炎

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第3話:祖母の優しさと金色の炎

『マフラーの記憶』

 寒さは、いつの間にか痛みを越えて「しびれ」に変わっていた。
 指先は自分のものじゃないみたいで、軽く触れても感覚がない。

「ねぇ……ミリエル。さっきの火……すぐ消えちゃったね」

 答えは返らない。
 ただ、小さな布の人形が、リナの胸のあたりでこつんと揺れた。

 遠くから除夜の鐘がまた聞こえた。
 大晦日の夜はいつも、街が浮かれていく。けれど、リナにはその浮かれが、どんどん自分から遠ざかっていく音に聞こえた。

 風が、頬を切るように吹きつける。

「……しんどいな」

 声にすると、胸がひゅうっと縮むような気がした。
 お腹の痛みは少し落ち着いたけれど、今度は胸の奥が苦しくなっていく。

「もう一本……だけなら」

 リナは震える手で木箱を開いた。
 マッチの軸が規則正しく並んでいる。
 その整列が、なぜか祖母が並べて収納していた調味料棚と似ていて、胸がきゅっとした。

「……二本目、つけてもいい?」

 問いかけは誰に向けたものでもなく、気持ちを支えるための呪文のようだった。

 リナはマッチを一本つまんだ。
 指が寒さでこわばり、つまんだ軸を落としそうになる。

「うまく……できるかな……」

 ぎゅっと息を吸い、擦った。

 ――シュッ。

 乾いた音のあと、金色の火がぱっと咲いた。
 風に負けない、強い光だった。

「あ……あったかい……」

 火の色が、少しだけ赤みを帯びて揺れ始める。
 そしてその光の向こうに――暖炉のオレンジ色が広がっていった。

「え……?」

 リナの周りの冷たい空気が、ふわっと緩む。
 まるで誰かがやさしく部屋の扉を開け、暖かい空気が流れ込んできたように。

 暖炉の炎が、ぱち、ぱち、と小さく弾けていた。
 薪がはぜる匂い。
 木が焦げる甘い香り。
 祖母の家、冬の午後の香り。

「……おばあちゃん……」

 声が自然に漏れた。

 そこに、祖母が座っていた。
 編み物をしていたときのあの姿のまま。
 ひざ掛けの上に毛糸玉を転がし、優しい目でリナを見つめている。

『おいで、リナ』

 その声は、たしかに耳の奥で響いた。

「おばあちゃん……本当に……?」

 足が勝手に動いてしまう。
 暖炉の前に近づくと、温かさがぐんと増した。
 火の熱が頬を包み、指先にじんわり血が戻るようなぬくもり。

『寒かっただろうねぇ』

 祖母は、その大きくて柔らかい手で、リナの赤いセーターの袖をそっと引き寄せた。
 その触れ方が優しくて――胸が、急に熱くなった。

 祖母の膝にのせられた毛糸のマフラー。
 深い緑色の毛糸だった。
 リナが幼稚園のころ、毎年冬になると巻いてくれた。

「これ……」

 指先で触れると、毛糸がふわりと指の腹に吸い付いた。
 懐かしい感触だった。

『リナ。心はね、凍らせちゃいけないよ』

 その言葉を聞いた瞬間――
 リナの胸の奥で、何かが音を立ててひび割れた。

「……っ!」

 ずっと我慢していたものが、決壊するように溢れた。
 目の前がぼやけて、気づけば頬を涙が伝っていた。

 はじめは、一粒だけ。
 でも次の瞬間、ぽた、ぽた、と大きな涙が落ちていく。

「おばあ……ちゃん……会いたかった……ずっと……!」

 涙は止まらなかった。
 頬から落ちるたび、暖炉の光がそれを金色に染める。

『泣いていいんだよ、リナ。泣いて、あたためなさい。凍ったところに涙が落ちれば……また動き出せるからね』

 祖母の声の柔らかさが、心の芯まで染み込んでいく。

「……あたたかいよ……ここ……」

 リナは祖母のマフラーを胸に抱いた。
 その毛糸の感触が、どれだけ恋しかったか分からない。

 祖母はリナを抱きしめ、背中をゆっくり撫でた。
 そのたびに、心の氷が少しずつ溶けていくようだった。

『大丈夫。リナは、ひとりじゃないよ』

 その言葉が落ちた瞬間――

 ――ふっと、光が揺れた。

「……え?」

 暖炉の炎がかすかにしぼんでいく。
 祖母の姿が、ゆらゆら揺れて薄くなっていく。

「やだ……待って……」

 リナは手を伸ばした。
 祖母の膝に触れようと必死だった。

『リナ。あなたは、強い子だよ。どんなに冷たくても、心さえ凍らせなければ――』

「行かないで……!」

 リナの声は震えていた。
 でも、祖母の姿は光とともに薄れ、やがて煙のように消えた。

 そして――火が、消えた。

 現実が、冷たい息を吹き返す。

 膝に抱えていたマフラーはない。
 祖母の手もない。
 暖炉も、家の匂いも、すべて消えた。

「……うそ……」

 目を見開いたまま、リナは呟く。
 頬に残った涙だけが、祖母の存在を証明していた。

 でも涙はすぐに冷えて、塩の味が唇に落ちていく。

「……おばあちゃん……」

 風が吹き、身体が震える。
 あの金色の温かさが恋しすぎて、胸が痛い。

「もっと……そばにいてほしかった……」

 リナはミリエルを抱きしめ、ぎゅっと目を閉じた。
 もう一度だけ会いたい。
 もう一度だけ、あの手の温度に触れたい。

 でも涙は、もう温かいままではいられなかった。
 風に当たるとすぐ冷え、頬に痛みを残した。

 ただ、胸の奥に――
 祖母の声だけが、まだ小さく揺れていた。

『リナ。心を、凍らせちゃいけないよ』

 それが、リナを支えるたったひとつの光だった。

つづき
第4話:見つからない「愛」の形
『光の輪の外』
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