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第3章 竹馬の友
竹馬の友(2)
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お稚児さんを首になって一週間たった。
一月にしては比較的暖かな、
午後だった。
私は怖かったことも、
母に悪い子と責められて悲しかったことも、
すっかり忘れていた。
写真館に行った夜に引いた風邪が治ると、
二郎叔父がお祝いに玩具を買ってくれた。
電動式の、
シンバルを打つ猿のぬいぐるみだった。
猿を片手に廊下から部屋に入ると、
叔母が隣町から遊びに来ている。
祖母とこたつで向き合ってお茶を飲んでいる。
母娘はいつものように興奮気味にしゃべっている。
武藤さんのお孫さんの小虎君になったんだって、
でもまあよかったじゃない!
良子さんは小虎君こそ、
きっと選ばれると思っていたんじゃないの?
スグルに決まったと聞いて、
がっかりしたにちがいないよ。
そもそも昔は白羽の矢がささるのは士族さんの子に決まっていたし、
良子さんの兄さんの虎之助さんだって九歳の時にやったわけだし、
と口角泡飛ばしている。
私が虎之助さんて誰?
と聞くと、
叔母が小虎君の叔父さん、
偉い人よ!
おまけにハンサムでね!
と目を輝かせた。
それにしてもまったく武藤さんの家はついてないね、
一番優秀な長男の虎之助さんが十九歳で戦死で、
次男以下は皆ろくでもないし、
長女は亭主の会社が倒産で借金抱えて、
次女は病気で、
末っ子の良子さんは美大の先生にお嫁に行って、
小虎君が生まれたと思ったらお婿さんが事故で未亡人だし……
どんどん落ちぶれちゃって、
私が女学生の頃なんか武藤さんといったら皆の憧れだったんだよ、
こんな幸せがたまにはあってもいいんじゃないかい?
夢子さんはがっかりしているけれど、
と祖母が母の名前をだすと、
叔母が夢子さんは、
お稚児さんはただ綺麗で可愛いものだと思っているのよ、
所詮よその人ですものね、
よくわかっていないのね、
と答えた。
それにしても面白いのよ、
山口さんの奥さんから聞いたのだけど、
彼女が良子さんと一緒にいたとき宮司さんが来て、
スグルに決まった話をしたんですって、
そうしたらあのいつもお澄まししている、
良子さんが傍目にわかるほどがっくりと頭を垂れて、
ぼそぼそとこう言ったっていうじゃないの!
ああ、
あの院長先生のお孫さんの、
色白でお饅頭みたいなまん丸のお顔の、
いつもほっぺにおはぎのおかあばりをつけた坊や、
よく知っています、
いつも家の前をばあやさんと一緒に通りますから……って、
とここまで言った後、
叔母は私のぺちゃ鼻をボタンのようにぎゅうと押した。
私は小学校五年生までは登下校には毎日子守のおばさんがつきそった。
学校に行く途中の道に、
人家まばらなススキ野原が広がっていたからだ。
六年生になる春に、
東京から着た父の伯父がそれを聞いて、
甘やかしすぎだと怒ったのでそれから卒業までは自転車で通うようになった。
私は鼻をボタンのように押されて、
掃除機を突きつけられた猫のように逃げ出した。
ストーブで温められた部屋を出て、
冷蔵庫のような縁側に出た。
玄関で靴を取ってくると縁側に戻る。
猿によい子に待っててね、
とガラス戸にもたせかけるように座らせると、
マフラーでくるんでやった。
庭に降り、
松の幹に立てかけている竹馬を拾った。
それはいわゆる二本の棒でできたバランスをとりながら歩く竹馬ではない。
一本の竹の先端に二郎叔父による木彫りの馬の頭をくくりつけたものだった。
竹馬に憧れていたが、
うまくできない私に、
二郎叔父が作ってくれたものである。
彼によればこっちの方が伝統的な竹馬だという。
竹馬の友と言う言葉は中国の東晋時代の故事にもとづく言葉だが、
ここでいう竹馬はむしろこの形の玩具を指すらしい。
私はその「竹馬」にまたがり鯉の泳ぐ池の周りをしばらく跳ねた後、
飛び石をつたい、
門に出た。
門の軒下には年末からずっと、
刺繍入りの白いリボンや、
連になったトンボ玉や銀の鈴がぶら下がった、
白羽の矢が括り付けてあった。
それが、
いつの間にか撤去されていた。
矢を結わえ付けていたワイヤーが、
取るのを忘れたのか、
まだ残っていてカチャカチャと風に吹かれて音を立てていた。
私はさっきの祖母と叔母の話を思い出した。
ふうん小虎兄ちゃんがお稚児さんになったのかあ、
とつぶやいた。
私は小虎を知っていた。
良子さんが小虎の母だということも、
ぼんやりとわかっていた。
私が小虎に会ったのは、
白砂神社の十二年祭の丁度三ヶ月前の
私の誕生日の朝だった。
一月にしては比較的暖かな、
午後だった。
私は怖かったことも、
母に悪い子と責められて悲しかったことも、
すっかり忘れていた。
写真館に行った夜に引いた風邪が治ると、
二郎叔父がお祝いに玩具を買ってくれた。
電動式の、
シンバルを打つ猿のぬいぐるみだった。
猿を片手に廊下から部屋に入ると、
叔母が隣町から遊びに来ている。
祖母とこたつで向き合ってお茶を飲んでいる。
母娘はいつものように興奮気味にしゃべっている。
武藤さんのお孫さんの小虎君になったんだって、
でもまあよかったじゃない!
