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『見えない空腹、聞こえない声』
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『見えない空腹、聞こえない声』
エピローグの後。
清掃員の男――名を田島という――は、その日も淡々と街を歩いていた。
朝の冷たい空気。
雪の匂い。
遠くで学校のチャイムが鳴っている。
田島はポケットの中の“未開封のマッチ箱”を指でなぞりながら思った。
「最近……リナみたいに、誰にも気づかれずに消えていく子ども、多いんじゃないか」
そう呟くと、横を歩く同僚が苦笑した。
「またニュース見すぎだろ。子どもの貧困なんて、外国の話だよ」
「……いや。
日本でも“9人に1人”が貧困状態だって、こども家庭庁が言ってた」
「え、そんなに?」
「あぁ。ひとり親世帯だと“2人に1人”だ。
半分だぞ。半分」
同僚の足が止まった。
「……ウソだろ、それ」
「ウソじゃない。
給食がない夏休みなんかは、
“1日1食”になる子が、普段の3倍以上になるらしい」
「……3倍?」
「あぁ。
お前、昨日の夕飯食べ忘れただけで腹減ったって騒いでただろ」
「……それは……まぁ」
「子どもがだよ。
しかも毎日だ」
雪を踏む音が、やけに大きく響く。
田島は続ける。
「栄養が足りないと、身体も頭も育たない。
幼少期に受けた栄養不足は、大人になってからの病気のリスクになる。
……それなのに、“見えない”。」
「見えない?」
「子どもってさ……
“親の家計がどれほど苦しいか”知らないだろ?」
「あぁ、まあ」
「だから言わないんだ。
『お腹すいた』も、
『もっと食べたい』も、
『給食が唯一の食事』も」
田島は空に舞う雪を見つめた。
「……静かに、誰にも気づかれず、凍えていくんだ」
同僚は言葉が出なかった。
靴底が雪を踏む音だけが、二人の間に落ちた。
「なぁ田島……なんで急にそんなこと考える?」
田島は、ポケットからマッチ箱を取り出す。
小さな四角。
リナが最後に残した“希望の箱”。
「……あの子を見てからだよ」
「……リナって子?」
「あぁ。
あの子は……
すれ違う誰にも見えなかった。
気づかれなかった」
息が白く広がる。
「もしかしたら……日本にもいっぱいいるのかもって思ったんだ。
名前も呼ばれずに、
話も聞かれずに、
“子どもの姿のまま、社会から消えていく子”が」
同僚は小さく震えた。
「……そんなの、あっていいのかよ」
「よくないさ」
田島の声は静かで、でも重かった。
「こども家庭庁は色々やってる。
教育支援も、生活支援も。
だが……本当に必要なのは、
『気づく大人』なんだと思う」
「気づく……大人?」
「あぁ。
“声が出せない子ども”に、まず大人が気づくこと。
それができたら……たぶん、救われる子が増える」
田島は歩きながら、ふと路地裏へ目を向けた。
ダンボールが重ねられ、破れた布の中で、小学生くらいの少年が膝を抱えている。
薄いブルゾン。
凍った指先。
唇が紫に近い色をしている。
田島は足を止めた。
「……おい、寒いだろ。
家はどこだ?」
少年はビクッと顔を上げた。
目が怯え、震えている。
「……だ、だいじょうぶ……」
「大丈夫じゃないよ」
田島はゆっくりしゃがんだ。
雪の冷たさが膝を刺す。
「最後に食べたのは?」
「……えっと……」
少年は指を折る。
「……きょうは……まだ」
田島の胸が締めつけられた。
「なぁ、おじさん……」
少年が小さな声で続ける。
「ぼくの話……聞いてくれる?」
「もちろんだ」
その瞬間――
少年の目に、わずかな光が宿った。
田島は思った。
(リナ……
お前の願いは、やっぱり届いてるよ)
田島は少年の手を取った。
手は氷のように冷たかった。
「行こう。あったかいとこ、知ってる。
ご飯もある。
一緒に行こう」
少年は小さく頷いた。
その頷きは、
凍った心にやっと生まれた“春”のようだった。
雪が降り続ける。
白い世界の中で、
