蓮華

鎌目 秋摩

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動きだす刻

第118話 覚悟 ~レイファー 3~

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 ルーンを突き飛ばしてから、思いきり床を蹴った。
 王の息遣いは荒いままなのに、レイファーの剣は軽く受け流された。
 振り下ろした剣を今度は下から掬いあげる。

 王の服の胸もとが裂けた。
 一瞬、驚いた顔を見せたものの、すぐにまた不敵な笑みを浮かべている。
 なにがそんなにおかしいというのか。
 苛立ちを感じて力任せに勢いだけで向かっても、すべてかわされてしまう。

 敵わないはずがないのに……。
 若い現役の自分のほうがどう見積もっても動きもいいはずなのに。
 王に斬られた左腕がズキズキと痛む。

「その程度の腕前で、よくもこれまで生きて来れたものだ。よほど弱い相手としか縁がなかったようだな」

 弱い相手――?
 大陸では戦果を上げて領土を広げ、結果は出なかったものの、王でさえ手を拱いていた泉翔にまで渡っていることを知りながら……。

 カッと頭に血が上り、頭の芯が痺れるほどの憤りが沸く。
 強くグリップを握り締め、大きく振り下ろした剣は呆気なくかわされ、接近するのを待っていたのか、後頭部を肘でたたきつけられた。

 痛みと目眩で次の攻撃が避けられない、そう思っていたのに、距離を取ったのは王のほうだった。
 打たれた頭を抑えながら構え直した瞬間、今度は中村の言葉が甦った。

『あんた馬鹿なの? 感情に任せて猪のように突っ走ったって、そんな攻撃なんか軽く避けられるわよ。冷静におなり。頭を冷やして、まずは相手の隙を見極めなさい』

 そうだ。
 こんなに昂ったままでは隙をつくどころか、自分が隙だらけになる。
 葉山にも中村にも、そのせいで何度となくたたかれたじゃないか。

 風に揺れる木々の音、他の場所とは違う土の匂い、目を開けていられないほどの砂埃が立つことのない、食料となる実りをもたらす土地を、レイファー自身の手で広げたかった。

 ロマジェリカや庸儀は難しいかもしれない。
 けれどまだジャセンベルなら、ひどく辛い思いをすることもなく国じゅうの人間の手で作り出せる。

 そのためには、今の王では駄目だと――。

 胸の奥に燻って持てあましていた、良くわからない感情が、急に吹っ切れた気がする。
 向き合った王の懐を目がけて踏み込んだ。
 剣がぶつかり押し返されそうになったのを、刃を返して横へ弾く。
 振れた剣に引かれるように王の体が大きく揺れた。

(どうした……? スタミナ切れか?)

 ついさっきまで、レイファーの力でも押し返すのがやっとだったのに、簡単によろけた姿を妙だと思った。
 息遣いも心なしかさっきより荒い。
 それでも目だけは射るような力強さで、威圧感に息苦しくなるほどだ。

 ただ睨み合っているつもりがないのは王も同じのようで、互いにひたすら相手の隙を探しながら、剣を交えた。
 何度目かで、王が正面から踏み込んでくるときに、右足のつま先が半歩前に出ることに気づいた。
 そしてそのあと必ず左脇腹を狙って剣を振る。
 切り結んだままでいたのを、無理やり押し返して間合いを取った。

(落ち着け、落ち着くんだ……これさえ済めば……次は……)

 ゆっくりと呼吸を整えながら剣を持つ手に力を込める。
 何度か呼吸を繰り返すうちに、レイファーと王の呼吸音が一つになった。
 衣服の揺れ一つ見逃さないほど見つめていると、王のつま先が動いた。

(来る――!)

 左の脇腹に滑り込んできた剣を、そのまま左手で鞘を引き上げて防ぐ。
 勢いで開いた王の左半身がガラ空きだ。

 剣先に向いていた王の目がレイファーに向いた。
 間近で見た目は、レイファーと同じ濃い茶色だ。
 引いていた右手を空いた半身の胸を目がけ、体ごと渾身の力で突き抜いた。
 耳もとを大きく息を吸い込む音がよぎった。

 レイファーの体に王の重みがずしりと圧しかかってくる。
 それは思った以上に軽い。

「今ごろ……来おって……馬鹿者が……」

 息の抜けたか細い声で囁いたのを最後に、王は動かなくなった。
 床に横たえ、部屋をぐるりと見渡す。
 机の脇にある書棚から、ジャセンベルで信仰されている土地神さまの教本を取り出した。
 それを王の胸に抱かせると、隣に跪き、送りの一文を読み唱えてから首を切り落とした。

 憎しみを抱いているわけではない。
 まして愛情など感じたことも……。
 それなのに、淡々と作業をこなしながら溢れ出る涙が止まらなかった。
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