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12.記憶の喪失③〜エドワード視点〜
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『これもなにかの縁だから』と言って男爵家の人達は、記憶のない俺の面倒を見てくれている。
『…誰かも分からない俺をいさせてくれて有り難うございます』
目も見えない状態で役に立つこともない。それに記憶がないので謝礼を申し出ることすら出来ない。ただ好意に甘えて礼を口にするだけ。
『なあに、もともと家族は多いんだから一人増えても大した違いはないから気にしないでくれ。男爵と言っても貧乏だから何のもてなしも出来ないが、長女と次女は結婚して家を出たから部屋だけは余っているんだ。気にせずゆっくりしてくれていい』
男爵家当主の言葉のあとからその妻や子供達も『そうよ、気にしないで』『生活に変化があるのも楽しいからな』と口々に言ってくれる。
俺が世話になっている男爵家は貴族といっても平民に近い暮らしをしているようだ。ここら辺は土地が痩せていて農作物も不作の年が多く、低位貴族は貴族とは名ばかりらしい。
だからなのか彼らには気取ったところがなく親しみやすい。だが粗野というわけではない、礼儀作法はそれなりにしっかりしているので、男爵家の人々は平民と貴族の良いところを合わせ持った感じだった。
そんな親切な人達の元で俺の身体は順調に回復していく。
「良かったわね、ジョン。マイク先生も若いから治るのが早いって感心していたわ」
そう言って男爵家の三女ラミアは目が見えない俺の手を引いて外に連れ出してくれる。
『ジョン』と呼ばれているが、名前を思い出したわけではない、名無しのままでは困るのでこの辺りでよくある名前で呼ばれているだけだ。
「今日は天気もいいわよ、お日様の日差しを肌で感じるかしら?ちょっと先で子豚達が喧嘩しているわ。『ブゥブゥー』って可愛い鳴き声が聞こえるでしょう。声から子豚の色って分かるのかしらね…?ジョン、何色か当ててみて!」
屈託のない明るい声。
ラミアは男爵家の中でも俺の面倒を一番親身になって見てくれている。いつも他愛のない話しで俺の気を紛らわそうとしてくれる優しい人だ。
昼間は彼女の明るさに助けられ、不安や喪失感から目を背けることが少しは出来ている。
献身的に世話をしてくれる彼女には感謝しかない。
だが心の奥にこびりついて離れない恐怖は夜に俺を苦しめ続けている。
自分が何者かわからない恐怖は思っていた以上に辛いものだった。
自分ではしっかりと立っているつもりなのにふと足元を見るとそこにはあったはずの地面がなく、気づいた瞬間に底なしの闇に落ちていくような怖さを感じるのだ。
昼間は俺のことを気遣ってくれる男爵家の人が側にいるから平気なふりをしていたが、一人になる夜は毎晩悪夢にうなされる。
なにもない暗闇を見えない目で進もうとする自分。
どちらに進んでいいのかさえ分からない。何があるか分からないので一歩足を踏み出すことさえ恐ろしくて堪らない。
泣きながら這いつくばっている自分は必死になにかに向かって手を伸ばしている。
その先に何があるというのだろうか。
夢の中での俺は、大人の男のくせに滑稽なほどみっともなかった。
…だれか、誰か……。
どこにいるんだ、一人にしないでくれっ。
『……、……ア、……』
いつも何かを叫んで目が覚める。身体は汗に濡れ目からは涙が零れ、何かで刺されているかのように胸が苦しかった。
胸に手を当てるがそこにはなにもない。
でも痛みは本物だった。
俺はいったい…なにを叫んでいるんだろうか。
目覚めた時には自分が何を言っていたかは覚えておらず、残っているの焦燥感だけ。
伸ばした手も空っぽのまま…。
なにを掴もうとしていたんだ?
