14 / 35
14. ブライアンゼ伯爵家①
しおりを挟むレキシーがラッセラード家に来た際に、私はフェンリーに何気なく聞いた。
「……しかしお前、本当にいいのか? 聞くところによるとビビア嬢は花の精のような可憐なご令嬢というじゃないか」
まあ聞いたところで今更考えを覆されても困るところもあるのだけれど。
会った事も無い婚約者に見切りをつけているフェンリーへの問いかけは、神職としての苦言か、叔父としての忠言か……
「え? 会った事、ありますよ?」
けれど返ってきたフェンリーの台詞に目を丸くする。
驚きに固まるこちらとは対照的に甥は平然としているが。
「あれは、ラシード伯爵の夜会の時でしょうか。きちんと名乗ったつもりでしたが、『男爵家』のところであからさまに顔を顰めてましたね。
その後誰だか知りませんが、エスコートをしている相手もそっちのけで、婚約を決められたばかりのエレント小公爵様の取り巻きの一人になっていましたよ。
壁の花の方がよっぽどましな、醜い本性を撒き散らして……あれが婚約者だとは誰にも知られたくありませんでした」
「……あ、うん。そうか……うん……」
根深そうな眼差しに視線を泳がせ、曖昧に相槌を打っておく。
──まあ確かに、いくら耳目に探らせていたとはいえ、それだけで縁を切るのは薄情とも思ったが……きちんと見極めていたようで何よりだから、目が笑っていないような気がするのは、見なかった事にしよう。
いずれにしてもフェンリー本人が気にしていないのだ。
自分もまた、レキシーの実家には良い印象がないし……伯爵家が傷一つ負うくらい別に構わないか。
レキシーは言葉を濁すが、彼女がドリート家に嫁いだ事が全てを物語っている。
『私は今の暮らしで充分です。貴族なのですから……当然の義務ですわ』
その義務の範疇はどれほど広いのだと、怒りと葛藤をレキシーに向けそうになっては、何度もそれを飲み込んだ。それは貴族を嫌になって逃げ出した自分が、立ち向かう彼女に言える事だろうか。
だからせめてレキシーはもう、幸せになっていいと思う。自分がそうしてやりたいとも。
その為にやりたい事があるのだけれど。その為に自分はここにいるのだけれど──
ふと視線を下げる。
(ああ、邪魔だなあ……)
目の前を飛び回る蚤をどう潰してやろうかと、イーライは目を細めた。
けれど次の瞬間、女の悲鳴が聞こえ、それがレキシーの名を叫んでいるのだと気付いたイーライの意識は、すぐにそちらに向かった。
◇
「お嬢様!」
叫ぶと同時に駆け寄るエルタごと、父は私を踏み付けにした。
「エルタ!!」
「お、お嬢様、お逃げ下さい……」
踏み付けにされたエルタの華奢な身体を抱え、私は父を睨みあげた。
「……使用人風情が出しゃばるからだ! ……なんだレキシー、その目は。育ててやっただろう! お前が今そうしていられるのは全て私のおかげだ! それをなんだ、どいつもこいつも私を見下して、馬鹿にしやがって!」
「あ、あなた……」
──執事から報告を受けている。
この数日ブライアンゼ家の名前で無理を通そうとして困ると、そんな苦情が届いている事を。
ラッセラード家との婚約解消が、徐々に影響を及ぼしている。
それにしてもビビアが王都へ戻った理由は、どうやら資金不足が主な理由なようだ。
お金の余裕が無いせいか、父の様子はいつにも増しておかしいし。お金の無い道中は余程不自由だったのだろう。
お金が無くなるのが何を意味するのか、それが少しでも分かったのかと思えば、それを屈辱と感じただけのようだ。貴族である事にしか価値を見出せない、自身の血統に絶対の自信を持っている父は、旅程で受けた扱いに矜持を傷つけられたのだろう。加えて旅で疲れて苛立っている。
頭に血が昇るのは仕方がないかもしれない。けれど、
「──見下されて馬鹿にされるのが嫌なら、人にたかるのを止めればよいのです!」
息を荒げる父に対し、言葉を続ける私に母は青褪めた。
……けれど、私だって怒っている。
勝手を振る舞い、振りかざし、誰にでも自分の行動原理が通用すると? 特にこれから、この人たちは、矜持かお金か、どちらかを選ばなければならない。
だからこれが私の親孝行だ。
何も言わず敬遠する事なら簡単かもしれない。
けれど私にはこうして立ち向かう事しか出来ないのだから……
本当は、宥めすかして甘やかして。こちらの思い通りに事を運ぶ、上手い立ち回りをすれば良いのだろう。けれど、所詮私にはそんな優しい役回りは与えて貰えない。
こうして声を荒げる程に激昂してやっと、父は私の目を見て話を聞いてくれる。
私はエルタを抱きしめ、続けた。
「お父様、私はもう何度も言いました。労働は卑しいからと見向きもせず、よく分かりもしない投資に手を出して、お金が無くなれば人に請う。
挙句、思い通りにならないからと、暴力で言い聞かせようとするのが、本当に貴族の在り方なのですか? それが本当に由緒正しい血統を誇る、我が家の振る舞いなのですか?」
「……っ」
顔を真っ赤にしたまま固まる父をじっと見上げた。
