1 / 72
1.プロローグ〜前世〜
しおりを挟む
――『偽聖女を処刑しろっ!』
私が処刑台の上に引きずり出されると、取り囲んでいる民衆の怒声が一瞬で歓声へと変わった。
小石を投げつけて来る者までいるけれど、その行為を咎める者は誰もいない。
見る見る間に私の体は血に染まっていく。小さい石とは言え、力いっぱいに投げつけられたら立派な凶器となる。痛みは感じなかった。……それほどまでに心が麻痺していたから。
苦痛に歪む顔を期待していた者達は『最期の時まで図太い女だなっ!』と忌々しげに睨みつけていた。
その中には以前『聖女様、どうかお救いください……』と私に救いを求めてきた人もいる。
今は、同じ口で私を罵り、その眼差しには怒りを宿している。
人とはこんなに簡単に変わるものなのね……。
一年前この国では流行病が蔓延し、治療法が分からないまま多くの人は亡くなっていた。そんななか私の弟も罹ってしまった。
私は弟を助けたくて必死にいろいろな薬草を煎じて飲ませた。そして、たまたま効果がある薬草の調合方法を見つけた。家族と一緒に森に住んでいた私は、もともと薬草の知識に長けていたとは言え、これは本当に奇跡だった。
すぐにその調合方法を周りの人に教えたが、加減が大変に難しく正しく行えるのは私だけだった。
『どうか、その知識を使って病で苦しんでいる民を救ってくれ』
『はい、国王様。私に出来ることならなんでもいたします』
国からの要請を受けた私は、騎士団と一緒に国中を巡って薬草の調合を行った。
『ああ、痛みが引いていく。まるで奇跡だ。有り難うございます、聖女様』
『いいえ、違います! 私はただ、薬草を調合しているだけで――』
『神が遣わした聖女でなければ、こんな事出来やしません。聖女様、万歳!』
一人がそう言うと、他の人達も『聖女』という言葉を口にし始める。
治ったことで興奮している人々の耳に否定の言葉は届かなかった。
呼び方なんてどうでもいいわ、そんなことよりも調合を優先させなければ……。苦しんでいる人がまだ多くいる現実に私は焦っていたのだ。
――いつしか私は当たり前のように『聖女』と呼ばれるようになっていた。
流行病が落ち着き王都に帰還すると、私は聖女を騙った罪で捕らえられた。
しかし、罪状はそれだけではなかった。
私利私欲を満たすために国費を散財した、気に入らない者には薬を与えず意図的に殺害した。拷問される度に罪状は増えていき、最終的にはこの流行病も私が仕組んだことになっていた。
国中を回って助けるふりをしながら、実は主要な水源に毒を混入していたというのだ。
『そんなのおかしいです!私が到着する前から流行病は広がっていたのに』
『その証拠はどこにある?』
『みんな、知ってます。一緒に旅をしていた人達は――』
『ああ、みんな口を揃えて言っていたぞ。病人がいなかった街でもお前が到着したあとから病が広がったとな』
『そんなの嘘です!』
『だ・か・ら、証拠は? 小娘がたった一人喚いたところで証拠がなければ意味はない』
尋問官はせせら笑っていた。この時になって必死になって誤解を解こうとしても無駄だと悟った。
――目的は私を陥れること。
王家は平民の私を便利に使おうとした。でも、王家の威信を脅かす聖女という存在になった私は許せなかったのだろう。
平民の私は政治というものに無知だった。
ただ、救える命を救いたかった。
それだけだったのに……。
『お前が罪を認めないなら、家族が苦しむことになるぞ』と言われ、早々に犯してもいない罪を認めたにも関わらず、苛烈な拷問は処刑当日まで止むことはなかった。
これは出過ぎた真似をした制裁なのか。それとも、罪人への通常の扱いなのか……。
両足の爪が剥がされ、両手の指が潰され、薬で喉を焼かれ、どこかしら壊れていく日々に思考も感情も奪われていった。
こうして、処刑台に引き連れ出された時には、もう痛みを感じることさえ心が拒絶するようになっていた。
早く…終わりたい……。
私が願ったのは自分の死だけだった。
処刑人は俯く私の髪の毛を乱暴に掴んで顔を横に向けさせ『おい、見ろっ』と告げてきた。
「…っ、……あ゛、あ゛……」
視線の先にあったのは、急遽作られたもう一つの処刑台だった。潰された喉から懸命に声をあげようとするけれど、声は出てこない。
なんで、なんで……、どうしてよ……。
罪を認めたら家族には手を出さないって言ってたのに。どうしてここにみんながいるのっ!
