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閑話 嘘偽りなく大好きだった (スタッド視点)
しおりを挟むーーー 良かったわ、テオパルトが無事で。あの子はうちの跡取りですもの。
何かあったら大変な事になってしまうわ ーーー
流行り病を患った末の息子が息を引き取って五日後。
まさか、扉の向こうで次男が聞いているとは思わなかったのだろう。
けれど、確かに聞いてしまった母の言葉は、スタッドに自身の立場を十分に思い知らせるものとなった。
最初に熱を出したのはスタッドだった。この時スタッドは六歳。わずか四歳の弟ロミレスは翌日に倒れた。七歳のテオパルトが熱を出したのは、それから二日後だった。
医者が呼ばれたのは、テオパルトが熱を出してから。それでも、ロミレスも倒れた時点で、兄の姿を見なくなった。
思えばあの時点で、兄は別室に隔離されたのだろう。スタッドとロミレスは同じ部屋で並んで寝かされていたが。
母はテオパルトに付き添った。メイド長もだ。
スタッドとロミレスには、当時の執事だったロータスとその息子テーヴ、そしてメイド二人が付けられた。
結局、高熱に苦しむロミレスは、熱が下がらないまま十日後に息を引き取った。そんな末の息子の最後の時になって、漸く母はスタッドたちの部屋を訪れた。
仲の良い家族だった。
厳格で礼節を重んじる父、家庭的な母。
学問が好きでいつも本ばかり読んでいる兄と、外遊びが大好きなやんちゃな弟。
家族が揃う食卓は、いつも笑顔で溢れていた。
仲の良い家族だと、大好きな家族だと、そう思っていた。少なくともスタッドは、心からそう信じていたのに。
扉の向こうで、母は死んだのがロミレスで良かったと言う。テオパルトが生きているから良いのだと。
ならば、自分もまた儚くなったとしても、母は同じ事を言ったのだろう、そうスタッドはぼんやりとした頭で考えた。
この二日前。
ロミレスの葬儀の日、母は遺影に縋りつく様にして泣いていた。
悲しそうに、苦しそうに、嗚咽を漏らしていたのだ。
その時のスタッドはと言えば、罪の意識に苛まれていた。
僕が、最初に病気になった。
僕がロミレスに病気をうつした。
僕が、病気に罹らなければ。
僕が弟を殺した。
僕のせいだ。僕が悪い。僕が、全部。
そう思って、夜が来るたびベッドを涙で濡らしていた。なのに。
母は良かったと思っていたのだ。
それに対して、父は。
父は、母の言葉に同意こそしなかったものの、母を嗜める事もまた同じくしなかった。父は終始、無言だったから。
ここでスタッドは妙に納得した。
両親は、テオパルトさえ居れば良いのだ。
自分が生きのびた事も、二人にとってはどうでも良いことなのだろう。
テオパルトには価値があって、自分とロミレスにはない。だから、死んでも構わない。
こうしてその日、弟を失った悲しみも癒えぬまま、スタッドは自分がこの世に無価値であると知った。
そうと分かると、世の中がやけにはっきりと白と黒に分かれているのを理解した。
長子は手元に置かれ、それ以外は適当に扱う。
要るものは大事にされ、要らないものは本当に要らないと分かる時まで、取り敢えず置いておく。
分かりやすくて、単純で、残酷な選別。
自分は両親にとって不要。後継ぎでもないスタッドが生きているのは、万が一の保険のため。テオパルトにまさかの事態が起きた時のための。だが、それは本当には起こってほしくない事で。
無事にテオパルトが次の当主になれば、スタッドなど用済みだ。いつ失くなっても構わない路傍の石ころと変わらない存在になる。
だが、スタッドはふと思った。
テオパルト本人に、本当に価値があるのだろうか?
価値があるのはテオパルト本人ではなく、誰よりも早く生まれたというその事実ではないか?
テオパルト本人が努力した訳でもない。ただ偶然、一番先に生まれて来た。価値があるのはその事実だけ。
それ故に、兄は医者を呼んでもらえた。
隔離して守ろうとした。
死ななくて良かったと、親に喜んでもらえたのだ。
それら全てはテオパルトの功績でも何でもない。
ただ偶然、運良く、一番最初に生まれて来ただけ。
たった、それだけで。
それだけで、ロミレスは。
ぷつん、とスタッドの頭の中で音がした。
・・・じゃあ。
その長子に何かあったら、両親は、あの母は、何と言うだろうか。
テオパルトこそが生き残るべき人間だと言う母は、その死に何を思うだろうか。
テオパルトではなく、スタッドが死ぬべきだったと、そう自分に告げるのだろうか。
それとも。
「テオ兄さん」
スタッドは書庫で本を読む兄の側に行き、微笑みかける。
「勉強しすぎだよ。少し休憩しない?」
「休憩か。じゃあお茶でも飲もうかな」
本を脇に置いたテオパルトに、スタッドは誘いをかける。
「お茶よりもさ、今日はすごく暑いから川で水遊びをしようよ。きっと涼しくて気持ちいいよ」
そうして、使用人にも護衛の者にも見つからないうちに、裏口からそっと外に出る。
ほんの数年前まで嘘偽りなく大好きだった、兄テオパルトと手を繋いで。
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