一番になれなかった身代わり王女が見つけた幸せ

矢野りと

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1巻

1-3

 翌朝、指定された時間よりもかなり早くに昨日の広場へ着いた。
 すでにローゼン国の者たちは揃っていて、後方にはタイキがおり、彼の周りには同じ服をまとった騎士たちもいる。たぶん彼らが飛狼竜騎士なのだろう。昨日のことを踏まえて、ローゼン国が配慮しているのか、飛狼竜の姿はなかった。
 各国の後宮の華候補たちとその供が徐々に広場に集まってくる。供の数は三名までとなったが、守っていない候補者もいた。許可を取ったとは思えないから、ごり押しするつもりなのか。
 しかし、ローゼン国の者は彼女たちに特に注意はしない。許しているというふうではないから、きっと言葉が通じない者にく時間を取らないのだろう。通達を守らない候補者たちは、自分は特別扱いなのだと周囲に知らしめるかのように高笑いしている。
 いつ気づくのだろうか、すでに見放されていることに……
 そんなことを考えていると、指定された時間が過ぎていた。

「カナニーア様、変ですよね?」
「そうね、ここまで減るなんておかしいわ」

 通達によって人数が減るのは理解できるが、どう見ても減りすぎているのだ。供の数が少なくなっても王女の数は変わらないはずなのに、明らかに魅力溢れるお肉――ではなく妃候補たちの姿が減っている。

「こんなに餌が少ないと、万が一のとき危ないですよね……」

 ドーラがぽつりとつぶやいた。
 主食が減ればそのぶん、デザートである私たちまで辿りつく確率が上がってしまう。私たちは肩を寄せ合って、万が一に備えて話し合う。あくまでも念のためだけれど、備えあればうれいなしである。

「……もしものときは全力で逃げましょう、ドーラ」
「……。……はい」

 話し合いを終えても私たちの顔に笑みはない。うれいが晴れるどころか増した気がするけれど、ある意味腹はくくれた。

「自主的に辞退された方がいますが、これから王宮に向けて十組に分かれて馬車で移動します。待遇、警護などに差は一切ありません。何か問題があればすぐに対応させていただきます」

 騎士団長が詳細について説明する。
 十人の妃候補たちとその供をひとつの組として、それぞれにローゼン国の世話役と騎士と飛狼竜騎士がつくという。
 昨日の様子を考えれば辞退も納得だったが、ローゼン国に慌てた様子が一切ないところを見ると予想通りの展開なのだろう。実際にローゼン国王に目通りできる者は何人残るのだろうか。選ばれなくとも、見聞を広めて帰るとお兄様と約束をしたのだから、早々の脱落だけは避けたい。それにローゼン国の王宮まで行ければ、モロデイ国のために何か得られることもあるはずだ。
 説明が終わるとすぐに、それぞれ組に分かれて挨拶を交わす。妃候補たちはお互いにライバルなので親しくするつもりはないと言わんばかりの素っ気ない態度だ。みんな国の期待を背負ってここにいるのだから、それは仕方がないことである。

「ドーラ、準備はいい?」
「もちろん万全です、カナニーア様」

 私はたったひとりの供であるドーラと一緒に出発前の最終確認をする。
 ローゼン国は供を減らすことを求めていたから、ひとりだけのほうがよいと判断し彼女にだけ残ってもらった。それはドーラ本人の申し出だけでなく、私の希望でもあった。
 彼女は伯爵令嬢だけど家族の不祥事によってつらい立場にある。だからこそ私に最後まで追従させることで、彼女の名誉を挽回したいのだ。そうしたら、この先彼女は好きな人と結ばれることができるかもしれない。余計なお世話かもしれないけれど……
 私はモロデイ国を背負ってここにいるけれど、こっそりとひとつだけ目的を増やしていた。その考えはドーラに伝えてはいない。きっと話したら『こんなときくらい自分のことを優先してください』と泣かれてしまうから。
 ――優しくて温かくて、私が泣くと、こっそり陰で一緒に泣いてしまう人。もし私に姉がいたなら、きっと彼女のような感じなのだろう。
 少ない荷物をローゼン国の者に手渡しているドーラの背中を見つめていると、後ろから声をかけられた。