それを掴めたら、俺は楽になれるのか…。
身体の回復は驚かれるほど早かったが、反対に心は蝕まれていく。
問い合わせているにも関わらず依然として身元も判明しない。『もしかして俺には探してくれる家族はいないのか…』と思わずにはいられない。
思考だけがどんどん悪い方へと進んでいく。
悪夢から逃れたくて睡眠時間を削るようにしていたが、ある晩男爵家の家族と一緒に夕食を食べていると近くにあった酒を間違って飲んでしまった。
そしてそのせいでいつもより深い眠りに落ちてしまう。
夢の中は相変わらず闇しかなかった。
だがその闇は生き物のように俺の身体にまとわりついて、何かを訴えてくる。言葉ではなく肌から感覚が染み込んでくる。
喪失、悲しみ、苛立ち、嘆きといった負の感情が身体と心を浸食してくる。
息が…でき、なっ…い…。
まるで空っぽの俺を断罪するかのごとく、闇はもがき苦しむ俺を離そうとしない。
『……、……ア、……ィア!』
俺は必死に叫び手を伸ばす。だがいつもその声は闇にかき消され、伸ばした手は何も掴めないまま…。
はっは…は、あああああーーー。
『………ィアっ……』
俺は『なにか』ではなく『誰かの名』を呼んでいた。
『…誰かも分からない俺をいさせてくれて有り難うございます』
目も見えない状態で役に立つこともない。それに記憶がないので謝礼を申し出ることすら出来ない。ただ好意に甘えて礼を口にするだけ。
『なあに、もともと家族は多いんだから一人増えても大した違いはないから気にしないでくれ。男爵と言っても貧乏だから何のもてなしも出来ないが、長女と次女は結婚して家を出たから部屋だけは余っているんだ。気にせずゆっくりしてくれていい』
男爵家当主の言葉のあとからその妻や子供達も『そうよ、気にしないで』『生活に変化があるのも楽しいからな』と口々に言ってくれる。
俺が世話になっている男爵家は貴族といっても平民に近い暮らしをしているようだ。ここら辺は土地が痩せていて農作物も不作の年が多く、低位貴族は貴族とは名ばかりらしい。
だからなのか彼らには気取ったところがなく親しみやすい。だが粗野というわけではない、礼儀作法はそれなりにしっかりしているので、男爵家の人々は平民と貴族の良いところを合わせ持った感じだった。
そんな親切な人達の元で俺の身体は順調に回復していく。
「良かったわね、ジョン。マイク先生も若いから治るのが早いって感心していたわ」
そう言って男爵家の三女ラミアは目が見えない俺の手を引いて外に連れ出してくれる。
『ジョン』と呼ばれているが、名前を思い出したわけではない、名無しのままでは困るのでこの辺りでよくある名前で呼ばれているだけだ。
「今日は天気もいいわよ、お日様の日差しを肌で感じるかしら?ちょっと先で子豚達が喧嘩しているわ。『ブゥブゥー』って可愛い鳴き声が聞こえるでしょう。声から子豚の色って分かるのかしらね…?ジョン、何色か当ててみて!」
屈託のない明るい声。
ラミアは男爵家の中でも俺の面倒を一番親身になって見てくれている。いつも他愛のない話しで俺の気を紛らわそうとしてくれる優しい人だ。
昼間は彼女の明るさに助けられ、不安や喪失感から目を背けることが少しは出来ている。
献身的に世話をしてくれる彼女には感謝しかない。
だが心の奥にこびりついて離れない恐怖は夜に俺を苦しめ続けている。
自分が何者かわからない恐怖は思っていた以上に辛いものだった。
自分ではしっかりと立っているつもりなのにふと足元を見るとそこにはあったはずの地面がなく、気づいた瞬間に底なしの闇に落ちていくような怖さを感じるのだ。
昼間は俺のことを気遣ってくれる男爵家の人が側にいるから平気なふりをしていたが、一人になる夜は毎晩悪夢にうなされる。
なにもない暗闇を見えない目で進もうとする自分。
どちらに進んでいいのかさえ分からない。何があるか分からないので一歩足を踏み出すことさえ恐ろしくて堪らない。
泣きながら這いつくばっている自分は必死になにかに向かって手を伸ばしている。
その先に何があるというのだろうか。
夢の中での俺は、大人の男のくせに滑稽なほどみっともなかった。
…だれか、誰か……。
どこにいるんだ、一人にしないでくれっ。
『……、……ア、……』
いつも何かを叫んで目が覚める。身体は汗に濡れ目からは涙が零れ、何かで刺されているかのように胸が苦しかった。
胸に手を当てるがそこにはなにもない。
でも痛みは本物だった。
俺はいったい…なにを叫んでいるんだろうか。
目覚めた時には自分が何を言っていたかは覚えておらず、残っているの焦燥感だけ。
伸ばした手も空っぽのまま…。
なにを掴もうとしていたんだ?
それを掴めたら、俺は楽になれるのか…。
身体の回復は驚かれるほど早かったが、反対に心は蝕まれていく。
問い合わせているにも関わらず依然として身元も判明しない。『もしかして俺には探してくれる家族はいないのか…』と思わずにはいられない。
思考だけがどんどん悪い方へと進んでいく。
悪夢から逃れたくて睡眠時間を削るようにしていたが、ある晩男爵家の家族と一緒に夕食を食べていると近くにあった酒を間違って飲んでしまった。
そしてそのせいでいつもより深い眠りに落ちてしまう。
夢の中は相変わらず闇しかなかった。
だがその闇は生き物のように俺の身体にまとわりついて、何かを訴えてくる。言葉ではなく肌から感覚が染み込んでくる。
喪失、悲しみ、苛立ち、嘆きといった負の感情が身体と心を浸食してくる。
息が…でき、なっ…い…。
まるで空っぽの俺を断罪するかのごとく、闇はもがき苦しむ俺を離そうとしない。
『……、……ア、……ィア!』
俺は必死に叫び手を伸ばす。だがいつもその声は闇にかき消され、伸ばした手は何も掴めないまま…。
はっは…は、あああああーーー。
『………ィアっ……』
俺は『なにか』ではなく『誰かの名』を呼んでいた。
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