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第1章 性別不明のオネエ誕生
024 寂れた館での出会い
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それから数日後。
私とセルゲイは、師匠の知り合いとやらに会うために馬車に揺られていた。
行き先は知らされず、着いてからのお楽しみなどと言伝だけ聞いて、いざ馬車に乗ったのはいい。けれど、流れていく景色を前に、私達の顔色は段々と変化していく。
主に悪い方へ。
「あー、ねぇ、セルゲイ? 勘違いだったら嬉しいんだけど、気のせいかしら? この馬車、王族の避暑地に向かってない?」
「この道の先が王族の避暑地以外なんにもないなんてことか? ははは、俺とお前の気のせいだ」
「……」
「……」
「「……」」
そーっと顔を見合せると、セルゲイもめっぽう顔色が悪いのが窺えた。恐らく、私の顔色も同じかそれ以上に悪いはずだ。
乾いた笑みを浮かべ、揃ってため息をつく。
私たちの顔色が悪い理由。
それは、どうやら馬車の行き先が、王族の離宮がある場所のようだと分かってしまったからだった。
悲しいかな、上級貴族の教育に、王都周辺と国内の地理を教え込まれるというものがある。地図や小型の模型まで持ち寄って解説され、行ったこともないような場所の地形まで分かるように頭の中に叩き込まれたお陰で、この現状だ。
そんな、誰でも気軽に行ける場所では無い場所が、目的地。
もしかしなくても、師匠の知り合いとは、師匠クラスの高位貴族。もしくは、その更に上……あ、駄目だ考えたら頭痛がしてきた。
私はクラりとよろけそうになりながら、額に手を当てて堪える。けれど、どうしたって叫ばずにはいられなかった。
「報告・連絡・相談が足りてないのよ阿呆垂れ馬鹿師匠ぉぉおおおおおおおっ!!!!!!」
「なんで過去の俺は来るって選択肢を選んでしまったんだ…?」
虚しい私達の叫び声を他所に、馬車は軽快な車輪の音を立てて進み続ける。
どこか遠くで、暢気にさえずる鳥の声が聞こえた。
♦♢♢♦♢♦♢♢♦
「あ? 言ってなかったか? 行き先」
目の前の師匠が、悪びれもせずそう聞き返してきた。
隣でよろよろと窶れ気味の様子のセルゲイが馬車を降りるのを手伝いつつ、私は師匠をキッと睨み付ける。
「行き先の"い”の字も聞いちゃいないわよ!」
「まぁまぁ、そうカッカするな。眉間が険しくなってるぞ」
「どなたのせいでしょうね、一体!」
数時間馬車に揺られ続けているうちに、「よくよく考えてみればこれが正真正銘人生初の馬車での遠出なんじゃないか」とか「お義兄様に挨拶しないで出てきてしまったけれど、もしかしなくても今日中に帰れない案件なんじゃないか」等と色々思考していたら、もはや今日相見える人物と師匠に対しての呆れが頭の大半を占めていた。
途中から馬車酔いで具合の悪くなり初めたセルゲイの背中をさすりさすり、そもそもの問題私達が来ることを気難しい先方とやらは承知しているのかなどという初歩的だが嫌な予感まで浮かぶ始末。
──こんなに大変な思いをして──私がと言うより寧ろセルゲイがだけれど──、よもや師匠の独断と余計な世話だなんてこと、ありはしないでしょうね? まさかね?