そこには、手を後ろで縛られ跪いている父と母と兄と、それから震えながら立っている幼い妹がいた。大切な家族が処刑台の上に乗っている意味は一目瞭然だった。
「大切な者を失う辛さを思い知れ。お前の悪行で多くの民が苦しみ、みんな大切な者を奪われたんだ」
「…、あ゛あ゛…! 」
処刑人が私の耳元で残酷な言葉を囁いてくる。違う、違う、私はやっていない!出ない声の代わりに必死で首を横に振って否定したけれど、意味はなかった。
――ドサッ……。
父の逞しい体が棒切れのように倒れた。
いや、いや、やめて!お願い神様、助けてく…だ…さぃ…。
赤い涙を流しながら願ったのは家族への救いだった。私はどうなってもいい、でも家族だけは助けてくださいと。しかし、無情にも母の体も父に寄り添うように横たわり、すぐさま兄もそれに続いた。
優しい両親と頼りになる兄の目は開いたままだが、もうその目には何も映していない。
ごめんなさい、ごめんな…い……。
「うわぁーん、ひっく、ひっく…。お姉ちゃん、怖いよー。助けて……」
「あ゛あ゛あ゛……」
父と母と兄の死を目の当たりにして、妹は私に助けを求めてきた。
年の離れた五歳の妹はとても活発で一時だってじっとしていられない子だった。それなのに今は恐ろしくて動けずにいる。
――あの子だけでも、助けてあげたい。
今の私に妹を守る力なんてないと分かっていても、何もせずにはいられなかった。処刑人を押しのけて身を乗り出そうとすると、ドンッと体を床に叩きつけられる。胸の辺りから骨が軋む音がしたけれど、構わずあがき続けた。
お姉ちゃんが行くから、絶対に行くから……。
声の代わりに目で訴える。
「コイツ、いい加減にしろっ」
頬を平手で殴られた反動で私の視界から妹の姿が外れ、次の瞬間、あの子の声が消えてしまった……。
慌てて視線を元に戻すと、妹の小さな体も動かなくなっていた。軽すぎる体は音も立てずに倒れたのだ。
さっきまで泣いていたのに……。
さっきまで一生懸命手を伸ばしていたのに……。
まだ温もりが残っているだろうその手は、まだ私に向かって伸ばされている。
『お姉ちゃん、手を繋いであげるね♪』
『ありがとう、リリア』
末っ子だから甘えん坊で、いつだって家族の誰かと手を繋いでいた小さな妹。
――今、その手はひらいたまま。
ああぁぁぁぁぁ‥……。
声にならない声を上げながら慟哭する私の様子に、自分達と同じ苦しみを与えられたと歓声は一際大きくなる。
――「罪人を処刑しろ」
国王が静かにそう命じると、私の背中は剣で引き裂かれ跪いていた体が傾いていく。血溜まりに横たわる私を見ながら人々は『俺の子の無念を思い知れ!』『父ちゃんの仇だ』と叫んでいる。
私の罪を疑っている者は誰もいない。王家の手に掛かれば白を黒にするのは造作もないこと。私だって今までは、王家からの発表を鵜呑みにしていた一人だった。
いったい何がいけなかったというのだろうか。見捨てれば良かったのだろうか……。
赤く染まってぼやけた視界に大切な人の姿が映った気がしたから『ごめんね、ごめんね…‥』と心の中でその言葉だけを繰り返した。
――私は罪人として処刑された。
私が処刑台の上に引きずり出されると、取り囲んでいる民衆の怒声が一瞬で歓声へと変わった。
小石を投げつけて来る者までいるけれど、その行為を咎める者は誰もいない。
見る見る間に私の体は血に染まっていく。小さい石とは言え、力いっぱいに投げつけられたら立派な凶器となる。痛みは感じなかった。……それほどまでに心が麻痺していたから。
苦痛に歪む顔を期待していた者達は『最期の時まで図太い女だなっ!』と忌々しげに睨みつけていた。
その中には以前『聖女様、どうかお救いください……』と私に救いを求めてきた人もいる。
