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王族の矜持
しおりを挟む「・・・では、ただ愛しあう男と女として一夜を共にするのは? それも駄目だと仰るのでしょうか」
如何にもカサンドロスらしい直球な物言いに、思わずカルセイランは目の前に立つ大商人へと視線を移す。
「ただ愛しあう男と女・・・。その言葉は聞こえはいいかもしれないが、カサンドロス。お前は忘れてはいないか。私は偽りとはいえ妃を娶った身だ」
「・・・」
「その私が・・・愛しているからという理由で、妻にすることが叶わない女性と一夜を共にしていいと言うのか」
「・・・」
だが、その問いかけにカサンドロスは返答しない。
「カサンドロス。お前ならばどうする? 迷わず閨を共にするか?」
「・・・自分が心から愛し、相手の女性もまたそれを望むのなら、どれだけ道義に反する行為だとしても、私は気にしませんがね」
あまりに「らしい」返答に、カルセイランはふっと力の抜けた笑みを零した。
「ああ、倫理も価値観も人それぞれだ。それにどうこう言うつもりはない。・・・だが、これだけは忘れないでくれ。ユリアティエルはそれを望んではいない」
「・・・」
「私に会おうとしないのがその証拠だ。彼女を守りきることが出来なかった私だが、せめてその気持ちは尊重したい」
「殿下。ではせめてお心を明かすのは」
「カサンドロス。今の危機を回避したその先、私には縁談が待っている。隣国ミネルヴァリハの王女との政略結婚だ」
「・・・は?」
カサンドロスが間の抜けた声を出した。
それが、あまりにもカサンドロスに似つかわしくなくて、カルセイランは口角が僅かに上がった。
「今回、助けを借りる際にあちらから出された条件だ」
「まさか、あり得ない・・・そんな」
「本当だよ。いずれの王女かは明言されてはいないが、はっきりとガゼルハイノン王国の王太子と婚姻を、と言われた」
「・・・」
何かを考え込む様に黙り込んだカサンドロスに、カルセイランは更に言葉を重ねる。
「ユリアティエルに側妃や愛妾は似合わない。彼女にそんな扱いをしてはいけない。お前もそう思うだろう?」
「ならば、殿下。貴方は・・・貴方はこのままでいいと仰るのですか? 理不尽に奪われた愛しい女に、愛してるの一言すら告げないまま、他国の王女を娶ると?」
「それが私に課せられた王族としての務めならば、そうせねばならないだろう」
カルセイランは、この時まだ知らなかった。
何故、カサンドロスがこんなに必死に食い下がるのか。
何故、自分のことのように怒り、苦しそうにしているのか。
だから、次にカサンドロスが発した言葉は予想だにしていなかった事だった。
「・・・それが王族としての矜持か」
「え?」
小さすぎて聞こえず、問い返す。
「成程、ご立派だ。異国のしがない商人風情にはとうてい理解できる事ではありませんな」
告げられた言葉とは裏腹に、そこには棘が含まれていた。
「貴方はご存知だろう。ノヴアイアスはユリアティエルを何度も何度も犯した。純潔を奪った証だけではあの女が満足しなかったせいで、子どもを身籠るまで長期に渡って。その後は攫われた先でサルトゥリアヌスに、それからは買われた先で私に抱かれた。あの無垢な娘が、貴方を愛しながら他の男に抱かれるしかなかったのだ」
「・・・カサンドロス」
突然の話題転換に、カルセイランは困惑してその名を呼ぶ。
だがカサンドロスは構わず話を続けた。
「王族であれば国益が第一。ならば、国のために全てを失い、一時期は奴隷にまで身を落とさざるを得なかった娘は、その対価に王家から何を与えられるのでしょう」
「・・・」
「貴方の妃という立場を狙った女の犠牲になった娘が、苦難を耐え忍んだ果てに見る結末が、愛しい人と他国の王女との婚姻とは。まるでよく出来た芝居のようで、いささか白けますな」
「カサンドロス、私は・・・」
「私なら」
カサンドロスは再び王太子の言葉を遮った。
「私なら、愛した者を幸せにすることを一番に考える。平民の戯言で結構、国益などクソ食らえだ。王座につける者の数は確かに限られているが、他にいない訳ではない。だが、自分を愛したが為に犠牲にされた者を幸せに出来るのは、その娘が愛した男だけではないか」
カルセイランは目を瞠る。
カサンドロスが感情的になるのを見たのは初めてだった。
「・・・私なら平民になる道を選ぶ。私が貴方なら、カルセイラン王太子殿下。だが私は、残念なことに貴方ではない。私ではあの娘を幸せにする事は出来ない」
「カサンドロス、お前は・・・」
静寂が落ちた。
その言葉の先を、カルセイランは言うことが出来なかった。
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