いや、師匠に限って有り得る話だわぁ……。なんて、から笑いしているうちに馬車が人気の少ない森の中に停まってしまったのだ。
馬車の窓から、ここはどの辺りだろうかと様子を確認するよりも早く、ガチャッと音がしていきなりドアが開けられたかと思えば、「よう、無事着いたみたいだな!」と笑いながら師匠が顔を見せた驚きを想像して欲しい。
普通、御者が開けるでしょうよ。
全く。
こめかみを軽く押えつつ、降り立った場所を見廻すと、成程、王宮と言われても信じてしまう程大きく立派な館が森の中に建てられていた。
小さな子供の身体だからそう感じるのかもしれないが、あまりの大きさに軽く目眩を覚える。ハンスベルクの公爵邸だって前世の私からすれば有り得ない広さだったというのに、この館は最早規模が違った。
けれど、何故だろう。どことなく、寂しい様な感じがするのは。
まるで、誰も訪れる事のない寂れた場所の様に感じられてしまった。そんな事、あるはずがないのに。
少し躊躇いを覚える私に、そんな空気をぶった斬るような師匠の明るいカラッとした声が聞こえ、思考を遮った。
「そんじゃ、ま。ついて来てくれ。歩きながら話す」
「ちょっと待って、師匠。セルゲイはまだ歩けないわよ」
さっさと歩き出そうとする師匠に待ったをかけると、師匠は怪訝そうな顔をして振り返った。と同時に、そこでようやく真っ青な顔をするセルゲイの様子に気が付いたらしい。
片眉を上げ、訝しんだ表情になる。
「ああ? なんだ、馬車酔いか?」
「そうよ。今にもぶっ倒れそうなんだから、人に会う前に何処かで休ませないと」
「だいじょう……うぐっ」
返事をしようとしてグッと押し黙ってしまったセルゲイの様子を見て、師匠も頷く。
誰が見ても胃の中身をぶちまけそうな顔をして言う大丈夫がさっぱり大丈夫では無い事くらい、流石の師匠にも分かった様だ。
「無理をすんなよ。先に客間に案内してやるから、休んでろ」
言うが早いかヒョイとセルゲイの体を持ち上げた師匠は、今度こそ目の前の館に向かって歩き出した。
後ろから足早について行くと、「あ、そうだ言い忘れてた」と何でもない事を告げるかのようにサラッと言われた師匠の言葉に目が点になる。
「向こうには、今日お前らを連れてくる事はまだ話してねーんだ。そうでもしないと、逃げられっからな」
そう言って、館の中へと消えていった師匠の背中を呆然と見詰めながら、私は戦慄いた。
──もうヤダこの人、知らせてないって何!? 逃げるってどういうこと!!!
初っ端から前途多難過ぎるっ!
一体全体どこに、気難しい知り合いに人を紹介しようとして訪問日を知らせぬ非常識がいるというのだ。気難し屋でなくとも、そんな事を平気でされて大丈夫な人間がいるものか。
私でも逃げるかもしれない。
──とはいえ、こうなったらもう平身低頭で謝るしかないわ……。ああっ、もう!! ほんとに、もうっ!!
色々と突っ込みが追い付かない状態に頭を抱えながら、半ば放心状態で追い掛けたせいなのか。
私は致命的なミスをした。
「ここ……どこ?」
なんということか。
転生人生二度目の迷子になったのである。
───お、落ち着け。落ち着け、私。
今日は厄日か何かだったろうか???
いや全く落ち着いてなんか居られないのだけれども。ホントにどうしてこうなった。
先に歩いていってしまった師匠を追い掛けて来たはずなのに、師匠もセルゲイも見当たらないばかりか、自分が今館のどの辺にいるのかも分からなくなっているこの状況。
周りを見てみるが、どこをどう来てここまで辿り着いたかすら、皆目見当もつかない。
というか、人気すらもない。
「ここ、王族避暑地なのよね? どうしてこんなに、人気がないの……?」
思わず独り言を言ってしまうくらいには、しーんと静まり返っている。
自分の声すら反響して聞こえるくらいの広い廊下に、私一人だけがぽつんと佇んでいる。
おかしい。