「やっぱり残ったな、カナニーア王女。俺は違う組の警護だ」
「そうですか、すごく残念です。タイキ様」

 探していたわけではないけれど、真っ赤な髪が別の組にいるのに気づいていた。できることなら彼と一緒の組になれたらと思っていた。彼のような気さくな人が近くにいてくれると心強いし、きっと楽しい旅になる。

「そう言ってもらえるとは光栄だ。だがすぐに会うことになるだろうから、そんなに残念がることはねぇよ」
「ですが、それぞれ組ごとに王宮まで移動すると聞きました。警護は途中で入れ替わるのですか?」
「いいや、入れ替わりはない。ただ今は人数が多いから組に分かれて行動するだけで、その必要がなくなったら会えるってことだ。どんなに嫌なヤツでも最後まで責任を持って警護しろと、上から口うるさく言われてるからなー。チッ、人使いが荒いんだよ、ローゼン国は」

 上とは騎士団長のことだろう。口ではそう言いながらも、タイキは嫌そうな顔は全然していなかった。こういうことを嫌味なく言えるような関係性なのだろう。

「まあ、すぐに答えが出るから。ちょっと待ってろ」

 彼はくっくく、と含み笑いをする。
 何を待てと言うのだろうか、と疑問が浮かぶ。もしかしたらローゼン国は人数をもっと減らしたいと望んでいるのかもしれない。でも、ここにいるのは飛狼竜への恐怖をかろうじて乗り越えて残った者たちで、簡単に離脱するとは思えない。
 もしやローゼン国は旅の間に何か仕掛けてくるつもりなのだろうか。

「やっと、お披露目が始まるぞ。カナニーア王女、待たせたなっ」

 タイキの視線が森へ向けられると同時に、風が吹いていないにもかかわらず木々がざわざわと揺れ始めた。周囲の人たちもその異変に気づき、森から少しでも離れようと後退りする。

「ガウルルゥ……」

 唸りながら飛狼竜が一斉にその姿を表した。
 その体は巨大な熊よりも遥かに大きく、畳まれている蝙蝠こうもりのような翼を広げたらどれほどの大きさになるのか想像がつかない。鋭い爪は竜、耳は狼、尻尾は鼠のように細くツルンとしていて、体を覆った固いうろこの間からまばらに毛が生えている。狼のモフモフ要素も、竜の畏怖すべき凛々しさも皆無だ。
 ……こ、これは飛狼竜というより飛狼竜鼠ひろうりゅうねずみ
 すべてにおいてマイナス要素だけが強調されている不気味な姿は、想像よりも百倍は恐ろしい。
 そんな飛狼竜たちが鋭く尖った歯をき出しにして、ダラダラと唾液を垂らしている。そのうえ、まるで獲物を狙っているかのように、妃候補とその供たちをその目に映しながら舌舐めずりしている。

「カ、カ、ナニーアさ……ま。あれってどういう目でしょうか……」
「えっ……と、たぶん、飛狼竜のよろしくお願いします……かしら?」

 歯の根が合わない私とドーラが、カチカチと音を立てながら器用に話していると、タイキがニヤニヤしながら告げる。

「ん? あれは腹が減ってるって目だなー。朝飯は食わせたんだが、目の前に餌がうじゃうじゃいるから仕方がないな」

 彼の言葉を裏付けるように、飛狼竜の手綱たづなを持っている飛狼竜騎士たちは「おい、待て。それは食べるな!」と怒鳴っている。……妃候補とその供のほうをしっかりと指差しながら。
 飛狼竜騎士の切羽詰まった叫びに、みなの動きが一瞬だけ止まり、そのあと一斉に動き出す。

「きゃー、助けて!」
「うわぁー、来るな、食べるな!」
「いやよ、わたくしはもう帰りますわ……」

 泣き喚く者、走り出す者、その場で倒れる者で、広場は阿鼻叫喚あびきょうかんちまたと化す。
 私とドーラはいつの間にか抱き合って――というより、お互いの体にすがりついていた。

