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1巻
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僕に任せるのが心配だったら、最初から一緒に来ればいい。けれど、そうしたら僕を無能と指摘するのと同じ。だから、先輩はこんな回りくどい真似をした。
黒き薬師の承諾を得られれば僕の手柄に、もしだめだったら自分がどうにかするつもりでいたのだろう。
そして、自分が悪者になった。時間的に余裕がなかったから強引な手段を使いつつ、黒き薬師の怒りを物理的に解消させる形でうまく収めてくれた。
僕ひとりだったら、絶対にうまくいかなかった。
「これで冷やしてください、ルイト先輩」
「気が利くな。ありがたく使わせてもらうよ」
部屋に戻る前に宿の調理場からもらってきた氷を、手拭きに包んで差し出す。これで少しは腫れが引くといいのだが。
「テオ、全力で守るぞ」
僕に背を向けたまま、ルイト先輩はいつもの軽い口調で告げてきた。
「はい!」
誰を、と聞かなくてもわかる。黒き薬師オリヴィア・ホワイトのことを指している。
この宿に着く前、風に吹かれて黒い外套が外れたことがあった。
現れたのは醜い火傷の痕など一切ない、うら若き乙女。
長時間馬に揺られて疲れたのだろう、先輩にもたれかかって彼女は眠っていた。
白い陶磁器のような肌に、淡い桃色の頬、艶やかな唇。目を閉じていても彼女が美しい人なのはわかった。
『この格好の理由はこれか……』と痛ましそうにつぶやく先輩の声が耳に届く。
若い女性が美しい容姿を隠してひとりでひっそりと森で暮らしていることを考えれば、いろいろあってのこの選択なんだと容易に想像できた。
たぶん、平凡な僕では経験したことがない苦しみを知っているのだろう。これは彼女の鎧なのだ。
先輩と同じなんだな……
起こさないようにそっと外套を元に戻すルイト先輩を見ながらそう思った。理由は違うだろうが、自分を守るために隠している。
彼女はその容姿を、先輩は己の心を。
……久しぶりだったな、あんな顔のルイト先輩を見たのは。
彼女とのやり取りで一瞬だけ見せたあの柔らかい笑み。作り笑いや軽薄さで誤魔化すことなく、彼女によって引き出された素顔。
やっぱり先輩は変わってなかったと、懐かしくて涙が出そうになった。
僕の勝手な期待を押しつけるつもりはないけれど、彼女ならばと期待してしまう。なんとなく、オリヴィア・ホワイトなら先輩の鎧にヒビを入れてくれる、そんな気がしてならないのだ。
彼女なら常識を軽々飛び越えそうだ、あの綺麗な顔を躊躇なく殴ったように。きっと彼女にとっては美形だろうと熊だろうと、一緒なのだろうな。
熊に殴りかかっている彼女を想像するのは簡単だった。もちろん、勝者はオリヴィア・ホワイトだ。
僕は最高の薬師を見つけたのかもしれない。
第二章 黒き薬師と偽りの婚約
住んでいた森を出て五日後、私たちは王都に到着した。別世界のようなにぎわいの中、ルイトエリンは行き交う人に気をつけて馬の歩調をゆるめる。
「このまま騎士団が常駐している場所へ行くね、ヴィアちゃん。王都の中心にあるからすぐ着くよ。ほら、見えてきた」
彼が指さす先には、驚くほど立派な建物があった。騎士団ってお金があるんだなと思っていたら、なんと連れていかれた場所は王宮だった。
「……」
先に言っておいてほしかった。それを知ってどうなるものでもないけど、心の準備というものがある。
私はルイトエリンたちと別れると、王宮内で偉い人――名乗らなかったので嫌味を込めてそう呼ぶことにした――から今後の説明をされる。
なんと一週間後に騎士団に随伴し、辺境に行くらしい。本当は二週間後だったけれど、ありがたい御神託があったそうで予定を早めたという。
つまり、聖女から横槍が入ったのだ。
本当にはた迷惑な聖女である。きっと旅には事前の準備が必要で、集団が大きければ大きいほど時間がかかるとわかっていないのだろう。
そういう訳で、私は一週間のうちに薬草の在庫を確認し、不足しているぶんを補充するようにと命じられた。
ここで私がゴネても無駄なのはわかっているのでうなずく。
「それと、今日中にふたつの騎士団へ挨拶に行くように。くれぐれも失礼のないようにな。特に第一騎士団は上位貴族がほとんどだから、細心の注意を払うようにしてくれ」
「細心の注意とはどのようなことですか?」
思わず聞き返してしまう。私は貴族ではないから、上位貴族への礼儀作法がわからない。
「それだ、それ! 素直に『はい』とだけ返事をするんだ。生意気に聞き返したりするんじゃない。ましてや逆らうなんて言語道断だぞ。孤児のくせにっ」
「……はい、承知いたしました」
