マッチ売りの少女

春秋花壇

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第4話:見つからない「愛」の形

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第4話:見つからない「愛」の形

『光の輪の外』

 ――光が、痛かった。

 歩道の向こうで、年末セールの看板が輝いている。
 通りの上には電飾がゆらめき、金色の小さな粒が雪のように降りそそぐ演出になっていた。

「すごい……きれい……」

 リナは思わず見上げた。
 細い首が冷たい風にさらされて震えた。

 けれど、そのきれいさは、胸にちくりと刺さる種類の光だった。
 あんなにも明るいのに、自分はその中に入れない。

「……ミリエル。もう一本だけ……ね?」

 人形は黙っていた。
 でも、リナはその沈黙が「だいじょうぶ」と言ってくれている気がした。

 木箱を胸の前で抱え、四本目のマッチをそっと取り出す。
 指先の皮膚が薄くなって、軸をつまむだけで痛い。

「火……ついて……お願い」

 擦った。

 ――シュッ。

 ぱっと、光が咲く。
 電飾よりも温かい光だった。

「あ……」

 目の前に、豪華なリビングが現れた。
 赤いソファ、金色のクッション、大きなクリスマスツリー。
 天井からはシャンデリアの光が降りてきて、舞い降りる雪のように部屋を照らしていた。

 その下で、家族が笑っていた。

「ケーキ、切るよー!」

「ママ、ぼく大きいやつ!」

「しょうがない子ね、はいはい」

 笑い声がふわふわと空気に乗って、リナの心に流れ込んでくる。

「……いいなぁ……」

 声が自然に漏れた。

 赤いセーターの袖を握りしめながら、リナはそっとツリーの近くへ歩いた。
 ツリーの足元には、きれいな包装紙に包まれた箱がたくさん積まれていた。

「プレゼント……」

 小さな箱に手を伸ばした。
 リボンの光沢が、指先のすぐ目の前で輝いている。

「少し、触るだけなら……」

 そう呟いた瞬間――

 箱が、輪郭を失った。
 煙みたいにうすくなり、消えた。

「……え?」

 指は空を切った。
 風のように、なにも触れられなかった。

「待って……」

 手を伸ばせば伸ばすほど、ツリーも、ソファも、ケーキも薄れていった。

「やだ……消えないで……!」

 せめて、触れられたなら。
 せめて、呼んでくれたなら。
 せめて、一瞬でいいから、その輪の中に入れたなら。

「……っ」

 炎が弱くなり、揺れ、瞬き、そして消えた。

 現実の夜が戻ってくる。
 風の冷たさがまた襲いかかる。

「なんで……触れちゃダメなの……?」

 リナの声は、怒りと悲しみの境目で震えていた。

 雪が舞い、お腹が痛む。
 胸の奥は、空洞のように冷えていく。

「もう一本……」

 自分でも止められないように、リナは五本目をつまんだ。

 ――シュ。

 光。

 次に現れたのは、温かい食卓。
 家族六人が円になり、鍋を囲んでいた。
 湯気がふわっと立ち上がって、天井の電球をぼかしている。

「いただきまーす!」

 鍋の中で、肉が煮える音。
 息を吸うと、タレの甘い香りが肺へ広がる。

「いい匂い……」

 リナは喉を鳴らした。
 唾がじゅわっとあふれてくる。

 鍋のそばへ寄る。
 そこには、自分と同じ年頃の女の子が座っていた。
 家族に囲まれ、笑っている。

「……わたしも……」

 思わず、椅子の背に手を伸ばした。
 座りたい。
 ともに笑いたい。
 “いただきます”と言いたい。

 でも――

「また……」

 手が空を切った。
 椅子は、触れようとした瞬間、輪郭を失って消えた。

「どうして……どうして、いっしょにいちゃダメなの……?」

 涙がこぼれそうになったが、リナは強く唇を噛んだ。

「あたし……何か悪いことした?」

 自分の声がひどく小さく聞こえる。
 湯気の匂いだけが、いつまでも鼻に残った。

 そしてまた火が消えた。
 夜が戻る。

 歩道に腰を下ろし、マッチの燃えかすを握る。

「……欲しいのは、物じゃない」

 それは、リナが初めて口にした本音だった。

「ケーキでも……プレゼントでも……鍋でもない……」

 胸の奥が熱くなる。
 涙が込み上げる。
 けれど、涙はすぐ冷えてしまうから、落ち着くまで目をぎゅっと閉じた。

「ほしいのは……」

 唇が震える。

「“リナ”って呼んでくれる声だよ……」

 夜の風が吹く。
 街の光がまぶしく瞬く。
 誰かの笑い声が遠くから聞こえる。

 全部、自分のものではない世界。

「名前を呼んでほしいだけなのに……どうして、こんなに遠いの……」

 ミリエルの頭を胸に押し当てる。
 人形の布は冷たくて、しかしその冷たさが少しだけ支えになった。

「おばあちゃん……呼んで……」

 自分でも驚くほど弱い声だった。
 でも、名前を呼んでくれる人は、もうどこにもいない。

 雪は静かに降り続ける。
 街の光は、やっぱりまぶしくて、どれも自分に届かない。

 リナはその光の輪の外で、ひとり、小さな影のまま座っていた。

「……わたし、ここにいるよ」

 その呟きは、誰にも届かなかった。

 でも――
 その声はたしかに、リナ自身の心の奥底で、かすかな灯りになっていた。

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