「あいつら、うれしそうに笑ってやがる。くっくく、本当に可愛いな。そう思うだろ? カナニーア王女も」

 彼から同意を求められても私はうなずけない。どこからどう見ても可愛いとは真逆である。それにあの顔が笑みだというのなら餌を前にして喜んでいるからであって、私たち餌側の人間は全然うれしくない。

「カナニーア様……」

 ドーラはもう涙声になっている。私だって王女でなかったら泣きたい。でも、ここは主君である私がしっかりしなければ。

「タイキ様、あの子たちはみんな骨好きですか? それとも一頭だけですか?」
「安心しろ、俺の飛狼竜だけだ」

 不敵な笑みを浮かべるタイキ。鮮やかな赤い瞳は嘘をついているようには見えないので、信じることにした。

「ドーラ、一頭だけですって。よかったわ、ねっ?」
「カナニーア様、何も安心できません……」
「だな!」

 ドーラの正しい指摘に、彼が余計な同意を重ねてきた。たしかに、あの大きさならふたりぶんはペロリに違いないと私も涙目になる。
 このあと、場が落ち着きを取り戻すまで数刻かかった。結局、辞退者が続出して候補者たちはさらに半分ほど減ることになった。ローゼン国から引き止める言葉はなく、これも予定通りなのだろう。
 ……選定というよりも、まるでふるい落とすのが目的みたいだわ。ローゼン国は何を考えているのか。もしかしたら後宮の華を選ぶことだけが、目的ではないのかもしれない。しっかり見極めて動かなければ。

「カナニーア様、お気をつけくださいませ。また何かあるかもしれません」
「ええ、わかっているわ。ドーラも気をつけて」

 私と同じことを思ったのだろう、ドーラが耳元で囁いてくる。
 出発のかけ声が耳に届くと同時に、私たちが乗った馬車が動き出す。あのお披露目で、私の組の候補者たちは六人になっていたが、予定通りに組ごとに分かれて王宮に向け出発したのだった。
 ローゼン国が組んだ旅程は、妃候補への配慮が十分に窺える快適なものだった。にもかかわらず、出発初日から問題が発生する。

「この料理は口に合いませんわ、それにこのお酒も。別のものを用意してください。それにこの宿もひどいものです。次はもっとましな場所を選んでくださいね」
「それはできません。みなさまには同じものを提供しております。誰かひとりを特別扱いはいたしません。ご了承ください」

 ある王女は用意されたものすべてにケチをつけ、ローゼン国は丁寧な言葉でそれを拒絶した。ここで要求を呑んだら、ほかの候補者たちに示しがつかないので当然である。
 何よりローゼン国が用意したものは最高級でなくとも、礼を尽くしたものであった。このレベルのものを、この大人数に提供できるだけでもすごいことなのに、その候補者は理解しようとしない。

「今回のローゼン国の対応は母国に帰ってから、しっかりと報告いたしますわ!」
「では、国境沿いまでお送りいたします」

 こうしてひとり目が早々に去ることになったのだが、残った妃候補たちもさまざまな場面で要求を口にする。そのどれもが正当な理由はなく、我儘わがままといえるものであった。自国ならば容易に叶えられただろうが、ここは他国である。結局、些細な願いさえ叶えられないと憤慨して、ひとりまたひとりと自主的に去っていき、ローゼン国も引き止めることはなかった。


 出発から一週間ほど経つと同じ組の妃候補は私だけになってしまい、新たな町に着くなり計画の変更を告げられた。

「ほかの組の到着を待って編成をやり直します。大変申し訳ございませんが、この町にしばらく滞在することになります。みなさまが揃うまでは、ご自由にお過ごしくださいませ」
「はい、わかりました」

 ローゼン国の事情を考えれば不満に思うことはなかった。私だってローゼン国の立場だったら、効率よく旅を続けるために同じことをする。
 そして、町に着いてからさらに一週間が経過した。まだすべての組は到着していないので、私とドーラはローゼン国の言葉通り自由に過ごしていた。

「カナニーア様、今日もあの子のところに行くのですか? 騎士にしか懐きませんよ」
「それでもいいの。飛狼竜はローゼン国にしかいないでしょ。見聞を広めて帰るとお兄様と約束したから、少しでもローゼン国でしか得られない知識を増やしたいの」