偉い人はあからさまに私を見下してきた。
そっちが頼んだくせにと思ったけれど、面倒くさそうな人だったので大人しく返事をした。こういう対応は残念ながら初めてではない。
もしこの場にルイトエリンたちがいたらどうなったのかな。
彼らがかばってくれたかもと、少しだけ期待してしまう。たった数日一緒に旅をしただけなのに、彼らの気さくさに私は甘えることを覚えてしまったようだ。
偉い人が私の前から立ち去ったあと、パンパンと顔を叩いて「しっかりしろ、私!」と気合を入れる。今までのように、これからだってひとりで頑張って生きていくのだ。
そのあと、私が最初に連れていかれたのは王宮に隣接している訓練場だった。
そこに第二騎士団がいたのだが、その中にルイトエリンとテオドルの姿はなかった。案内してくれた人に尋ねると聞こえているはずなのに無視された。
あの偉い人の子分――この人も名乗らなかったのでこう呼んでいる――だけあって嫌なヤツだ。外套の下で盛大に舌を出していると、立派な体格の騎士がこちらに向かって歩いてくる。
「ようこそ、黒き薬師殿。私は第二騎士団の団長を務めるルオガンだ。今回は引き受けてくれて感謝する」
「オリヴィア・ホワイトです。これからよろしくお願いします。事情があるのでこんな格好ですがお許しください」
ルオガン団長が歓迎の言葉を口にすると、第二の騎士たちはそれに続いた。黒い外套、黒い手袋という怪しげな薬師を第二騎士団は受け入れてくれた。
私は旅の途中でルイトエリンとテオドルに、醜い火傷の痕があるから黒い外套を被っていると伝えていた。きっと彼らが事前に失礼な態度を取るなと釘を刺してくれたのだろう。
次に連れていかれたのは、王宮内にある立派な訓練場で、そこには第一騎士団がいた。
同じように挨拶をすると、散々見慣れたあの視線を向けられた。
第一の団長は名乗りもせずに、軽く舌打ちしただけ。
上に立つ者が最低なら、騎士たちも負けず劣らず最低で、聞こえるように侮蔑の言葉を口にする。
「ちっ、孤児かよ」
はい、孤児ですね。
「……最悪だな」
それはこっちの台詞ですよ。
「誰だよ、こんなヤツ連れてきたのは」
超絶美形騎士と好青年騎士ですが、爪の垢でももらってきてあげましょうか?
ルイトエリンのあの軽ささえも、彼らを前にすれば懐かしく思えてくるから不思議だ。
第一と第二でこんなに雰囲気が違うとは思わなかった。
挨拶を済ませると、私は早々にその場から去った。彼らとは距離を置こう。愚か者とは関わらないのが一番だと身を以て知っている。
翌日。
さっそく私は王宮の端にある薬草庫で在庫の確認を始める。騎士団が所有しているだけあって、薬草の種類も量もうらやましいほど多かった。
忙しなく動いている私のもとに、第一の騎士がやってきた。
「おい、孤児のくせに薬草のことがわかるのか? ろくな教育も受けてないくせに」
「適当なこと言ってだましているんじゃないか? 卑しい孤児だもんな」
「だましてません。独学ですが、薬草の知識はありますので安心してください」
この国の薬師は資格が必要なわけではなく、薬草の知識さえあればその学び方は問われない。自称薬師は多くいるが、実際に周囲から本物と認識されているのはよくて半分くらいだ。
前世の知識を活かして今世でもさらに独学で知識を増やしている私は、その本物のひとりである。
「はん! 口ではなんとでも言えるよな」
「そうだ、そうだ」
子どもじみた嫌がらせを繰り返すふたりの騎士。私以外の人にはペコペコしていたから、見た目通り新米なのだろう。周囲に誰もいないのを見計らってやるのが、またいやらしいところだ。
貴族と揉めても勝ち目はないので、我慢我慢と自分に言い聞かせる。
しかし以降、小心者たちは一日に何度も邪魔しに来るようになった。そんなに暇なのだろうか。こっちは忙しいのだ、いい加減にしてほしい。
はぁ……、もう森に帰りたいな。
王都に到着して三日目にして、そう思わずにはいられなかった。泣き言を言ってるのではない。このままでは何かを盛ってしまいそうだと危惧しているのだ。
薬師を生業にしているから、無味無臭の下剤になる薬草だって知っている。普通は便秘改善のために用いるけれど、工夫次第でほかの使い方だってある。こっそりならいいかな……
気づけば彼らのためにお茶を用意し始めていて、はっとする。どうやら無意識に体が動いていたようだ。
孤児院では嫌がらせされても泣き寝入りはしなかった。毅然とした態度で接しないと、舐められてまた同じことをされるからだ。
でも、本当に飲ませたら流石にまずいだろう。淹れたお茶を流そうとすると、ひとりの小心者の声でその手が止まる。
「おっ、流石は孤児だな。上の者に媚びるのだけは一人前みたいだ。どうせ、まずいだろうが、ちょうど喉が渇いているから飲んでやる」