今は、同じ口で私を罵り、その眼差しには怒りを宿している。
人とはこんなに簡単に変わるものなのね……。
一年前この国では流行病が蔓延し、治療法が分からないまま多くの人は亡くなっていた。そんななか私の弟も罹ってしまった。
私は弟を助けたくて必死にいろいろな薬草を煎じて飲ませた。そして、たまたま効果がある薬草の調合方法を見つけた。家族と一緒に森に住んでいた私は、もともと薬草の知識に長けていたとは言え、これは本当に奇跡だった。
すぐにその調合方法を周りの人に教えたが、加減が大変に難しく正しく行えるのは私だけだった。
『どうか、その知識を使って病で苦しんでいる民を救ってくれ』
『はい、国王様。私に出来ることならなんでもいたします』
国からの要請を受けた私は、騎士団と一緒に国中を巡って薬草の調合を行った。
『ああ、痛みが引いていく。まるで奇跡だ。有り難うございます、聖女様』
『いいえ、違います! 私はただ、薬草を調合しているだけで――』
『神が遣わした聖女でなければ、こんな事出来やしません。聖女様、万歳!』
一人がそう言うと、他の人達も『聖女』という言葉を口にし始める。
治ったことで興奮している人々の耳に否定の言葉は届かなかった。
呼び方なんてどうでもいいわ、そんなことよりも調合を優先させなければ……。苦しんでいる人がまだ多くいる現実に私は焦っていたのだ。
――いつしか私は当たり前のように『聖女』と呼ばれるようになっていた。
流行病が落ち着き王都に帰還すると、私は聖女を騙った罪で捕らえられた。
しかし、罪状はそれだけではなかった。
私利私欲を満たすために国費を散財した、気に入らない者には薬を与えず意図的に殺害した。拷問される度に罪状は増えていき、最終的にはこの流行病も私が仕組んだことになっていた。
国中を回って助けるふりをしながら、実は主要な水源に毒を混入していたというのだ。
『そんなのおかしいです!私が到着する前から流行病は広がっていたのに』
『その証拠はどこにある?』
『みんな、知ってます。一緒に旅をしていた人達は――』
『ああ、みんな口を揃えて言っていたぞ。病人がいなかった街でもお前が到着したあとから病が広がったとな』
『そんなの嘘です!』
『だ・か・ら、証拠は? 小娘がたった一人喚いたところで証拠がなければ意味はない』
尋問官はせせら笑っていた。この時になって必死になって誤解を解こうとしても無駄だと悟った。
――目的は私を陥れること。
王家は平民の私を便利に使おうとした。でも、王家の威信を脅かす聖女という存在になった私は許せなかったのだろう。
平民の私は政治というものに無知だった。
ただ、救える命を救いたかった。
それだけだったのに……。
『お前が罪を認めないなら、家族が苦しむことになるぞ』と言われ、早々に犯してもいない罪を認めたにも関わらず、苛烈な拷問は処刑当日まで止むことはなかった。
これは出過ぎた真似をした制裁なのか。それとも、罪人への通常の扱いなのか……。
両足の爪が剥がされ、両手の指が潰され、薬で喉を焼かれ、どこかしら壊れていく日々に思考も感情も奪われていった。
こうして、処刑台に引き連れ出された時には、もう痛みを感じることさえ心が拒絶するようになっていた。
早く…終わりたい……。
私が願ったのは自分の死だけだった。
処刑人は俯く私の髪の毛を乱暴に掴んで顔を横に向けさせ『おい、見ろっ』と告げてきた。
「…っ、……あ゛、あ゛……」
視線の先にあったのは、急遽作られたもう一つの処刑台だった。潰された喉から懸命に声をあげようとするけれど、声は出てこない。
なんで、なんで……、どうしてよ……。
罪を認めたら家族には手を出さないって言ってたのに。どうしてここにみんながいるのっ!