良子さんは小虎君こそ、
きっと選ばれると思っていたんじゃないの?
スグルに決まったと聞いて、
がっかりしたにちがいないよ。
そもそも昔は白羽の矢がささるのは士族さんの子に決まっていたし、
良子さんの兄さんの虎之助さんだって九歳の時にやったわけだし、
と口角泡飛ばしている。
私が虎之助さんて誰?
と聞くと、
叔母が小虎君の叔父さん、
偉い人よ!
おまけにハンサムでね!
と目を輝かせた。
それにしてもまったく武藤さんの家はついてないね、
一番優秀な長男の虎之助さんが十九歳で戦死で、
次男以下は皆ろくでもないし、
長女は亭主の会社が倒産で借金抱えて、
次女は病気で、
末っ子の良子さんは美大の先生にお嫁に行って、
小虎君が生まれたと思ったらお婿さんが事故で未亡人だし……
どんどん落ちぶれちゃって、
私が女学生の頃なんか武藤さんといったら皆の憧れだったんだよ、
こんな幸せがたまにはあってもいいんじゃないかい?
夢子さんはがっかりしているけれど、
と祖母が母の名前をだすと、
叔母が夢子さんは、
お稚児さんはただ綺麗で可愛いものだと思っているのよ、
所詮よその人ですものね、
よくわかっていないのね、
と答えた。
それにしても面白いのよ、
山口さんの奥さんから聞いたのだけど、
彼女が良子さんと一緒にいたとき宮司さんが来て、
スグルに決まった話をしたんですって、
そうしたらあのいつもお澄まししている、
良子さんが傍目にわかるほどがっくりと頭を垂れて、
ぼそぼそとこう言ったっていうじゃないの!
ああ、
あの院長先生のお孫さんの、
色白でお饅頭みたいなまん丸のお顔の、
いつもほっぺにおはぎのおかあばりをつけた坊や、
よく知っています、
いつも家の前をばあやさんと一緒に通りますから……って、
とここまで言った後、
叔母は私のぺちゃ鼻をボタンのようにぎゅうと押した。
私は小学校五年生までは登下校には毎日子守のおばさんがつきそった。
学校に行く途中の道に、
人家まばらなススキ野原が広がっていたからだ。
六年生になる春に、
東京から着た父の伯父がそれを聞いて、
甘やかしすぎだと怒ったのでそれから卒業までは自転車で通うようになった。
私は鼻をボタンのように押されて、
掃除機を突きつけられた猫のように逃げ出した。
ストーブで温められた部屋を出て、
冷蔵庫のような縁側に出た。
玄関で靴を取ってくると縁側に戻る。
猿によい子に待っててね、
とガラス戸にもたせかけるように座らせると、
マフラーでくるんでやった。
庭に降り、
松の幹に立てかけている竹馬を拾った。
それはいわゆる二本の棒でできたバランスをとりながら歩く竹馬ではない。
一本の竹の先端に二郎叔父による木彫りの馬の頭をくくりつけたものだった。
竹馬に憧れていたが、
うまくできない私に、
二郎叔父が作ってくれたものである。
彼によればこっちの方が伝統的な竹馬だという。
竹馬の友と言う言葉は中国の東晋時代の故事にもとづく言葉だが、
ここでいう竹馬はむしろこの形の玩具を指すらしい。
私はその「竹馬」にまたがり鯉の泳ぐ池の周りをしばらく跳ねた後、
飛び石をつたい、
門に出た。
門の軒下には年末からずっと、
刺繍入りの白いリボンや、
連になったトンボ玉や銀の鈴がぶら下がった、
白羽の矢が括り付けてあった。
それが、
いつの間にか撤去されていた。
矢を結わえ付けていたワイヤーが、
取るのを忘れたのか、
まだ残っていてカチャカチャと風に吹かれて音を立てていた。
私はさっきの祖母と叔母の話を思い出した。
ふうん小虎兄ちゃんがお稚児さんになったのかあ、
とつぶやいた。
私は小虎を知っていた。
良子さんが小虎の母だということも、
ぼんやりとわかっていた。
私が小虎に会ったのは、
白砂神社の十二年祭の丁度三ヶ月前の
私の誕生日の朝だった。
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