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どこか、おかしく
しおりを挟むナタリアの通う看護学校が夏休みに入った初日、校門前に豪奢な馬車が停まる。
どうあっても人目につくのは間違いない、ストライダム侯爵家の紋章入りの馬車だ。
しかも一台ではなく、三台がずらりと並ぶ壮観な絵面である。
ナタリアはそのうちの二台目の馬車に、ニコラスのエスコートを受けて乗り込んだ。
「ベアトリーチェさまの婚約者の方にご挨拶しなくて良かったのでしょうか」
「後で大丈夫じゃないかな。今も馬車の中で横になってるって聞いてるし。宿とか食事の時とか、挨拶する機会は沢山あるよ」
そう。今日はエドガーをストライダム侯爵家まで運ぶ日なのだ。同じく本日帰るニコラスに同乗してナタリアもまた王都に向かう。
当面、ジェイクたちからの面倒事の心配はなくなった。故にナタリアは、夏休み中もモルガンビアに留まることを考えていたのだが、ここで何故かレンブラントから声がかかった。曰く、報告したいことがあるとのこと。
呼びつける詫びとしてストライダム邸に客人として滞在してはどうか、などとまで言われて仕舞えば、ナタリアも頷くしかない。
もとより、ベアトリーチェが提案していた騎士団の医務室助手という仕事内容にも興味はあった。実地体験はやれるだけやっておきたかったのだ。
それでも最初断るつもりでいたのは、誘いの言葉に頷くのはあまりに図々しいだろうと考えたから。
レンブラントの報告なるものが如何なる内容なのかさっぱり見当はつかないが、それのお陰で甘える決心がついたのは事実だった。
モルガンビアから王都までは約一日半。
意図せぬ入院により顔色も目の下の隈もすっかり良くなったエドガーは、ストライダム邸に到着するなりベアトリーチェに泣かれ、レンブラントには怒られていた。
そして、ナタリアはベアトリーチェからの歓迎を受けた後、早速、騎士団の医務室へと案内される。
騎士の治療を担当する医師は五十代の男性。皺の寄った白衣は医師らしいが、短く刈り込まれた髪は騎士の様に精悍だ。
「あんたがナタリアさんか。二週間? いや三週間だったか? 一人でやってたから、手伝いが来てくれるのは有り難いよ。まあよろしく頼む」
医薬品の場所と薬草の説明、保管先の倉庫の位置など、簡単な説明を受け、客室へと戻る。
ベアトリーチェは今、医療支援に興味を見せており、薬草園の経営を始めていた。安定した薬の供給と、必要な場合は無料支援も視野に入れているらしい。
未だ時折り寝込むことはあれど、以前と比べれば劇的に体力はついて来ているとか。後は新薬の完成を待つのみだったのだが、今回のエドガーの件では兼ねてから彼の猪突猛進ぶりに不安を感じていたらしく、こんこんとお説教をしていた。
レンブラントの叱責が終わってからの、ベアトリーチェのお説教、エドガーもこれからは休養をきちんと取るし無茶しないからと必死に謝って漸く反省タイムは終了した。
さて、ナタリアの騎士団専属の医務室助手としての仕事はなかなか忙しく、また勉強にもなった。
騎士だから当然なのだが、とにかく怪我が多い。簡単な処置はナタリアにも任せてもらえるので、この短期間で包帯やガーゼなどを扱うスピードは格段に速くなった。
前にお世話になっていた病院では、基本的に掃除や洗濯、皿洗いや配膳などの雑用を担当していた為、こうした実地での経験は心底ありがたかった。看護学校の後期からは、附属病院での補助作業も授業内容に入ってくるのだ。後のことを考えれば、好成績で卒業したい。
ただ、どうしてなのか。
治療する騎士たちの中に、当然ながら時々ニコラスが交じる。
裂傷であれ、打撲であれ、他の騎士たちとは違い、ニコラスの身体に触れるのは勇気がいる。緊張して、手が震えるのだ。
ニコラスの表情もどこかぎこちない。
今まで通り、挨拶もしてくれるし、気遣ってもくれている。だけど、どこか。
どこか、自分の反応がおかしくなるのだ。
落ち着いて、落ち着いて・・・
今も自分にそう言い聞かせながら、ナタリアはピンセットでつまんだ脱脂綿でニコラスの腕の傷を消毒している。
いつもはもう少し上手く出来るのに。
消毒液をつけ過ぎた様だ。ニコラスの腕はびしょびしょだった。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
自分が何も言えないでいるのは棚に上げ、ニコラスも、また傍らで見守っている医師ダグラスも何も言わないのが、ナタリアは少々恨めしい。
叱ってくれる方がよっぽど楽かも・・・ああでも、本当にびしょびしょだわ。どうしよう。これはもう一つ脱脂綿を取って拭き取った方が・・・?
緊張と羞恥とで、頭が上手く働かない。
と言うより、実はもう消毒は十分なのだ。既に三分以上、その脱脂綿でニコラスの腕をぐりぐりしているのだから。
「・・・」
ニコラスは困った様に眉を少し下げるだけ。
ダグラスに至っては、高みの見物を決め込んで何も言わない。ただただ面白がっている。
あれほどに濡れそぼっていた脱脂綿も乾ききった頃。
ドタドタという足音と共に、医務室の扉が開かれる。
「ナタリアちゃーん! オレ、膝を擦りむいちゃった! 消毒してくれよ!」
この春、入団したばかりの新人だ。ニコラスと同じく平民、だが違うのは生粋の平民であること。剣の腕を評価されての入団だった。
膠着していた場面が動き出す。
「あ、はい。今・・・」
ずっと掴んだままだったニコラスの腕から、ナタリアの手が離れようという時。
ダグラスが新たな患者の腕を引っ張り、椅子に座らせた。
「治療なら俺がしてやる。ほれ、足を出せ、ドミトリー」
「ええ? オレ、ナタリアちゃんがいいのに」
「せっかく面白いとこだったのに邪魔しよって」
「え? 面白い? 邪魔? なんですか、それ」
「いいから、黙れ。傷はここだな」
「痛っ! ちょっとダグラスさん、痛いってっ!」
横で突然に始まった軽いやり取りに、ナタリアとニコラスが呆気に取られる。
ハッと我に帰ったナタリアが、慌ててガーゼを手に取り、ニコラスの腕に貼った。
「あの、ごめんなさい・・・手際が悪くて」
「いや・・・ぜんぜん平気」
漸く処置が終わり、ニコラスが慌ただしく立ち上がって医務室から出て行くのを、ナタリアは黙って見送る。
横で騒ぐダグラスとドミトリーのやり取りなど、聞こえなくなっていた。
そんな日々が続いて、ストライダム家での滞在もあと数日となった頃のこと。
ナタリアはレンブラントから呼び出しを受けた。
そもそもそれがここに呼ばれた理由、けれど、何故か今まで場が設けられなかった、例の報告とやらのためである。
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