「粗茶ですがよかったら、どうぞ」
彼の言葉に素直に従いお茶を差し出す。だって、お貴族様には逆らってはいけないと偉い人から言われているから仕方がない。
「君たち、また油を売ってるのか? 第一のヤルダ副団長に知られたらまずいんじゃないかなー。あの人、身分なんかに忖度しないからさ」
聞き覚えのある声に振り返ると、戸口には笑顔のルイトエリンと厳しい表情のテオドルがいた。彼らの登場に小心者ふたりはわかりやすく狼狽する。所属する騎士団は違えど、序列関係は変わらないようだ。
ルイトエリンの発言が本当だとすると、この新米騎士たちはかなり身分が高く、かつサボりの常習犯。第一の所属なのに第二の副団長にも知られているとは、相当な問題児なのだろう。
さあ、遠慮なくお説教してやってください。私が出る幕ではないなと一歩下がった。
「うっ、ライカン副団長。えーと、私たちは薬草の在庫の確認に来ただけで……」
「在庫の確認は薬師の仕事だ。それとも騎士を辞めて、黒き薬師殿に弟子入りするつもりなのかな? 仮にそうだとしてもおかしいよね。お茶を飲んでくつろいでいるのが、師匠でなく弟子のほうなんてさ」
ルイトエリンはしどろもどろに答える騎士の手を指差す。口調はいつも通りに軽く、笑みを浮かべたままだけれど、その目は笑っていなかった。これは怒鳴られるよりも、ある意味効果てきめんだろう。
美形の冷笑を前にして、小心者たちは顔を青くする。
「こ、これは、この卑しい孤児が高貴な私たちに媚を売ろうと、勝手に淹れただけです。命じたわけではありません!」
お茶を手にしていた小心者は、一口も飲んでいないコップを慌ててテーブルの上に戻す。
「それなら上に報告する必要はないな。よかったよ、ちゃんと君たちに確認して。でもさ、あまり長居してたら誤解されちゃうから、さっさと戻りな」
「「はい!」」
ルイトエリンは冷たい笑みを消し去り、優しく彼らの肩を叩いて退出を促す。私が思っていたのとは違う対応だった。
私への暴言など些細なことだから見逃したのだ。寛大なのか、それとも余計な揉めごとを避けたいのか。
どちらにせよ、ルイトエリンの対応は彼ら寄りだ。
さっきまで顔色を失っていた小心者たちは「媚を売っている暇があるなら仕事をしろ、薬師」と偉そうなことを言ってくる。
第二騎士団の副団長が自分の味方だとわかったから、いい気になっているのだろう。今は勝ち誇ったように口角を上げて私を見ている。
……こんな顔は今までもたくさん見てきた。
馬鹿だな、私って……勝手に浮かれていた。
いつだって世の中は理不尽で不公平だった。それは今世だけではなく、前世でも同じ。
ルイトエリンたちとの旅が楽しかったから、距離が縮まったと自分に都合よく勘違いをしていた。やっと見つけた薬師を逃がさないために、彼らはしっかり任務をこなしていただけ。
唇をきつく噛みしめ、ルイトエリンたちから目を逸らす。自分の両手の爪が痛いほど皮膚に食いこんでいく。
こんな目には嫌というほどあっていて慣れているはずなのに、まるで初めて経験したときのように胸が苦しかった。
その原因となっているルイトエリンたちをちらっと見ると、私ではなく小心者たちを見ていた。彼らが守るべきは仲間である騎士なのだ。
「では、失礼します。ライカン副団長」
「喉が渇いていたんだろ? もったいないからこれ飲んでいきなよ。大丈夫、ここで見たこと聞いたことは全部黙っているから。つまり、君たちは何も飲んでいない」
「「ありがとうございます!!」」
ルイトエリンはテーブルに置かれたお茶を自ら手渡す。その動きは素早くて、止める間もなかった。
あっ……、飲んじゃった。
小心者たちは一気に飲み干したあと、私を鼻で笑いながら薬草庫から出ていった。戸口付近に立っているテオドルは扉を閉めるとすぐさま口を開く。
「ルイト先輩、あれって確信犯ですよね?」
「ん? 彼らは何も飲んでいないってことになっているんだから、もし体調を崩したら自己管理ができていなかっただけのことだ。それにお茶は俺が手渡した。仮に何か混入していたとしても、犯人は俺だな。副団長の俺を告発する勇気があればだけどな。テオ、まさか文句があるのか?」
含み笑うルイトエリンに対し、テオドルは珍しく不服そうな表情をする。
「文句はないですけど、少々手緩いとは思いました」
「はっはは、俺って優しいからな」
思わず目を丸くする。彼らは私が何かを混ぜたことに気づいていたのだ。そのうえでルイトエリンは彼らにお茶を飲ませ、テオドルもそれを黙認した。
これではまるで、彼らが私の味方みたいではないか。平民で、孤児で、素顔さえ見せない私を守ってくれたみたいに思える。
また都合よく解釈しているのだろうか?
確かめたいけれど、怖い。期待してがっかりするのは、何度経験しても嫌だから。
「ヴィアちゃん、一応確認しておくけど、ヤツらは死なないよね? 別に死んでも惜しくないけど、その可能性があるなら前もって教えてね。俺が責任を持って立派な病死に仕立てあげるから」
「……えっと、お腹を少し壊す程度です。どうして私が何かを入れているとわかったんですか?」
扉は開いたままだったから、小心者たちと私の会話は聞こえていたのだろう。
ただ、余分な薬草を混ぜたのは見えていなかったはずだ。仮に見えていたとしても、乾燥させた薬草なんて素人には判別できない。
「俺が知っているヴィアちゃんはあんなヤツらに媚を売ったりしない。だから、おいしそうなお茶を淹れた意味を推測しただけ。見事に当たったのは、俺の深い愛のなせる業だね」
軽すぎる口調で、これまた羽より軽い愛を語るルイトエリン。私が黙ったままでも気にせずに彼は言葉を続ける。
「それにしても、ヴィアちゃんって優しいね。俺だったら、絶対にもっとエグいことするな」
「実際に先輩はやりましたよね。以前、第二の平民出身の騎士を馬鹿にした第一のヤツらを、訓練にかこつけてボコボコに。それに比べたら、オリヴィアさんの意趣返しはとても可愛いです」
何も言えず、ただ頭を下げて感謝を伝える。無条件で私の味方になってくれたことがうれしかった。
あの場で小心者たちを問いつめるのは簡単だっただろう。ただ、それをしたら私が逆恨みされる可能性が非常に高いから、ルイトエリンたちはこういう形で収めたのだ。
――私のために。
頬にほんの少し温かいものを感じ慌てて拭う。悔し涙は何度となく流してきたけれど、うれしくてなんて初めてだった。
同じ涙なのに、こんなに違うなんて知らなかったな……
「ヴィアちゃん、ごめんね。来るのが遅れて」
「オリヴィアさん、申し訳ありません。いろいろと面倒くさい報告がありまして」
「いいえ、私なら全然大丈夫です。自分で言うのもなんですけど、たくましいですから。でも、助けてくれてありがとうございました。ルイト様、テオ様」
黒い外套のお陰で泣いていることがバレずに済んで、私は胸を撫でおろす。弱いところは見せたくない。
「何かあったら我慢せず俺に言って、ヴィアちゃん。こう見えても俺は副団長で、侯爵令息という身分もある。守るって約束しただろ?」
甘えてもいいのだろうか。今まで自分のことは自分で守っていた。だから、他人から守られるのはとても変な感じだ。
軽い口調と軽薄な笑みなのに、なぜか安心する。
「えっと、……よろしくお願いします? ルイト様」
「なんで疑問形なのかな。でも、頼ってもらえてうれしいよ」
甘え慣れておらずぎこちなく返すと、彼は目を細めて笑ってくれた。
翌日の夕方。
私は第二騎士団のルオガン団長に呼び出された。
彼は挨拶のときから感じがよく、もともと差別意識のない人のようだ。なんでも彼は平民同然の男爵家に生まれ、若い頃、理不尽な扱いを受け相当苦労したらしい。
それもあってか、私のことを何かと気にかけてくれていた。
団長の執務室に入ると、そこには彼だけでなくルイトエリンとテオドルもいた。
ルオガン団長は長身のルイトエリンより背が高く筋肉隆々でたくましい。かなり広い部屋なのに、彼らと一緒だと狭く感じた。なんだか暑苦しいなと思いながら、空いている椅子に座る。
するとルオガン団長が身を乗り出し、口を開く。
「単刀直入に言う。ここにいるライカン副団長と婚約してくれ」
「……ふぁ?」
真剣な顔でそう告げたルオガン団長に対して、私の口から出たのは間が抜けた返事だった。いくらなんでも言葉が足りないのではないだろうか。
「すみません、意味がわからないのですが」
「すまない、言葉が足りなかったな。婚約とは男と女が結婚の約束をすることだ、薬師殿」
「……それは知ってます」
至極真面目な顔で答えるルオガン団長。決して悪意があるとか、遠回しに何かを伝えようとしているのではない。
どうやらこの人は脳筋と言われる人種のようだ。
聞いたことはあるけれど、そういう人に実際に会ったのは初めてだったので戸惑ってしまう。これ以上わかりやすく質問できるだろうかと悩んでいると、団長が腰を浮かせて言った。
「それなら話は早いな。手続きはこちらで済ませるから、薬師殿は気にしないでくれ。話は以上だ、忙しいのに時間を取らせて悪かったな」
「えっ……」
辺境に派遣される日が迫っているので、団長が多忙なのは知っている。けれど、ちょっと待ってほしい。まさかこれで話が終わったなんて、嘘よね……
「団長、それでは説明になってません」
助け舟を出してくれたのはテオドルだった。
「そうか?」とルオガン団長が視線で問うので、私はブンブンと首を縦に振る。一を聞いて十を知る人はいるかもしれないが、団長の説明には「一」すらなかったので無理だ。
「ルオガン団長はできる男なのに、変なところが脳筋だからな」
ルイトエリンと珍しく意見が一致する。
「オリヴィアさん、団長が言葉足らずで大変失礼しました。団長に代わって脳筋でない僕が説明します」
「ぜひお願いします、テオ様」
失礼なことをさらりと言う部下を団長は咎めず、頭を掻きながら「テオドル、頼む」と笑う。
ルイトエリンたちは決して団長を軽んじているのではない。こんなふうに言えるのは、お互いに信頼しているからなのだろう。
第二騎士団が第一と決定的に違うのは、身分ではなくこの団長の存在が大きいのかもしれない。
そんなことを思っていると、真面目なテオドルがさっそく説明してくれる。
「この前のふたりの騎士を調べたら、最近パール侯爵家に頻繁に出入りしていました。たぶん、彼らを裏で操っていたのは聖女でしょう。と言っても状況証拠しかないので、現段階で打つ手なしです。しかし、このまま何もせずにいるのは危険と判断しました」
「危険とは物理的にですか?」
「その可能性があると思っています。残念ながらあのふたりのように侯爵家におもねる騎士がまた出てくるでしょう。ですから、あなたを貴族の婚約者という立場にしたいと思います。安易に手を出す者を一定数排除できますから。もちろん、期間限定の仮の婚約なので安心してください」
テオドルの説明は簡潔でわかりやすい。
「つまり、平民の私は虫けら同然なので、貴族の婚約者に格上げして予防線を張るということですね」
「身も蓋もない言い方だね。でもその通りだよ、ヴィアちゃん」
黒き薬師の承諾を得られれば僕の手柄に、もしだめだったら自分がどうにかするつもりでいたのだろう。
そして、自分が悪者になった。時間的に余裕がなかったから強引な手段を使いつつ、黒き薬師の怒りを物理的に解消させる形でうまく収めてくれた。
僕ひとりだったら、絶対にうまくいかなかった。
「これで冷やしてください、ルイト先輩」
「気が利くな。ありがたく使わせてもらうよ」
部屋に戻る前に宿の調理場からもらってきた氷を、手拭きに包んで差し出す。これで少しは腫れが引くといいのだが。
「テオ、全力で守るぞ」
僕に背を向けたまま、ルイト先輩はいつもの軽い口調で告げてきた。
「はい!」
誰を、と聞かなくてもわかる。黒き薬師オリヴィア・ホワイトのことを指している。
この宿に着く前、風に吹かれて黒い外套が外れたことがあった。
現れたのは醜い火傷の痕など一切ない、うら若き乙女。
長時間馬に揺られて疲れたのだろう、先輩にもたれかかって彼女は眠っていた。
白い陶磁器のような肌に、淡い桃色の頬、艶やかな唇。目を閉じていても彼女が美しい人なのはわかった。
『この格好の理由はこれか……』と痛ましそうにつぶやく先輩の声が耳に届く。
若い女性が美しい容姿を隠してひとりでひっそりと森で暮らしていることを考えれば、いろいろあってのこの選択なんだと容易に想像できた。
たぶん、平凡な僕では経験したことがない苦しみを知っているのだろう。これは彼女の鎧なのだ。
先輩と同じなんだな……
起こさないようにそっと外套を元に戻すルイト先輩を見ながらそう思った。理由は違うだろうが、自分を守るために隠している。
彼女はその容姿を、先輩は己の心を。
……久しぶりだったな、あんな顔のルイト先輩を見たのは。
彼女とのやり取りで一瞬だけ見せたあの柔らかい笑み。作り笑いや軽薄さで誤魔化すことなく、彼女によって引き出された素顔。
やっぱり先輩は変わってなかったと、懐かしくて涙が出そうになった。
僕の勝手な期待を押しつけるつもりはないけれど、彼女ならばと期待してしまう。なんとなく、オリヴィア・ホワイトなら先輩の鎧にヒビを入れてくれる、そんな気がしてならないのだ。
彼女なら常識を軽々飛び越えそうだ、あの綺麗な顔を躊躇なく殴ったように。きっと彼女にとっては美形だろうと熊だろうと、一緒なのだろうな。
熊に殴りかかっている彼女を想像するのは簡単だった。もちろん、勝者はオリヴィア・ホワイトだ。
僕は最高の薬師を見つけたのかもしれない。
第二章 黒き薬師と偽りの婚約
住んでいた森を出て五日後、私たちは王都に到着した。別世界のようなにぎわいの中、ルイトエリンは行き交う人に気をつけて馬の歩調をゆるめる。
「このまま騎士団が常駐している場所へ行くね、ヴィアちゃん。王都の中心にあるからすぐ着くよ。ほら、見えてきた」
彼が指さす先には、驚くほど立派な建物があった。騎士団ってお金があるんだなと思っていたら、なんと連れていかれた場所は王宮だった。
「……」
先に言っておいてほしかった。それを知ってどうなるものでもないけど、心の準備というものがある。
私はルイトエリンたちと別れると、王宮内で偉い人――名乗らなかったので嫌味を込めてそう呼ぶことにした――から今後の説明をされる。
なんと一週間後に騎士団に随伴し、辺境に行くらしい。本当は二週間後だったけれど、ありがたい御神託があったそうで予定を早めたという。
つまり、聖女から横槍が入ったのだ。
本当にはた迷惑な聖女である。きっと旅には事前の準備が必要で、集団が大きければ大きいほど時間がかかるとわかっていないのだろう。
そういう訳で、私は一週間のうちに薬草の在庫を確認し、不足しているぶんを補充するようにと命じられた。
ここで私がゴネても無駄なのはわかっているのでうなずく。
「それと、今日中にふたつの騎士団へ挨拶に行くように。くれぐれも失礼のないようにな。特に第一騎士団は上位貴族がほとんどだから、細心の注意を払うようにしてくれ」
「細心の注意とはどのようなことですか?」
思わず聞き返してしまう。私は貴族ではないから、上位貴族への礼儀作法がわからない。
「それだ、それ! 素直に『はい』とだけ返事をするんだ。生意気に聞き返したりするんじゃない。ましてや逆らうなんて言語道断だぞ。孤児のくせにっ」
「……はい、承知いたしました」
偉い人はあからさまに私を見下してきた。
そっちが頼んだくせにと思ったけれど、面倒くさそうな人だったので大人しく返事をした。こういう対応は残念ながら初めてではない。
もしこの場にルイトエリンたちがいたらどうなったのかな。
彼らがかばってくれたかもと、少しだけ期待してしまう。たった数日一緒に旅をしただけなのに、彼らの気さくさに私は甘えることを覚えてしまったようだ。
偉い人が私の前から立ち去ったあと、パンパンと顔を叩いて「しっかりしろ、私!」と気合を入れる。今までのように、これからだってひとりで頑張って生きていくのだ。
そのあと、私が最初に連れていかれたのは王宮に隣接している訓練場だった。
そこに第二騎士団がいたのだが、その中にルイトエリンとテオドルの姿はなかった。案内してくれた人に尋ねると聞こえているはずなのに無視された。
あの偉い人の子分――この人も名乗らなかったのでこう呼んでいる――だけあって嫌なヤツだ。外套の下で盛大に舌を出していると、立派な体格の騎士がこちらに向かって歩いてくる。
「ようこそ、黒き薬師殿。私は第二騎士団の団長を務めるルオガンだ。今回は引き受けてくれて感謝する」
「オリヴィア・ホワイトです。これからよろしくお願いします。事情があるのでこんな格好ですがお許しください」
ルオガン団長が歓迎の言葉を口にすると、第二の騎士たちはそれに続いた。黒い外套、黒い手袋という怪しげな薬師を第二騎士団は受け入れてくれた。
私は旅の途中でルイトエリンとテオドルに、醜い火傷の痕があるから黒い外套を被っていると伝えていた。きっと彼らが事前に失礼な態度を取るなと釘を刺してくれたのだろう。
次に連れていかれたのは、王宮内にある立派な訓練場で、そこには第一騎士団がいた。
同じように挨拶をすると、散々見慣れたあの視線を向けられた。
第一の団長は名乗りもせずに、軽く舌打ちしただけ。
上に立つ者が最低なら、騎士たちも負けず劣らず最低で、聞こえるように侮蔑の言葉を口にする。
「ちっ、孤児かよ」
はい、孤児ですね。
「……最悪だな」
それはこっちの台詞ですよ。
「誰だよ、こんなヤツ連れてきたのは」
超絶美形騎士と好青年騎士ですが、爪の垢でももらってきてあげましょうか?
ルイトエリンのあの軽ささえも、彼らを前にすれば懐かしく思えてくるから不思議だ。
第一と第二でこんなに雰囲気が違うとは思わなかった。
挨拶を済ませると、私は早々にその場から去った。彼らとは距離を置こう。愚か者とは関わらないのが一番だと身を以て知っている。
翌日。
さっそく私は王宮の端にある薬草庫で在庫の確認を始める。騎士団が所有しているだけあって、薬草の種類も量もうらやましいほど多かった。
忙しなく動いている私のもとに、第一の騎士がやってきた。
「おい、孤児のくせに薬草のことがわかるのか? ろくな教育も受けてないくせに」
「適当なこと言ってだましているんじゃないか? 卑しい孤児だもんな」
「だましてません。独学ですが、薬草の知識はありますので安心してください」
この国の薬師は資格が必要なわけではなく、薬草の知識さえあればその学び方は問われない。自称薬師は多くいるが、実際に周囲から本物と認識されているのはよくて半分くらいだ。
前世の知識を活かして今世でもさらに独学で知識を増やしている私は、その本物のひとりである。
「はん! 口ではなんとでも言えるよな」
「そうだ、そうだ」
子どもじみた嫌がらせを繰り返すふたりの騎士。私以外の人にはペコペコしていたから、見た目通り新米なのだろう。周囲に誰もいないのを見計らってやるのが、またいやらしいところだ。
貴族と揉めても勝ち目はないので、我慢我慢と自分に言い聞かせる。
しかし以降、小心者たちは一日に何度も邪魔しに来るようになった。そんなに暇なのだろうか。こっちは忙しいのだ、いい加減にしてほしい。
はぁ……、もう森に帰りたいな。
王都に到着して三日目にして、そう思わずにはいられなかった。泣き言を言ってるのではない。このままでは何かを盛ってしまいそうだと危惧しているのだ。
薬師を生業にしているから、無味無臭の下剤になる薬草だって知っている。普通は便秘改善のために用いるけれど、工夫次第でほかの使い方だってある。こっそりならいいかな……
気づけば彼らのためにお茶を用意し始めていて、はっとする。どうやら無意識に体が動いていたようだ。