入口でも違和感を覚えた事なのだけれども、普通客人が来ると分かっていたら使用人が出迎えに来る筈なのに、馬車を開けたのは師匠だったし、その後も目ぼしい使用人や人影をさっぱり見ていない。
仮に来客の先触れが無かったとしても、表に停る馬車の蹄や嘶きが聞こえれば、館の主に取り次いだり客間に留めたりと誰かしらが顔を見せるのが常だ。
第一、こうも広大な館だ。維持清掃を行う何某かの者がいるはずなのだ。こうも人っ子一人見かけないとは、おかしいを通り越していっそ不気味なくらいに思える。
──本当に、人がいるのよね? まさか、廃墟とかじゃ……。いや違うわね、手入れはされてるもの。
人気はまるでないものの、前世の家の居間が丸ごと入るのではないかという広さの廊下には塵一つ落ちていないし、敷かれているカーペットも比較的新しい様に思う。
廃墟では無い。
でも、人がいるとも思えない。
自分は方向音痴だっただろうかなどと悲しい想像が頭を過ぎるけれど、そんな事は無いはずで。
と、現実逃避しかけた頭を振って、今はそれどころでは無いと考え直す。
兎も角、師匠を探さなくては。
「どうにかして、エントランスに戻りましょう。馬車の近くにいれば、師匠が気が付いて戻ってくるかもしれないし。後は、セルゲイを休ませているはずの客間を、虱潰しに探していくしかないかしらね」
一先ず、来た道をもどることだけを考えながら、私は振り返って歩き出した。
途中途中にある部屋の扉から中を伺いながら、師匠やセルゲイ、誰でもいいから人がいないかも探しつつ進む。
けれど、一向に師匠達は見つからなかった。
「嘘でしょう……。こんなに見つからないなんてこと、ある?」
体感時間で一時間以上探し回った気がする。
きっと現実ではそんなに経っていないのだろうけれど、あまりの人気のなさに段々心細くなっているのを自覚しているので、やけに時間の流れがゆっくり感じられるのだろう。
流石の私も、ちょっと怖くなってきた。
「もう、誰でもいいから出てきて……」
自分が出した声が思った以上に途方に暮れていて、その事が微かな不安を更に煽る。
前世でも今世でも、ここまで人と離れて過ごしていた事なんてない。
前世だって、一人の時間を過ごす事はあっても、ちょっと耳をすませば雑踏や話し声、交通の騒音なんかが聞こえた。
今世だって、孤児院ではいつも皆が一緒だったし、公爵邸では使用人の誰かがそばに居てくれた。
こんなに、静かな場所を怖いと思う事なんか、なかった。
「……ッダメよ、落ち着いて私。大丈夫……」
歯を食いしばる。
鼻の奥がツキんと痛み目がジワジワと濡れてくるのを必死に堪えた。
これはいけない。身体が子供なせいで、また感情が引き摺られている。
こんな事くらいで泣いて、どうする。
──泣いている暇があるなら、歩くのよ!
知らない場所に一人でいる心細さのせいで、時間が経過するごとに不安に押し潰されそうになってくる。情けなくて、更に涙が出そうだった。
その時。
「……!? えっ、今の……」
微かに。
ほんの微かにだけれど、遠くの方で、物音が聞こえた。
「気のせいじゃないわよね。確かに、何か聞こえたわっ」
この際何でもいい。
音のした方に行けば、今この状況より少なくともマシになると、この時は思っていた。
私は全速力で、物音が聞こえたはずの場所に走り出した。
嬉しい事に、一度物音がした方からまた微かに物音が聞こえた。今度は話し声も混じっている。
近い。
◆◆◆
冷静に考えてみれば、おかしいと気付くべきだった。おかしい事の連続だったのだ。
でも、私は気が付くことが出来なかった。
そのくらい、その時の私は冷静じゃなかったのだと、あとから考えて気が付いた。
◇◇◇
「この辺り……よね?」
音が聞こえた辺りまで来れたものの、パッタリと音が途切れてしまい、見失った。
それでも先程まではチラリとも感じなかった人の気配があったので、私の不安もいくらか和らいでいた。
「誰か見つけたら、事情を説明して、勝手に歩き回った事を謝って、師匠のいるところまで案内してもらえばいいわ」
努めて明るい声を出して、自分を鼓舞した。
自分でもどうしてこんなに不安になるのか分からなかったけれど、人がいるという事実が無性に嬉しかった。
「! また、音がしたわ。あの部屋ね!」
今度こそ、近くで人の気配とハッキリとした物音が聞こえ、私はその部屋に一目散に飛び込んだ。
そして、目を疑った。
「……は?」
「「「!!」」」
「……」
男が三人と、子供が一人。
男は全身黒い服で、目だけが驚いた様にこちらを見詰めている。
そして、手には───
武器。
「がはっ!!!?」
考えるよりも身体が先に動いていた。
突然現れた子供に蹴り飛ばされて壁を突き破った仲間を見て驚きを顕にした表情に向かって、躊躇なく服の下から取り出した短剣を突き出すも、僅かに躱された。
それでも、予想外の出来事による驚きが思考を鈍らせていたのだろう。死角から突き出したもう片方の短剣は、しっかりと男の肩口に突き刺さった。
「ガア゛ア゛ア゛ッ」
躊躇いなく短剣を引き抜き、出血と痛みに呻いて体勢を崩した男の首に連続で蹴りを叩き入れると今度こそ、二人目も部屋の反対側まで鞠のように飛んでいってぶち当たり、そのまま動かなくなった。
三人目は……と思考していると、物凄い殺気を背後に感じ、刹那今までいた場所に深々と長剣が突き刺さっていた。
私は避けた場所からそれを眺め、その間にも新しい武器を構えて跳躍してきた男を避け、続け様に刃を振るう。
最早驚きも動揺もなく、全ての攻撃を受け流した男に対し見事と思いながらも、私は風を纏わせた両の刃を更に振るい続けた。
◆◆◆
勝負は驚く程呆気なく着いてしまった。
何度目かも分からない刃の交わりを受け流して攻撃をする僅かの合間に一瞬、男の意識が遅れた。
次の瞬間、男の腹からは刃が生えていた。
カッと目を見開き、音もなく崩れ落ちた男の背後には、長剣を構え静かに佇む子供がいる。
酷く落ち着いた様子で、感情の揺らぎのない完璧な笑みを浮かべているそれは、長剣に着いた血を慣れた様子で弾き飛ばし、私に向け直した。
子供は静かな目で私を見詰めている。
その瞳をみた瞬間、私は走り出していた。
「なっ……!?」
見かけからは想像もしないくらい大人びた声が、驚きを顕にしている。
その事に再び安堵した私は、漸く止めていた息を吐き出した。
腕に力を込め、呟くように洩れた言葉は掠れて音にならなかった。
だのに、それだけで私は満足して、今度こそ、意識を失ったのだ。
私とセルゲイは、師匠の知り合いとやらに会うために馬車に揺られていた。
行き先は知らされず、着いてからのお楽しみなどと言伝だけ聞いて、いざ馬車に乗ったのはいい。けれど、流れていく景色を前に、私達の顔色は段々と変化していく。
主に悪い方へ。
「あー、ねぇ、セルゲイ? 勘違いだったら嬉しいんだけど、気のせいかしら? この馬車、王族の避暑地に向かってない?」
「この道の先が王族の避暑地以外なんにもないなんてことか? ははは、俺とお前の気のせいだ」
「……」
「……」
「「……」」
そーっと顔を見合せると、セルゲイもめっぽう顔色が悪いのが窺えた。恐らく、私の顔色も同じかそれ以上に悪いはずだ。
乾いた笑みを浮かべ、揃ってため息をつく。
私たちの顔色が悪い理由。
それは、どうやら馬車の行き先が、王族の離宮がある場所のようだと分かってしまったからだった。
悲しいかな、上級貴族の教育に、王都周辺と国内の地理を教え込まれるというものがある。地図や小型の模型まで持ち寄って解説され、行ったこともないような場所の地形まで分かるように頭の中に叩き込まれたお陰で、この現状だ。
そんな、誰でも気軽に行ける場所では無い場所が、目的地。
もしかしなくても、師匠の知り合いとは、師匠クラスの高位貴族。もしくは、その更に上……あ、駄目だ考えたら頭痛がしてきた。
私はクラりとよろけそうになりながら、額に手を当てて堪える。けれど、どうしたって叫ばずにはいられなかった。