そこには、手を後ろで縛られ跪いている父と母と兄と、それから震えながら立っている幼い妹がいた。大切な家族が処刑台の上に乗っている意味は一目瞭然だった。
「大切な者を失う辛さを思い知れ。お前の悪行で多くの民が苦しみ、みんな大切な者を奪われたんだ」
「…、あ゛あ゛…! 」
処刑人が私の耳元で残酷な言葉を囁いてくる。違う、違う、私はやっていない!出ない声の代わりに必死で首を横に振って否定したけれど、意味はなかった。
――ドサッ……。
父の逞しい体が棒切れのように倒れた。
いや、いや、やめて!お願い神様、助けてく…だ…さぃ…。
赤い涙を流しながら願ったのは家族への救いだった。私はどうなってもいい、でも家族だけは助けてくださいと。しかし、無情にも母の体も父に寄り添うように横たわり、すぐさま兄もそれに続いた。
優しい両親と頼りになる兄の目は開いたままだが、もうその目には何も映していない。
ごめんなさい、ごめんな…い……。
「うわぁーん、ひっく、ひっく…。お姉ちゃん、怖いよー。助けて……」
「あ゛あ゛あ゛……」
父と母と兄の死を目の当たりにして、妹は私に助けを求めてきた。
年の離れた五歳の妹はとても活発で一時だってじっとしていられない子だった。それなのに今は恐ろしくて動けずにいる。
――あの子だけでも、助けてあげたい。
今の私に妹を守る力なんてないと分かっていても、何もせずにはいられなかった。処刑人を押しのけて身を乗り出そうとすると、ドンッと体を床に叩きつけられる。胸の辺りから骨が軋む音がしたけれど、構わずあがき続けた。
お姉ちゃんが行くから、絶対に行くから……。
声の代わりに目で訴える。
「コイツ、いい加減にしろっ」
頬を平手で殴られた反動で私の視界から妹の姿が外れ、次の瞬間、あの子の声が消えてしまった……。
慌てて視線を元に戻すと、妹の小さな体も動かなくなっていた。軽すぎる体は音も立てずに倒れたのだ。
さっきまで泣いていたのに……。
さっきまで一生懸命手を伸ばしていたのに……。
まだ温もりが残っているだろうその手は、まだ私に向かって伸ばされている。
『お姉ちゃん、手を繋いであげるね♪』
『ありがとう、リリア』
末っ子だから甘えん坊で、いつだって家族の誰かと手を繋いでいた小さな妹。
――今、その手はひらいたまま。
ああぁぁぁぁぁ‥……。
声にならない声を上げながら慟哭する私の様子に、自分達と同じ苦しみを与えられたと歓声は一際大きくなる。
――「罪人を処刑しろ」
国王が静かにそう命じると、私の背中は剣で引き裂かれ跪いていた体が傾いていく。血溜まりに横たわる私を見ながら人々は『俺の子の無念を思い知れ!』『父ちゃんの仇だ』と叫んでいる。
私の罪を疑っている者は誰もいない。王家の手に掛かれば白を黒にするのは造作もないこと。私だって今までは、王家からの発表を鵜呑みにしていた一人だった。
いったい何がいけなかったというのだろうか。見捨てれば良かったのだろうか……。
赤く染まってぼやけた視界に大切な人の姿が映った気がしたから『ごめんね、ごめんね…‥』と心の中でその言葉だけを繰り返した。
――私は罪人として処刑された。
応援ありがとうございます!
22
お気に入りに追加
3,600
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる