奴隷女と冷徹貴族が、夫婦になるまでの物語

blueblack

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3章

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 幸い、カオルの靴擦れは化膿することもなく、数日で完治した。その間に何日か、肌寒いにもかかわらず窓が全開になっていた日があったが、ノアは何も訪ねなかったし、ケアラもあえて触れなかった。

「基本的に、家事はすべて当番制だ」

 テーブルを囲んで朝食を食べながら、上等なスーツを身に着けたノアが言う。

「わからないことがあったら聞いてくれて構わないが、一通りは自分でできたほうが良い」
「はい。わかりました。あの、その……頑張りますっ」
「お、良い顔になってきたじゃないの奥さん。今度ノアの好きな料理でも教えてやるよ」
「よろしくお願いします」

 かっはっはと笑うルーカスにも頭を下げて、カオルは慎重にフォークを扱う。多分これも、ノア達の心遣いの一環なのだろう。彼らはカオルに見えるように、ゆっくりと食事を続ける。だから見真似で少しずつマナーが身についていく。

「私たちは仕事に出るが、ケアラは常に家にいる。なにかあったら言え。日中は役に立つ」
「なにその言い方」
「自覚ないのかよ。お前、一回寝たらテコでも起きないだろ。その癖に寝相が悪いと来た。雑魚寝だったときはひどかったぞ。俺とノアのご尊顔にいくつ痣を付けたんだっつーの」
「うううるさい! 毎回べったり涎つけてくるのはそっちじゃない!」
「お前ら……」

 これで隠しているつもりなんだ、信じられるか。とノアは肩をすくめる。
 かっちりとしたスーツでその仕草をするものだから、カオルは可笑しくてくすりと笑った。

「……ふふ、あはは」

 そうしたら、みんなに一斉に顔を向けられた。

「笑った」
「笑ったな」
「初めて見たが……。綺麗だな」
「え、え……? あの……あんまり、見ないでいただけると……っ」
「そうだ。見るなルーカス」
「そうだよー、ルーカス」
「はあ⁉ なんで俺だけなんだよおかしいだろうが!」

 ぎゃん、と吠えるルーカスと、片目を吊り上げてそのわき腹をつつくケアラ。ノアは平時の顔に戻ってトーストをかじっていたが、カオルと目が合うと口元に笑みを浮かべてくれる。
 ああ、幸せだなあ。
(本当に、幸せ……)
 あんな悪夢、見なければいいのに。
 一点の曇りを残してはいたが、それでも充分だ。充分すぎるぐらいに甘い時間だ。
 一生続けば、良いのにな。
 温かいご飯で胃を満たして、カオルの一日は始まる。



 カオルの夜這いに関する勘違い以降、商会を無断欠勤に近い形で休んでいたので、ルーカスとノアを待っていたのは仕事の山のはずだった。
 しかし、いざ執務室に入ってみると、膨大な量になっているはずの書類は丁寧に整頓されている。
 一番上の、目立つ場所においてある書類を手に取る。

『大変そうだったから、こちらでできることはやっておいた。不足があれば追加をよろしく』

 そんなことが書いてあって、ノアは苦笑する。

「これなら私は隠居しても大丈夫じゃないか」
「そうはいかないだろ。貴族の名が必要になることもあるさ」
「冗談だ。……だが、嬉しいものだな」

 商会は、確実にノアの理想形に近づきつつある。
 現在はノアの貴族としての顔で仕事を受注している面が強いが、エヴァンス家は一代で潰える。ノアは子孫を残せず、養子を取る案も早々に却下した。
 故に一刻も早く、商会が、商会としての手腕のみで成り立っていかなくてはならないのだが。

「これなら大丈夫だろ。今は無理でも、兄貴が死ぬまでにはきっと」
「皆、よくやってくれている」
「兄貴の期待に応えたいんだろうよ」

 そしてこれなら、指輪を見に行く時間を取れる。



 が、しょせん生まれは貧民、結婚は初めての男二人である。
 名の知れた宝石商に顔を出し、VIP待遇で案内をされて、内心はがちがちだった。
 表情だけは平静を装って、ノアが言う。

「結婚指輪が欲しい」
「かしこまりました。エヴァンス様と、……そちらの方の指輪でしょうか」
「違う」

 やめろ気持ち悪い、と言おうとしてノアはこらえたが、隣でルーカスが顔をしかめたので全部無駄になった。テーブルの下で役に立たない秘書の足を踏んづけてやる。

「妻がいる。指のサイズはわかっている。とはいえ私は門外漢なので、いくつか見繕ってくれ。その中から選びたい。なるべく飾りが生活の邪魔をしないものが良い」

 参考として、価格帯を告げる。
 宝石商が下がったタイミングで、ルーカスが口笛を吹いた。

「えれぇ高いのを贈るんだな。王都でも一軒家が買えるぜ」
「もしもの時の資金になる。起こってほしくはないが、念のためだ」
「……ああ、売る前提か」

 そういう意味で、装飾の質は重要だが、量は重要ではない。普段使いをしても邪魔にならなければ、それでよい。
 そう思っていたが、宝石商に並べられた中で、ノアは一つの指輪を手に取った。

「これにする」
「ダイヤモンドと、サファイアでございますか。承知しました。刻印はいかがいたしましょう」
「不要だ。代わりに、品質証明と上等な箱を用意してくれ」
「不要……でございますか」

 記念にはなるが、売るときの価値が下がる。品質証明と箱も同様の理由だ。
 代わりに、ノアにはもう一つ要望があった。

「この指輪なのだが……。第三者に無理やり外させない方法はないか」
「そうですね……。これはその人の指の形に依ってしまうのですが」

 宝石商は、ノアの指を見て、小さく頷く。

「エヴァンス様のように、第二関節より根元のほうが細い場合ですと、特殊なリングを見繕うことは可能でございます。装着後にリングの直径をぴたりと合わせ、施錠をすれば、鍵がない限り外せません」
「鍵の大きさは」
「数種類ございます。最大は家の鍵ほどの大きさ。限界まで小さくすると、小指の爪ほどになります」

 テーブルマナーを確認していたときの記憶から、カオルの指はノアと同じ形だ。その方法は使える。

「そうしてくれ。鍵は最小サイズ。特殊なリングにするのは、妻の指輪のみだ」
「承知しました」

 宝石商は、小さく笑ってから、恭しく頭を下げた。
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