「報告・連絡・相談が足りてないのよ阿呆垂れ馬鹿師匠ぉぉおおおおおおおっ!!!!!!」
「なんで過去の俺は来るって選択肢を選んでしまったんだ…?」
虚しい私達の叫び声を他所に、馬車は軽快な車輪の音を立てて進み続ける。
どこか遠くで、暢気にさえずる鳥の声が聞こえた。
♦♢♢♦♢♦♢♢♦
「あ? 言ってなかったか? 行き先」
目の前の師匠が、悪びれもせずそう聞き返してきた。
隣でよろよろと窶れ気味の様子のセルゲイが馬車を降りるのを手伝いつつ、私は師匠をキッと睨み付ける。
「行き先の"い”の字も聞いちゃいないわよ!」
「まぁまぁ、そうカッカするな。眉間が険しくなってるぞ」
「どなたのせいでしょうね、一体!」
数時間馬車に揺られ続けているうちに、「よくよく考えてみればこれが正真正銘人生初の馬車での遠出なんじゃないか」とか「お義兄様に挨拶しないで出てきてしまったけれど、もしかしなくても今日中に帰れない案件なんじゃないか」等と色々思考していたら、もはや今日相見える人物と師匠に対しての呆れが頭の大半を占めていた。
途中から馬車酔いで具合の悪くなり初めたセルゲイの背中をさすりさすり、そもそもの問題私達が来ることを気難しい先方とやらは承知しているのかなどという初歩的だが嫌な予感まで浮かぶ始末。
──こんなに大変な思いをして──私がと言うより寧ろセルゲイがだけれど──、よもや師匠の独断と余計な世話だなんてこと、ありはしないでしょうね? まさかね?
いや、師匠に限って有り得る話だわぁ……。なんて、から笑いしているうちに馬車が人気の少ない森の中に停まってしまったのだ。
馬車の窓から、ここはどの辺りだろうかと様子を確認するよりも早く、ガチャッと音がしていきなりドアが開けられたかと思えば、「よう、無事着いたみたいだな!」と笑いながら師匠が顔を見せた驚きを想像して欲しい。
普通、御者が開けるでしょうよ。
全く。
こめかみを軽く押えつつ、降り立った場所を見廻すと、成程、王宮と言われても信じてしまう程大きく立派な館が森の中に建てられていた。
小さな子供の身体だからそう感じるのかもしれないが、あまりの大きさに軽く目眩を覚える。ハンスベルクの公爵邸だって前世の私からすれば有り得ない広さだったというのに、この館は最早規模が違った。
けれど、何故だろう。どことなく、寂しい様な感じがするのは。
まるで、誰も訪れる事のない寂れた場所の様に感じられてしまった。そんな事、あるはずがないのに。
少し躊躇いを覚える私に、そんな空気をぶった斬るような師匠の明るいカラッとした声が聞こえ、思考を遮った。
「そんじゃ、ま。ついて来てくれ。歩きながら話す」
「ちょっと待って、師匠。セルゲイはまだ歩けないわよ」
さっさと歩き出そうとする師匠に待ったをかけると、師匠は怪訝そうな顔をして振り返った。と同時に、そこでようやく真っ青な顔をするセルゲイの様子に気が付いたらしい。
片眉を上げ、訝しんだ表情になる。
「ああ? なんだ、馬車酔いか?」
「そうよ。今にもぶっ倒れそうなんだから、人に会う前に何処かで休ませないと」
「だいじょう……うぐっ」
返事をしようとしてグッと押し黙ってしまったセルゲイの様子を見て、師匠も頷く。
誰が見ても胃の中身をぶちまけそうな顔をして言う大丈夫がさっぱり大丈夫では無い事くらい、流石の師匠にも分かった様だ。
「無理をすんなよ。先に客間に案内してやるから、休んでろ」
言うが早いかヒョイとセルゲイの体を持ち上げた師匠は、今度こそ目の前の館に向かって歩き出した。
後ろから足早について行くと、「あ、そうだ言い忘れてた」と何でもない事を告げるかのようにサラッと言われた師匠の言葉に目が点になる。
「向こうには、今日お前らを連れてくる事はまだ話してねーんだ。そうでもしないと、逃げられっからな」
そう言って、館の中へと消えていった師匠の背中を呆然と見詰めながら、私は戦慄いた。
──もうヤダこの人、知らせてないって何!? 逃げるってどういうこと!!!
初っ端から前途多難過ぎるっ!