 飛狼竜のもとへ行こうとする私をドーラは止めようとはしない。 
 旅の間、私たちは飛狼竜への恐れを少しでも克服しようとこっそりと観察を続けていた。

『あっ、今、鼠の尻尾がクルルンと回ったわ。きっとうれしいのよ! ドーラ』
うろこの間から出ている毛は、苗を植えたばかりの畑みたいです、カナニーア様』
『それに見て、ドーラ。頭に生えているもさっとした毛はひよこがちょこんと乗っているみたいだわ』
『まあ、そんな独創的な見方もあるのですね。カナニーア様は目の付けどころが違います』
『あら、あの爪を蟹に見立てて、食べたらおいしいかもと言えるドーラのほうがすごいわ』

 こんなふうにいいところを積極的に探した結果、飛狼竜が見かけと違っていることに気がついたのだ。
 うれしいときには鼠の尻尾を振り回し、『グルルルゥ……』と地獄の番犬のような声を発しながら飛狼竜騎士に甘えている。
 そして、決して私たちを襲おうとはしない。以前、誤って誰かの供が飛狼竜の前にその身を投げ出してしまったときも、ガフンッと鼻息を吐いただけで無視した。私たちの存在なんて歯牙にもかけていないのである。
 さらに飛狼竜は相棒の騎士の命令には絶対に背かないという事実を踏まえて、出発時の広場でのあれは演技だと結論づけたのだ。その結果、意外と可愛い生き物かも……? と思えるようになってきていた。
 だからこそ、時間さえあれば飛狼竜の観察を続けている。ドーラには供としてほかにやるべきことがあるので、最近はひとりで行っていた。

「こんにちは、フロル。今日もいい天気ね。頭のひよこちゃんも絶好調みたいね」
「ガルルゥゥ……」
「私が来て喜んでくれているのね、ありがとう。私も会えてうれしいわ」

 私が話しかけているのはフロルという名の雌の飛狼竜で、私の組の警護をしている飛狼竜騎士――ゾルドの相棒である。彼は親切で気さくな若者で、攻撃をしなければ襲ってこないなど、飛狼竜のことをいろいろ教えてくれた。
 フロルはそろりそろりと柵越しに、いつものように頭を出してくる。

「はいはい、ブラッシングね。わかっているわよ、フロル」

 飛狼竜は頭頂部に生えている毛を梳かれるのが好きだ。フロルが自分から頭を出してきたら触ってもかまわないと言われているので、ブラッシングは最近の日課になっている。
 私はこうして信頼を勝ち取り、じわりじわりとフロルとの距離を縮めていた。ブラッシングの件をドーラが知ったら心配して止められそうなので、内緒にしているけれど。
 ……でも、経験しなければ得られないものもある。
 今日はこっそり試してみたいことがあった。

「フロル。私ね、言語を勉強するのが趣味なの。だからちょっとだけ試させてね。嫌だったら無視していいから」

 飛狼竜騎士が飛狼竜に対して、ローゼン国の古語をもとにした特殊な言語を使って命令しているのは周知の事実だが、発音が非常に難しく他国の者は真似できない。発音が正しいから命令をきくという単純なことでもないらしいが……

「……グルル」

 なんだか微妙な間があった。「……やめとけ、恥をかくぞ」と言われたように感じる。あんなにブラッシングをしてあげているのだから、「駄目もとで頑張れ!」と少しは応援してくれてもいいのにと思ってしまう。
 ……むむ、フロルめ。
 ローゼン国で正直なのは、人だけでなく飛狼竜も同じようだ。

「こっほん、まあいいわ。フロル、※$!」

 ――シュタッ。
 なんとフロルは私の命令通りに動いてくれた。私の発音でも通じたのだと飛び上がって喜ぶ。

「フロル、お利口さんね! すごいわ」
「おいおい、カナニーア王女は何をやってんだぁ……」

 聞き覚えのある声がしたほうを見ると、そこにはタイキと彼の飛狼竜がいた。彼らは私とフロルを凝視している。その声音こわねは責めているものではないけれど褒めてもいない。