たった二つの影が寄り添いながら歩き出す。
そしてその影は、
確かに“見えていた”。
エピローグの後。
清掃員の男――名を田島という――は、その日も淡々と街を歩いていた。
朝の冷たい空気。
雪の匂い。
遠くで学校のチャイムが鳴っている。
田島はポケットの中の“未開封のマッチ箱”を指でなぞりながら思った。
「最近……リナみたいに、誰にも気づかれずに消えていく子ども、多いんじゃないか」
そう呟くと、横を歩く同僚が苦笑した。
「またニュース見すぎだろ。子どもの貧困なんて、外国の話だよ」
「……いや。
日本でも“9人に1人”が貧困状態だって、こども家庭庁が言ってた」
「え、そんなに?」
「あぁ。ひとり親世帯だと“2人に1人”だ。
半分だぞ。半分」
同僚の足が止まった。
「……ウソだろ、それ」
「ウソじゃない。
給食がない夏休みなんかは、
“1日1食”になる子が、普段の3倍以上になるらしい」
「……3倍?」
「あぁ。
お前、昨日の夕飯食べ忘れただけで腹減ったって騒いでただろ」
「……それは……まぁ」
「子どもがだよ。
しかも毎日だ」
雪を踏む音が、やけに大きく響く。
田島は続ける。
「栄養が足りないと、身体も頭も育たない。
幼少期に受けた栄養不足は、大人になってからの病気のリスクになる。
……それなのに、“見えない”。」
「見えない?」
「子どもってさ……
“親の家計がどれほど苦しいか”知らないだろ?」
「あぁ、まあ」
「だから言わないんだ。
『お腹すいた』も、
『もっと食べたい』も、
『給食が唯一の食事』も」
田島は空に舞う雪を見つめた。
「……静かに、誰にも気づかれず、凍えていくんだ」
同僚は言葉が出なかった。
靴底が雪を踏む音だけが、二人の間に落ちた。
「なぁ田島……なんで急にそんなこと考える?」
田島は、ポケットからマッチ箱を取り出す。
小さな四角。
リナが最後に残した“希望の箱”。
「……あの子を見てからだよ」
「……リナって子?」
「あぁ。
あの子は……
すれ違う誰にも見えなかった。
気づかれなかった」
息が白く広がる。
「もしかしたら……日本にもいっぱいいるのかもって思ったんだ。
名前も呼ばれずに、
話も聞かれずに、
“子どもの姿のまま、社会から消えていく子”が」
同僚は小さく震えた。
「……そんなの、あっていいのかよ」
「よくないさ」
田島の声は静かで、でも重かった。
「こども家庭庁は色々やってる。
教育支援も、生活支援も。
だが……本当に必要なのは、
『気づく大人』なんだと思う」
「気づく……大人?」
「あぁ。
“声が出せない子ども”に、まず大人が気づくこと。
それができたら……たぶん、救われる子が増える」
田島は歩きながら、ふと路地裏へ目を向けた。
ダンボールが重ねられ、破れた布の中で、小学生くらいの少年が膝を抱えている。
薄いブルゾン。
凍った指先。
唇が紫に近い色をしている。
田島は足を止めた。
「……おい、寒いだろ。
家はどこだ?」
少年はビクッと顔を上げた。
目が怯え、震えている。
「……だ、だいじょうぶ……」
「大丈夫じゃないよ」
田島はゆっくりしゃがんだ。
雪の冷たさが膝を刺す。
「最後に食べたのは?」
「……えっと……」
少年は指を折る。
「……きょうは……まだ」
田島の胸が締めつけられた。
「なぁ、おじさん……」
少年が小さな声で続ける。
「ぼくの話……聞いてくれる?」
「もちろんだ」
その瞬間――
少年の目に、わずかな光が宿った。
田島は思った。
(リナ……
お前の願いは、やっぱり届いてるよ)
田島は少年の手を取った。
手は氷のように冷たかった。
「行こう。あったかいとこ、知ってる。
ご飯もある。
一緒に行こう」
少年は小さく頷いた。
その頷きは、
凍った心にやっと生まれた“春”のようだった。
雪が降り続ける。
白い世界の中で、
たった二つの影が寄り添いながら歩き出す。
そしてその影は、
確かに“見えていた”。
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