蓮華

鎌目 秋摩

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待ち受けるもの

第178話 記憶 ~鴇汰 3~

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 風呂場を出て部屋までの廊下を、前を歩く岱胡と修治の後姿を見ながら、不意に思い出した。

(あたしはただ、人を傷つけるだけで……)

 なにかのときに、麻乃はそう言った。
 人を傷つけることに抵抗を感じているようだったのに、よりによって修治に傷を残していると知ったら、麻乃はなにを思うか。

(あの麻乃が平気でいられるとは思えない――)

 修治がいつでも麻乃のそばにいたのは、そのことを思い出さないように、思い出してしまっても、すぐに適切な対処ができるようにするためだったのかもしれない。
 麻乃がいつでも安定した暮らしができるように……。

 現にあのロマジェリカ戦の少し前までは、麻乃に不安定さはほとんど見えなかった。
 部屋で布団に横になり、ぼんやりと天井を眺めた。

「なぁ、ガキのころのこととは言え、あんたが斬られるほどだ。やっぱりあいつ、覚醒しかけて変わったのか?」

「あぁ、辛うじて避けた……と言うより、麻乃自身が間合いを測り切れなかったから助かったようなものだ」

「帰ってくるとき……絶対、強くなってるよな、あいつ」

「だろうな。昔より腕が上がってるぶん、底が知れずに厄介だ」

「そうか……」

「悩んだところでやれることは一つだ。なにがあっても麻乃は引き戻す。そのためにおまえは一人でも戻ってきたんだろう? 朝までもうすぐだ。いい加減にもう眠れ」

 修治はそのまま黙ってしまった。
 本当は修治こそが悩んでいる癖に。
 そう思うと、これまでのような修治に対しての嫌悪感も消えていくような気がして言われたとおりまぶたを閉じた。

 ――鉄錆の臭いが鼻をつく。
 言いようのない苛立ちを感じながら、真っすぐな廊下を歩いた。
 後ろから呼び止められ、振り返った。

「こんなところにいたのですか」

 マドルが安堵の表情を浮かべて、こちらへ駆け寄ってきた。

「大体のことは女官から聞きました。ですから、あまり出歩かないようにと……お怪我はありませんか?」

「あたしが、あんな程度に手こずって怪我を負うわけがない」

 正面に立ったマドルの顔を見上げた。その目線の高さに違和感を覚える。

「それに誰も死なせちゃいない。あさってには問題なく動ける。二度と手を出す気にならないように、一人だけ腕を落としてやったけどね」

 フン、と鼻を鳴らして目を逸らせた。

「あの女にも良く言っておくことだ。今度またあたしに構うなら……」

「……頬に血が」

 マドルの手が頬に触れた。
 ひどく胸がざわつく。
 拭うように親指が動いたあと、手のひらが頬を包んだ。

 真っ青な瞳に吸い込まれそうで、意識が揺れた。
 いろいろな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてきて、頭が痛い。
 それになにより、いつまでもマドルが頬に触れているのが許せない。
 自分もなぜ黙ってそれを許すのか。

「いつまでも触れてるんじゃねーよ!」

 感情が爆発して思い切り怒鳴り、手を払い除けたところで鴇汰は目が覚めた。
 目の前には、手を押さえて唖然とした岱胡の顔がある。
 勢いで岱胡の手を払ってしまったようだ。

「どうしたんスか? 起こそうと思ったら急に怒鳴るからビックリするじゃないッスか」

「悪い、変な夢を見てた」

 昨夜、夢を見たときのようにあまりの生々しさに体が震える。つい、岱胡から目を逸らした。

「まぁ、いいッスけど……そろそろ朝飯を運んでくれるそうですから、布団、上げちゃってください」

「あ……あぁ」

 二人とも、もう部屋の隅に布団を積み上げ、着替えも済ませていた。
 のそのそと動き、布団を畳んで一番上に積み上げると、寝汗のせいでジットリと湿った服を着替え、窓を開けて窓枠に腰を下ろした。

 外はわずかに明るくなり、森の木々の隙間をぬうように、薄く霧が立ち込めている。
 肘を掛けた手摺りから鉄錆の臭いがして、否応なしにさっきの夢を思い出す。
 どういうわけか、麻乃の目線で夢を見る。
 なにを思っているのかも、わずかに伝わってくる。
 ただの夢なのか、それとも――。

「――おい」

 突然、肩を掴まれて心臓がバクンと大きく鳴った。

「……おまえ、大丈夫か?」

 顔を上げると修治が訝しげに鴇汰を見ている。

「大丈夫ってなにがよ?」

「さっきから何度も呼んでるってのに、ピクリとも動かなかったじゃないか。体調が良くないんじゃ……」

「ちょっとぼんやりしてただけだ。どこも悪くねーよ」

 立ち上がって窓を閉めると、そう言った。
 いつの間にか朝食が運ばれていて、岱胡はもう食べ始めている。
 考えないようにすればするほど、頭の中は夢の中の麻乃を思う。

 ロマジェリカに加担しているのは、暗示にかけられているせいだと思う。
 けれど、さっきの物言いからは明らかに麻乃の意思を感じた。
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