孤児院では嫌がらせされても泣き寝入りはしなかった。毅然とした態度で接しないと、舐められてまた同じことをされるからだ。
でも、本当に飲ませたら流石にまずいだろう。淹れたお茶を流そうとすると、ひとりの小心者の声でその手が止まる。
「おっ、流石は孤児だな。上の者に媚びるのだけは一人前みたいだ。どうせ、まずいだろうが、ちょうど喉が渇いているから飲んでやる」
「粗茶ですがよかったら、どうぞ」
彼の言葉に素直に従いお茶を差し出す。だって、お貴族様には逆らってはいけないと偉い人から言われているから仕方がない。
「君たち、また油を売ってるのか? 第一のヤルダ副団長に知られたらまずいんじゃないかなー。あの人、身分なんかに忖度しないからさ」
聞き覚えのある声に振り返ると、戸口には笑顔のルイトエリンと厳しい表情のテオドルがいた。彼らの登場に小心者ふたりはわかりやすく狼狽する。所属する騎士団は違えど、序列関係は変わらないようだ。
ルイトエリンの発言が本当だとすると、この新米騎士たちはかなり身分が高く、かつサボりの常習犯。第一の所属なのに第二の副団長にも知られているとは、相当な問題児なのだろう。
さあ、遠慮なくお説教してやってください。私が出る幕ではないなと一歩下がった。
「うっ、ライカン副団長。えーと、私たちは薬草の在庫の確認に来ただけで……」
「在庫の確認は薬師の仕事だ。それとも騎士を辞めて、黒き薬師殿に弟子入りするつもりなのかな? 仮にそうだとしてもおかしいよね。お茶を飲んでくつろいでいるのが、師匠でなく弟子のほうなんてさ」
ルイトエリンはしどろもどろに答える騎士の手を指差す。口調はいつも通りに軽く、笑みを浮かべたままだけれど、その目は笑っていなかった。これは怒鳴られるよりも、ある意味効果てきめんだろう。
美形の冷笑を前にして、小心者たちは顔を青くする。
「こ、これは、この卑しい孤児が高貴な私たちに媚を売ろうと、勝手に淹れただけです。命じたわけではありません!」
お茶を手にしていた小心者は、一口も飲んでいないコップを慌ててテーブルの上に戻す。
「それなら上に報告する必要はないな。よかったよ、ちゃんと君たちに確認して。でもさ、あまり長居してたら誤解されちゃうから、さっさと戻りな」
「「はい!」」
ルイトエリンは冷たい笑みを消し去り、優しく彼らの肩を叩いて退出を促す。私が思っていたのとは違う対応だった。
私への暴言など些細なことだから見逃したのだ。寛大なのか、それとも余計な揉めごとを避けたいのか。
どちらにせよ、ルイトエリンの対応は彼ら寄りだ。
さっきまで顔色を失っていた小心者たちは「媚を売っている暇があるなら仕事をしろ、薬師」と偉そうなことを言ってくる。
第二騎士団の副団長が自分の味方だとわかったから、いい気になっているのだろう。今は勝ち誇ったように口角を上げて私を見ている。
……こんな顔は今までもたくさん見てきた。
馬鹿だな、私って……勝手に浮かれていた。
いつだって世の中は理不尽で不公平だった。それは今世だけではなく、前世でも同じ。
ルイトエリンたちとの旅が楽しかったから、距離が縮まったと自分に都合よく勘違いをしていた。やっと見つけた薬師を逃がさないために、彼らはしっかり任務をこなしていただけ。
唇をきつく噛みしめ、ルイトエリンたちから目を逸らす。自分の両手の爪が痛いほど皮膚に食いこんでいく。
こんな目には嫌というほどあっていて慣れているはずなのに、まるで初めて経験したときのように胸が苦しかった。
その原因となっているルイトエリンたちをちらっと見ると、私ではなく小心者たちを見ていた。彼らが守るべきは仲間である騎士なのだ。
「では、失礼します。ライカン副団長」
「喉が渇いていたんだろ? もったいないからこれ飲んでいきなよ。大丈夫、ここで見たこと聞いたことは全部黙っているから。つまり、君たちは何も飲んでいない」
「「ありがとうございます!!」」
ルイトエリンはテーブルに置かれたお茶を自ら手渡す。その動きは素早くて、止める間もなかった。
あっ……、飲んじゃった。
小心者たちは一気に飲み干したあと、私を鼻で笑いながら薬草庫から出ていった。戸口付近に立っているテオドルは扉を閉めるとすぐさま口を開く。
「ルイト先輩、あれって確信犯ですよね?」
「ん? 彼らは何も飲んでいないってことになっているんだから、もし体調を崩したら自己管理ができていなかっただけのことだ。それにお茶は俺が手渡した。仮に何か混入していたとしても、犯人は俺だな。副団長の俺を告発する勇気があればだけどな。テオ、まさか文句があるのか?」
含み笑うルイトエリンに対し、テオドルは珍しく不服そうな表情をする。
「文句はないですけど、少々手緩いとは思いました」
「はっはは、俺って優しいからな」
思わず目を丸くする。彼らは私が何かを混ぜたことに気づいていたのだ。そのうえでルイトエリンは彼らにお茶を飲ませ、テオドルもそれを黙認した。
これではまるで、彼らが私の味方みたいではないか。平民で、孤児で、素顔さえ見せない私を守ってくれたみたいに思える。
また都合よく解釈しているのだろうか?