一体全体どこに、気難しい知り合いに人を紹介しようとして訪問日を知らせぬ非常識がいるというのだ。気難し屋でなくとも、そんな事を平気でされて大丈夫な人間がいるものか。
私でも逃げるかもしれない。
──とはいえ、こうなったらもう平身低頭で謝るしかないわ……。ああっ、もう!! ほんとに、もうっ!!
色々と突っ込みが追い付かない状態に頭を抱えながら、半ば放心状態で追い掛けたせいなのか。
私は致命的なミスをした。
「ここ……どこ?」
なんということか。
転生人生二度目の迷子になったのである。
───お、落ち着け。落ち着け、私。
今日は厄日か何かだったろうか???
いや全く落ち着いてなんか居られないのだけれども。ホントにどうしてこうなった。
先に歩いていってしまった師匠を追い掛けて来たはずなのに、師匠もセルゲイも見当たらないばかりか、自分が今館のどの辺にいるのかも分からなくなっているこの状況。
周りを見てみるが、どこをどう来てここまで辿り着いたかすら、皆目見当もつかない。
というか、人気すらもない。
「ここ、王族避暑地なのよね? どうしてこんなに、人気がないの……?」
思わず独り言を言ってしまうくらいには、しーんと静まり返っている。
自分の声すら反響して聞こえるくらいの広い廊下に、私一人だけがぽつんと佇んでいる。
おかしい。
入口でも違和感を覚えた事なのだけれども、普通客人が来ると分かっていたら使用人が出迎えに来る筈なのに、馬車を開けたのは師匠だったし、その後も目ぼしい使用人や人影をさっぱり見ていない。
仮に来客の先触れが無かったとしても、表に停る馬車の蹄や嘶きが聞こえれば、館の主に取り次いだり客間に留めたりと誰かしらが顔を見せるのが常だ。
第一、こうも広大な館だ。維持清掃を行う何某かの者がいるはずなのだ。こうも人っ子一人見かけないとは、おかしいを通り越していっそ不気味なくらいに思える。
──本当に、人がいるのよね? まさか、廃墟とかじゃ……。いや違うわね、手入れはされてるもの。
人気はまるでないものの、前世の家の居間が丸ごと入るのではないかという広さの廊下には塵一つ落ちていないし、敷かれているカーペットも比較的新しい様に思う。
廃墟では無い。
でも、人がいるとも思えない。
自分は方向音痴だっただろうかなどと悲しい想像が頭を過ぎるけれど、そんな事は無いはずで。
と、現実逃避しかけた頭を振って、今はそれどころでは無いと考え直す。
兎も角、師匠を探さなくては。
「どうにかして、エントランスに戻りましょう。馬車の近くにいれば、師匠が気が付いて戻ってくるかもしれないし。後は、セルゲイを休ませているはずの客間を、虱潰しに探していくしかないかしらね」
一先ず、来た道をもどることだけを考えながら、私は振り返って歩き出した。
途中途中にある部屋の扉から中を伺いながら、師匠やセルゲイ、誰でもいいから人がいないかも探しつつ進む。
けれど、一向に師匠達は見つからなかった。
「嘘でしょう……。こんなに見つからないなんてこと、ある?」
体感時間で一時間以上探し回った気がする。
きっと現実ではそんなに経っていないのだろうけれど、あまりの人気のなさに段々心細くなっているのを自覚しているので、やけに時間の流れがゆっくり感じられるのだろう。
流石の私も、ちょっと怖くなってきた。
「もう、誰でもいいから出てきて……」
自分が出した声が思った以上に途方に暮れていて、その事が微かな不安を更に煽る。
前世でも今世でも、ここまで人と離れて過ごしていた事なんてない。
前世だって、一人の時間を過ごす事はあっても、ちょっと耳をすませば雑踏や話し声、交通の騒音なんかが聞こえた。
今世だって、孤児院ではいつも皆が一緒だったし、公爵邸では使用人の誰かがそばに居てくれた。
こんなに、静かな場所を怖いと思う事なんか、なかった。
「……ッダメよ、落ち着いて私。大丈夫……」
歯を食いしばる。
鼻の奥がツキんと痛み目がジワジワと濡れてくるのを必死に堪えた。
これはいけない。身体が子供なせいで、また感情が引き摺られている。
こんな事くらいで泣いて、どうする。
──泣いている暇があるなら、歩くのよ!
