蓮華

鎌目 秋摩

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待ち受けるもの

第38話 ヘイト ~梁瀬 1~

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 村の入り口に立ち、梁瀬は大きく深呼吸をした。
 緊張のあまり手が震えている。

 梁瀬の外見は村人と変わらない。
 これまでの村でも怪しまれることはなかった。
 けれど、ここでもそれが通用するとは限らない。

 かつて大陸に住んでいたとはいえ、それはロマジェリカだったし、母はヘイト人であっても梁瀬自身はヘイトに足を踏み入れたことがない。
 勝手の違うこの国で、もしも泉翔人であることがバレたら、どうなるんだろう?

(それでも……ここで手に入れられるなら、どうしてもほしい)

 意を決して村に入った。
 最初にすれ違った村人に目当ての家をたずねると、すぐに教えてもらうことができた。

 どうやら怪しまれはしなかったようだ。

 額にジワリとにじんだ汗を拭う。
 村の大通りから横道に入り、小川に沿って三軒並んだ左はしの家の前に立った。
 ノックをしようと手を掲げた瞬間、ドアが開いて老人が顔を出し、心臓が大きく跳ねた。

「あの……僕はウィローと申します。ここから東の村のオルランドさんの紹介でおうかがいしました」

 頭をさげてあいさつをし、紹介状を差し出した。
 ウィローは大陸にいたころの梁瀬の名前で、瞳が柳の若芽色をしていたからつけられたと、母から聞いている。

 老人は紹介状を手にすると、その場で中身の確認をし、訝し気に梁瀬を眺めてから、黙ったまま中に入るよううながしてきた。

「失礼します」

 小さな部屋の中は、ぐるりと壁中が書棚で囲まれ、押し潰されそうな圧迫感だ。

「……で?」

 あんぐりと口を開いたまま書棚を眺めていると、後ろから声をかけられ、梁瀬はハッとした。

「あ……オルランドさんにうかがったのですが、古い伝承を記した文献をお持ちだと……厚かましいとは思うのですが、ぜひとも拝見させていただけないでしょうか?」

「そんなもの、いまさら見たところでなにも変わりやせん。三賢者さまは、もうおられない」

 老人はフン、と鼻を鳴らす。
 梁瀬はなにも答えられず、黙って立ち尽くしていた。

「この国の青年のほとんどは国に捕られ、にも関わらず、先だってのくだらぬ同盟のおかげで、その半数以上が命を落としておる」

 部屋をグルグルと周りながら、書棚のあちこちから本を取り出しては机に置いていく。

「辛うじて逃げ出したものたちも、どこへ潜ったのか一向に姿をあらわしやしない。ようやく土が肥え始めたというのに、担い手がないおかげでまた寂れてしまった」

 そういわれてみると、これまで立ち寄った村でも若者の姿は少なかった。

「新たに血を引くものなど、いくら待ったところであらわれもせんわ。最もこの国以外ではいささか不穏がうかがえるがね」

(――新たに血を引くもの?)

 それがなにを指しているのか、梁瀬にはわからない。
 それを知るために、ここまできた。

「護ってやってると思い込み悦に入っておるようだが、こっちにしてみればただ流されて、とばっちりを喰らうだけだ。あんたら軍人には、それがわからんだろうな」

「いえ……僕は軍人ではありませんが……」

「この国では、だろうが」

 じろりと睨まれ、鼓動が激しく鳴った。
 手のひらどころか全身から冷汗が噴き出している気がする。

 バレている……。

 どういうわけかわからないけれど、この相手は梁瀬が泉翔人だと、そして戦士であると気づいている。

「あの……僕は……」

「サリーは変わりないのか?」

「……は?」

 サリーは母の大陸名だ。
 変わりはないのか、とはどういうことだろう?
 老人は呆れた顔をして積み重ねた本を前に椅子に腰かけた。

「来るのは遅い、わざわざ紹介状を持ってくる。おかしいと思ったが、おまえさんは自分の母親の出身地も知らんのか? だいたい、ウィローもワシがくれてやった名だ」

「母はこの村の出身なんですか!」

「サリーはなにも話していないのか。それも仕方のないことかも知れんが……おまえさんがここへ来るだろうと、連絡をよこしてきたのはサリーだよ」

 老人に椅子に腰かけるよううながされ、梁瀬は呆気に取られたまま、腰をおろした。
 それを見てから老人は、目の前に積み上げた本を指差した。

「これらが、恐らくこれから必要になるものだろう。持っておいき」

 そういってようやくほほ笑んでみせた。

「でも……こういった文献は貴重なものなのではないのですか? 僕が持ち帰ってしまっては……」

「ここへ残しておいても、埃に塗れて朽ち果てるか灰になるだけよ。それなら有効に使われたほうが気持ちがいいわ」

「そういっていただけるのなら、遠慮せずに持ち帰らせてもらいます。ありがとうございます、本当に助かります」

 深々と頭をさげた。
 その頭の上を、老人の満足そうな笑い声が通り過ぎていった。
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