確かめたいけれど、怖い。期待してがっかりするのは、何度経験しても嫌だから。
「ヴィアちゃん、一応確認しておくけど、ヤツらは死なないよね? 別に死んでも惜しくないけど、その可能性があるなら前もって教えてね。俺が責任を持って立派な病死に仕立てあげるから」
「……えっと、お腹を少し壊す程度です。どうして私が何かを入れているとわかったんですか?」
扉は開いたままだったから、小心者たちと私の会話は聞こえていたのだろう。
ただ、余分な薬草を混ぜたのは見えていなかったはずだ。仮に見えていたとしても、乾燥させた薬草なんて素人には判別できない。
「俺が知っているヴィアちゃんはあんなヤツらに媚を売ったりしない。だから、おいしそうなお茶を淹れた意味を推測しただけ。見事に当たったのは、俺の深い愛のなせる業だね」
軽すぎる口調で、これまた羽より軽い愛を語るルイトエリン。私が黙ったままでも気にせずに彼は言葉を続ける。
「それにしても、ヴィアちゃんって優しいね。俺だったら、絶対にもっとエグいことするな」
「実際に先輩はやりましたよね。以前、第二の平民出身の騎士を馬鹿にした第一のヤツらを、訓練にかこつけてボコボコに。それに比べたら、オリヴィアさんの意趣返しはとても可愛いです」
何も言えず、ただ頭を下げて感謝を伝える。無条件で私の味方になってくれたことがうれしかった。
あの場で小心者たちを問いつめるのは簡単だっただろう。ただ、それをしたら私が逆恨みされる可能性が非常に高いから、ルイトエリンたちはこういう形で収めたのだ。
――私のために。
頬にほんの少し温かいものを感じ慌てて拭う。悔し涙は何度となく流してきたけれど、うれしくてなんて初めてだった。
同じ涙なのに、こんなに違うなんて知らなかったな……
「ヴィアちゃん、ごめんね。来るのが遅れて」
「オリヴィアさん、申し訳ありません。いろいろと面倒くさい報告がありまして」
「いいえ、私なら全然大丈夫です。自分で言うのもなんですけど、たくましいですから。でも、助けてくれてありがとうございました。ルイト様、テオ様」
黒い外套のお陰で泣いていることがバレずに済んで、私は胸を撫でおろす。弱いところは見せたくない。
「何かあったら我慢せず俺に言って、ヴィアちゃん。こう見えても俺は副団長で、侯爵令息という身分もある。守るって約束しただろ?」
甘えてもいいのだろうか。今まで自分のことは自分で守っていた。だから、他人から守られるのはとても変な感じだ。
軽い口調と軽薄な笑みなのに、なぜか安心する。
「えっと、……よろしくお願いします? ルイト様」
「なんで疑問形なのかな。でも、頼ってもらえてうれしいよ」
甘え慣れておらずぎこちなく返すと、彼は目を細めて笑ってくれた。
翌日の夕方。
私は第二騎士団のルオガン団長に呼び出された。
彼は挨拶のときから感じがよく、もともと差別意識のない人のようだ。なんでも彼は平民同然の男爵家に生まれ、若い頃、理不尽な扱いを受け相当苦労したらしい。
それもあってか、私のことを何かと気にかけてくれていた。
団長の執務室に入ると、そこには彼だけでなくルイトエリンとテオドルもいた。
ルオガン団長は長身のルイトエリンより背が高く筋肉隆々でたくましい。かなり広い部屋なのに、彼らと一緒だと狭く感じた。なんだか暑苦しいなと思いながら、空いている椅子に座る。
するとルオガン団長が身を乗り出し、口を開く。
「単刀直入に言う。ここにいるライカン副団長と婚約してくれ」
「……ふぁ?」
真剣な顔でそう告げたルオガン団長に対して、私の口から出たのは間が抜けた返事だった。いくらなんでも言葉が足りないのではないだろうか。
「すみません、意味がわからないのですが」
「すまない、言葉が足りなかったな。婚約とは男と女が結婚の約束をすることだ、薬師殿」
「……それは知ってます」
至極真面目な顔で答えるルオガン団長。決して悪意があるとか、遠回しに何かを伝えようとしているのではない。
どうやらこの人は脳筋と言われる人種のようだ。
聞いたことはあるけれど、そういう人に実際に会ったのは初めてだったので戸惑ってしまう。これ以上わかりやすく質問できるだろうかと悩んでいると、団長が腰を浮かせて言った。
「それなら話は早いな。手続きはこちらで済ませるから、薬師殿は気にしないでくれ。話は以上だ、忙しいのに時間を取らせて悪かったな」
「えっ……」
辺境に派遣される日が迫っているので、団長が多忙なのは知っている。けれど、ちょっと待ってほしい。まさかこれで話が終わったなんて、嘘よね……
「団長、それでは説明になってません」
助け舟を出してくれたのはテオドルだった。
「そうか?」とルオガン団長が視線で問うので、私はブンブンと首を縦に振る。一を聞いて十を知る人はいるかもしれないが、団長の説明には「一」すらなかったので無理だ。
「ルオガン団長はできる男なのに、変なところが脳筋だからな」
ルイトエリンと珍しく意見が一致する。
「オリヴィアさん、団長が言葉足らずで大変失礼しました。団長に代わって脳筋でない僕が説明します」
「ぜひお願いします、テオ様」
失礼なことをさらりと言う部下を団長は咎めず、頭を掻きながら「テオドル、頼む」と笑う。
ルイトエリンたちは決して団長を軽んじているのではない。こんなふうに言えるのは、お互いに信頼しているからなのだろう。
第二騎士団が第一と決定的に違うのは、身分ではなくこの団長の存在が大きいのかもしれない。
そんなことを思っていると、真面目なテオドルがさっそく説明してくれる。
「この前のふたりの騎士を調べたら、最近パール侯爵家に頻繁に出入りしていました。たぶん、彼らを裏で操っていたのは聖女でしょう。と言っても状況証拠しかないので、現段階で打つ手なしです。しかし、このまま何もせずにいるのは危険と判断しました」
「危険とは物理的にですか?」
「その可能性があると思っています。残念ながらあのふたりのように侯爵家におもねる騎士がまた出てくるでしょう。ですから、あなたを貴族の婚約者という立場にしたいと思います。安易に手を出す者を一定数排除できますから。もちろん、期間限定の仮の婚約なので安心してください」
テオドルの説明は簡潔でわかりやすい。
「つまり、平民の私は虫けら同然なので、貴族の婚約者に格上げして予防線を張るということですね」
「身も蓋もない言い方だね。でもその通りだよ、ヴィアちゃん」
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