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仕方のないこと
しおりを挟む口を噤んだカルセイランをその場に残し、カサンドロスは踵を返した。
カサンドロスの内に感情が湧き上がり、抑えが効かなかった。
自分で自分が分からない。
いつだってコントロール出来ていた。
盗賊に襲われた時も、崖崩れに巻き込まれた時も、部下の裏切りにあった時も、そうだ、いつだって。
自分の感情をうまく躱すことくらい、造作もなかった。
・・・なのに、これだ。
宝石のような女性の心を唯一捉えた男が、それを敢えて手に入れないという。
ならば、どれだけ望んでも手が届かない者は、どうやって諦めろというのか。
「・・・ふ、無様だな」
なんとみっともない事か。
何を捨てても手に入れる。
何を犠牲にしても。
せめてそう言ってくれれば。
・・・私は。
「・・・カサンドロスさま」
自分を呼ぶ声に、ハッと我に返る。
気づけば、村の最奥まで来ていた。
「ノヴアイアスか・・・どうした?」
カサンドロスの様子がいつもと違うことに、果たして気づいているのかいないのか。
じっと見つめても、ノヴアイアスの表情からは何も読み取れない。
「斥候からの連絡がありました。ホフマンの私兵団には案内役はおらず、あちこちを探索しながら進軍中。対してペイプル軍には一人の案内役が付いており、真っ直ぐにこちらに向かっていると。案内役をペイプル軍から引き離し、確保するとの事です」
流れるような報告に、カサンドロスは静かに頷いた。
「だとすれば早くて明日の昼。うまく案内役を外せれば、夜かそれ以降だな」
ぼそりと呟き、ノヴアイアスへと視線を向ける。
「ノヴアイアス」
「はい」
「かの王太子殿下は、この騒ぎが収まった後、隣国ミネルヴァリハの王女と婚姻を結ぶつもりでいる。アータザークセス王から政略結婚を提示されたとの事だ」
困惑の表情が一瞬浮かんだものの、すぐにいつもの無表情へと戻る。
「そうですか」
「・・・は。意外だな。ユリアティエルの事となると、お前はいつだって過剰なまでに反応するというのに」
嘲笑に似た響きがこもる言葉にも、ノヴアイアスはやはり眉一つ動かさなかった。
「・・・そうか。お前は幼少の頃より王太子に仕えていたな。考えなどお見通しか」
「はい」
「だろうな。ではアータザークセス王の考えはどうだ? 読めるか?」
「・・・ガゼルハイノン王国を支援する代わりに、彼の国の王女と我が国の王太子との婚姻を求められたという事ではないのですか?」
「そう思うのだな?」
「・・・ここ2年ほど、我が国は周辺諸国と断交状態にありました。いち早く我が国と繋がりを持とうとするミネルヴァリハ国王の提案は尤もかと」
「・・・ははっ」
至って真面目に答えたつもりが、カサンドロスは笑い出した。
「・・・カサンドロスさま?」
「成程な。お前はあの王子の事は理解しても、アータザークセス王の考えは分からぬらしい。まあ、それも当然と言えば当然か」
ひとしきり笑ってから、怪訝な表情を浮かべるノヴアイアスを見つめ、こう言い放つ。
「全く・・・王族とは難儀なものよ」
「カサンドロスさま?」
「そして・・・ユリアティエルも随分と男運が悪い。あんな難儀な男に惚れるとは」
「・・・」
黙するノヴアイアスなど意に止める事なく、カサンドロスは言葉を継ぐ。
「本当に男を見る目がない。私を選べば少しはラクだったものを」
お前はどうなのだ、と傍に立つ無表情の男を見遣る。
「自分を選んでくれたら、とは思わないのか?」
「・・・今はもう、そのような事は」
「そうか」
山頂から吹き下ろす風が、心地よく頬を撫でる。
同じ傷を持つ者同士の会話で少しは気が休まったのだろうか、先ほどまで確かにあった筈の棘は心の中から消えていた。
「・・・愛した女を幸せにするのが、こんなにも難しい事とはな」
「もはや見ていることしか出来ない身ですから。それも仕方がないのではありませんか」
ノヴアイアスの静かな声が、やけに耳にまとわりつく。
「・・・仕方のないこと、か。確かにそうなのかもしれぬな」
やっと。
今になって、やっと素直にそう言えた。
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