「お久しぶりです、タイキ様。……あの、勝手にやったら駄目でしたか?」
「いや、駄目じゃねぇよ。駄目じゃねぇけどな……」

 おずおずと尋ねる私に、タイキと彼の飛狼竜は揃ってため息をついた。勝手に飛狼竜に命じたことを怒られたのではないとわかって安堵する。

「カナニーア王女。なんでその言葉を発音できるんだとか聞きたいことは山ほどある。だが、まずはこの質問に答えてくれ。なんでなんだっ!?」

 彼は顔にかかった自分の前髪を乱雑にかき上げながら、私とフロルを交互に見てくる。

「それとはなんですか? タイキ様」
「だ・か・ら、なんで飛狼竜にをさせてんだって聞いてるんだよ! 可愛い子犬じゃねぇんだよ、飛狼竜は。何を命じるにしろ、もっと格好いいことやらせろよ……」

 タイキはまたため息をつき、彼の飛狼竜もブンブンと首を縦に振って同意を示す。
 すごく可愛いのにな……
 タイキの言葉で気まずくなってしまったのだろう、フロルは私の手の上にちょこんと置いていた爪の先をそろそろと下ろす。私の探究心のせいで悪いことをしてしまった。

「ごめんね、フロル。でもあなたはすごくお利口さんだから胸を張っていいのよ。きっとほかの飛狼竜はできやしないわ。私の拙い発音を理解できる飛狼竜なんて世界にあなただけよ」 

 頭のひよこ毛をなでながら慰めていると、後ろから唸り声が聞こえてくる。

「グルルゥゥ!!」
「はっ!? グレゴール、なんでお前やる気出してんだ? そんなことで張り合うなよ。自分だってできるとか、そんなやる気いらねぇからな!」

 フロルを褒め称える言葉にタイキの飛狼竜――グレゴールが反応した。女の子のフロルよりも、ひと回り大きな体がずんずんと近づいてくる。男の子だろうか。
 私の前まで来ると「ほらっ、試してみろよ」というような横柄な態度で私の言葉を待っている。
 ……飛狼竜は相棒に似るのかしら? そういえば、グレゴールの頭の毛もタイキと同じで真っ赤である。

「似てねぇからな」
「タイキ様、まだ何も言ってません」

 どうやらタイキは心が読めるようだ。

「その目が語ってたぞ」
「ごめんなさ――」
「そこは形だけでも否定しろ。地味に傷つくからな……」

 大雑把おおざっぱな人かと思っていたけれど、そうではなかったらしい。ここであとから否定するのはわざとらしいので、さり気なく話を元に戻すことにした。

「あの……、この子、どうしたらいいかしら?」

 私の目の前で胸を張ったまま動かないグレゴールを指す。

「グレゴールは頑固だからなぁ。仕方がない、やってくれ。まあ、こいつはプライドが高いから、やらないと思うけどな」

 そうか、私の拙い発音を聞いて、フガッと鼻で笑いたいだけなのかもしれない。とりあえず、この状況を終わらせようと恥をかく覚悟で口を開く。

「グレゴール、※$!」

 ――シュタッ!
 グレゴールはすぐさま反応した。フロルと差をつけたかったのか、爪の角度にまで気を配り見事な直角なお手を披露したうえで、「ほれ、どうだ! 俺が世界一だ」とばかりに限界まで胸を反らしてみせる。そして、鼠そっくりな尻尾はグルングルンと勢いよく回転していた。うん、すごく可愛いな……

「グレゴール!!」

 相棒であるタイキの悲痛な叫びを耳にしたグレゴールは、気まずそうに私の手からそっと爪を下ろし、彼のそばへ急ぐ。それから「グルルル……」と、うなだれている彼を慰めている、……たぶん。