知らない場所に一人でいる心細さのせいで、時間が経過するごとに不安に押し潰されそうになってくる。情けなくて、更に涙が出そうだった。
その時。
「……!? えっ、今の……」
微かに。
ほんの微かにだけれど、遠くの方で、物音が聞こえた。
「気のせいじゃないわよね。確かに、何か聞こえたわっ」
この際何でもいい。
音のした方に行けば、今この状況より少なくともマシになると、この時は思っていた。
私は全速力で、物音が聞こえたはずの場所に走り出した。
嬉しい事に、一度物音がした方からまた微かに物音が聞こえた。今度は話し声も混じっている。
近い。
◆◆◆
冷静に考えてみれば、おかしいと気付くべきだった。おかしい事の連続だったのだ。
でも、私は気が付くことが出来なかった。
そのくらい、その時の私は冷静じゃなかったのだと、あとから考えて気が付いた。
◇◇◇
「この辺り……よね?」
音が聞こえた辺りまで来れたものの、パッタリと音が途切れてしまい、見失った。
それでも先程まではチラリとも感じなかった人の気配があったので、私の不安もいくらか和らいでいた。
「誰か見つけたら、事情を説明して、勝手に歩き回った事を謝って、師匠のいるところまで案内してもらえばいいわ」
努めて明るい声を出して、自分を鼓舞した。
自分でもどうしてこんなに不安になるのか分からなかったけれど、人がいるという事実が無性に嬉しかった。
「! また、音がしたわ。あの部屋ね!」
今度こそ、近くで人の気配とハッキリとした物音が聞こえ、私はその部屋に一目散に飛び込んだ。
そして、目を疑った。
「……は?」
「「「!!」」」
「……」
男が三人と、子供が一人。
男は全身黒い服で、目だけが驚いた様にこちらを見詰めている。
そして、手には───
武器。
「がはっ!!!?」
考えるよりも身体が先に動いていた。
突然現れた子供に蹴り飛ばされて壁を突き破った仲間を見て驚きを顕にした表情に向かって、躊躇なく服の下から取り出した短剣を突き出すも、僅かに躱された。
それでも、予想外の出来事による驚きが思考を鈍らせていたのだろう。死角から突き出したもう片方の短剣は、しっかりと男の肩口に突き刺さった。
「ガア゛ア゛ア゛ッ」
躊躇いなく短剣を引き抜き、出血と痛みに呻いて体勢を崩した男の首に連続で蹴りを叩き入れると今度こそ、二人目も部屋の反対側まで鞠のように飛んでいってぶち当たり、そのまま動かなくなった。
三人目は……と思考していると、物凄い殺気を背後に感じ、刹那今までいた場所に深々と長剣が突き刺さっていた。
私は避けた場所からそれを眺め、その間にも新しい武器を構えて跳躍してきた男を避け、続け様に刃を振るう。
最早驚きも動揺もなく、全ての攻撃を受け流した男に対し見事と思いながらも、私は風を纏わせた両の刃を更に振るい続けた。
◆◆◆
勝負は驚く程呆気なく着いてしまった。
何度目かも分からない刃の交わりを受け流して攻撃をする僅かの合間に一瞬、男の意識が遅れた。
次の瞬間、男の腹からは刃が生えていた。
カッと目を見開き、音もなく崩れ落ちた男の背後には、長剣を構え静かに佇む子供がいる。
酷く落ち着いた様子で、感情の揺らぎのない完璧な笑みを浮かべているそれは、長剣に着いた血を慣れた様子で弾き飛ばし、私に向け直した。
子供は静かな目で私を見詰めている。
その瞳をみた瞬間、私は走り出していた。
「なっ……!?」
見かけからは想像もしないくらい大人びた声が、驚きを顕にしている。
その事に再び安堵した私は、漸く止めていた息を吐き出した。
腕に力を込め、呟くように洩れた言葉は掠れて音にならなかった。
だのに、それだけで私は満足して、今度こそ、意識を失ったのだ。
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