愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと

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3.私を忘れた夫②

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「それにね、あの子は全部の記憶を取り戻したと思っていたけどそうじゃなかったわ。話してみると実際には数年間の記憶は戻ってないままだった。
お医者様が言うにはこのままかもしれないし、いつか戻るかもしれないけれど、それははっきりとは分からないと言っていたわ。
ごめんなさいね、マリア。こんな事になってしまって…」


記憶の欠落という義母の言葉に『…やっぱり』と思った。

エドは馬車から降りてきたとき他人を見るような目で私を見ていた。
そこには私への愛情は感じられなかったし、女性を一緒に連れてきた申し訳なさは微塵もなかった。

そこにあったのは家に帰れた安堵と一緒に連れてきた女性と赤ん坊への気遣いだけ。

妻である私に対する感情は不自然なほどなかった。


つまりはエドには私との記憶は一切ないのだろう。


そうでなければ彼が私にあんな態度を取るとは思えない。


 そんな人ではなかったもの…。



「エドは私と結婚していることを忘れているんですね……」

それは質問ではなく、思わず呟いてしまった言葉。


「ええ、あなたと出会った頃からの記憶はまだ欠落したまま思い出していない。だから私達から自分に妻がいることを聞いて酷く動揺しているわ。記憶がないあの子は自分は独身だと信じていたのだから。
それは相手の女性もだけど…。
二人はエドワードと正式に結婚してここで暮らすために帰ってきたの。まさかもうすでに結婚していて妻がいるなんて思ってもいなかったみたいで。
とにかく混乱していたけど、このまま伝えない訳にもいかないから全てを伝えたわ」


良かったと思った。私からはとてもじゃないけど彼に冷静に伝えるなんて出来ない。


「それでエドはなんて言っていましたか?」


聞くのは怖かったけど聞かないわけにはいかない。だって私は彼の妻だから。


「あなたが目を覚ましたら話し合いたいって言っているわ。でもね、無理しなくていいのよ。
突然こんな事実と向き合えって言われても難しいことだから、もっと気持ちを落ち着けてからでいいのよ、マリア」

義母は嫁いできた私を実の娘のように可愛がってくれている。
だから私に無理をさせまいと気を遣ってくれているのは分かる。

でもそれに甘えてもなにも解決はしない。


「私、エドと話をしてみます。正直…私も混乱していてちゃんと向き合えるか分かりません。でもあの女性や子供のことをそのままにもしておけませんから」


自分から二人の存在に触れておきながら、自分の言葉で心を抉られる。


「本当にごめんさない、マリア。あの子の帰りを信じて待っていてくれたのはあなただけだったのに…」


謝り続ける義母に優しい言葉を掛けることはできなかった。今の私にはそんな余裕はなかったから。

ただ夫がこの瞬間にも私のことを、そして他に忘れている大切なことを思い出してくれることを願い続けていた。

ここは彼と私が築いてきた家庭があった場所だから思い出してくれるはず。
そしたら彼は私を前のように抱きしめてくれるわ。

残酷な現実を前にしても希望は捨てられなかった。
 

 私達は愛し合っているんだから。
 きっと思い出してくれるわ。

 そして『ただいま』って言ってくれるはず。

 エド、そうよね…。



この状況を私とエドだったら二人で乗り越えられるとこの時の私はまだ信じて、…いいえ、信じようとしていた。
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