「……で、どういう経緯? 誰から習ったんだ? まさかゾルドから教わったのか? 二週間つきっきりで? 寝食以外の時間はずっと一緒で? ……チッ、あいつめ、許さん」

 なんだかタイキから殺気を感じる。それは目の前の私にではなくゾルドに向けたものだけど。

「いいえ、違います。ゾルド様から教わったわけではありません。実は、言語を学ぶのが私の趣味で、ローゼン国の古語についても以前調べたことがありました。だから飛狼竜騎士が使っている言葉に興味があり、この二週間で自分なりに意味を推測していました」
「はぁ……、よかったぁ。にしても……ローゼン国の古語をもとにしているが、そっくりそのままじゃない。この短期間で推測するなんて、すげえな……」

 そうつぶやく彼からは先ほどまでの殺気が嘘のように消えていた。本当に驚いているのが伝わってくる。
 褒められて照れてしまうけれど、実はそんなにすごいことではない。ローゼン国の古語の知識があって、飛狼竜の近くにいれば可能なことだ。みんな飛狼竜を恐れてそばに寄れないだけで。
 想定外だったけれど、その機会が得られた私は本当に運がいい。

「文法は基本的に決まりがあるので、それほど難しくはなかったです。ただ発音がすごく難しくて、短い単語しか発声できません。それが――」
「お手だったんだな」
「その通りです。深い意味はありません」

 タイキは苦笑いしながらも、上手だったなとグレゴールの頭の真っ赤なひよこ毛を梳いている。褒められてうれしいのだろう、グレゴールの尻尾はパタパタと揺れていた。

「まだ試していませんが、お座りと伏せもできそうな気がします。試してもいいですか?」

 言語の習得には実践あるのみだから試したい。これは、ローゼン国でしか得られない経験である。

「……今はやめてくれ」
「タイキ様、ありがとうございます!」

 今は駄目ということは、あとでならかまわないという意味だと、私は声を弾ませ破顔する。
 フロルに「また付き合ってね」と頼むと、彼女だけでなくグレゴールも唸ってくれた。やはり飛狼竜騎士と相棒の飛狼竜は似るようで、どちらも困っている人に手を差し伸べる優しさを持っている。

「まあ、疑問も解けたことだし、仕切り直すか。久しぶりだな、カナニーア王女。また会えてうれしいよ」
「私もタイキ様に会えてうれしいです。タイキ様の飛狼竜とは今日が初めてですね。こんにちは、グレゴール。私はカナニーアよ、よろしくね」
「グルルルゥ……」

 グレゴールはよだれを垂らしながら歓迎してくれていた、……たぶん。

「カナニーア王女は成長したな。飛狼竜が怖くなくなったのか? こいつが骨好きなのは本当だぞ」

 タイキは片方の口角だけ上げて笑いながら、歯をき出しにしているグレゴールに視線を向ける。

「観察していたら悪食あくじきではないと知りましたから。それに人と同じで、見た目で判断するのは間違っているとも気づきました。……噂もあてにならないと」

 最後の言葉はローゼン国に対しての当てこすりだ。
 飛狼竜に関する悪い噂をローゼン国が否定してこなかったのは、たぶん利があったからだ。その噂にまんまと踊らされたほうが愚かなのか、それともローゼン国が一枚上手うわてだったのか。
 たぶん後者だろうと思うのは、この国に滞在し実際に見聞きしたことから導きだした答えだった。王女という立場は自由が利かないので、直接多くのことを学べる機会なんて滅多にない。きっかけはサミリスの身代わりだったけど、こういう機会が得られて幸運だった。

「噂はしょせん噂に過ぎないってことだな。そうだ、これから一緒に王宮へ向かうことになったぞ」

 彼の言葉を聞き思わず笑みがこぼれる。

「タイキ様の組に私が入るのですか?」
「いや、そうじゃない。俺の組は残念ながらひとりも残らなかった。この町まで辿りつけた妃候補は結局七人だけだ。まあ、ローゼン国流が無理だったんだな」

 たしか出発時、妃候補は五十人ほどいたはずだ。減るとは予想していたけれども、正直ここまでとは思っていなかった。ほかの組も私の組と似たりよったりの状況だったのだろう。

「カナニーア王女はつらくなかったのか?」

 ここは平気ですと言うのが正解だろうけれど、助けてくれたタイキに嘘は言いたくなかった。それにローゼン国は情報を共有するのだろうから、ここで見栄を張っても意味がない。


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