大丈夫だ、暴力を好む人だとは思わない。
──だからどうか少しでも私の言葉に耳を傾けて欲しい。
「お父様、どうか……」
真っ直ぐに向ける眼差しの先の父の瞳は揺れ、そして大きく開いた。
「何を生意気な事を! 私に指図するな!」
「きゃあ! あなた!」
振り下ろされる拳を見つめ、私は諦念に目を閉じた。
6
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
団長様、再婚しましょう!~お転婆聖女の無茶苦茶な求婚~
甘寧
恋愛
主人公であるシャルルは、聖女らしからぬ言動を取っては側仕えを困らせていた。
そんなシャルルも、年頃の女性らしく好意を寄せる男性がいる。それが、冷酷無情で他人を寄せ付けない威圧感のある騎士団長のレオナード。
「大人の余裕が素敵」
彼にそんな事を言うのはシャルルだけ。
実は、そんな彼にはリオネルと言う一人息子がいる。だが、彼に妻がいた事を知る者も子供がいたと知る者もいなかった。そんな出生不明のリオネルだが、レオナードの事を父と尊敬し、彼に近付く令嬢は片っ端から潰していくほどのファザコンに育っていた。
ある日、街で攫われそうになったリオネルをシャルルが助けると、リオネルのシャルルを見る目が変わっていき、レオナードとの距離も縮まり始めた。
そんな折、リオネルの母だと言う者が現れ、波乱の予感が……
【完】瓶底メガネの聖女様
らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。
傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。
実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。
そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。
拾った指輪で公爵様の妻になりました
奏多
恋愛
結婚の宣誓を行う直前、落ちていた指輪を拾ったエミリア。
とっさに取り替えたのは、家族ごと自分をも売り飛ばそうと計画している高利貸しとの結婚を回避できるからだ。
この指輪の本当の持ち主との結婚相手は怒るのではと思ったが、最悪殺されてもいいと思ったのに、予想外に受け入れてくれたけれど……?
「この試験を通過できれば、君との結婚を継続する。そうでなければ、死んだものとして他国へ行ってもらおうか」
公爵閣下の19回目の結婚相手になったエミリアのお話です。
次期騎士団長の秘密を知ってしまったら、迫られ捕まってしまいました
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢で貴族学院2年のルミナスは、元騎士団長だった父親を8歳の時に魔物討伐で亡くした。一家の大黒柱だった父を亡くしたことで、次期騎士団長と期待されていた兄は騎士団を辞め、12歳という若さで侯爵を継いだ。
そんな兄を支えていたルミナスは、ある日貴族学院3年、公爵令息カルロスの意外な姿を見てしまった。学院卒院後は騎士団長になる事も決まっているうえ、容姿端麗で勉学、武術も優れているまさに完璧公爵令息の彼とはあまりにも違う姿に、笑いが止まらない。
お兄様の夢だった騎士団長の座を奪ったと、一方的にカルロスを嫌っていたルミナスだが、さすがにこの秘密は墓場まで持って行こう。そう決めていたのだが、翌日カルロスに捕まり、鼻息荒く迫って来る姿にドン引きのルミナス。
挙句の果てに“ルミタン”だなんて呼ぶ始末。もうあの男に関わるのはやめよう、そう思っていたのに…
意地っ張りで素直になれない令嬢、ルミナスと、ちょっと気持ち悪いがルミナスを誰よりも愛している次期騎士団長、カルロスが幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いしますm(__)m
異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果
富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。
そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。
死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?
崖っぷち令嬢の生き残り術
甘寧
恋愛
「婚約破棄ですか…構いませんよ?子種だけ頂けたらね」
主人公であるリディアは両親亡き後、子爵家当主としてある日、いわく付きの土地を引き継いだ。
その土地に住まう精霊、レウルェに契約という名の呪いをかけられ、三年の内に子供を成さねばならなくなった。
ある満月の夜、契約印の力で発情状態のリディアの前に、不審な男が飛び込んできた。背に腹はかえられないと、リディアは目の前の男に縋りついた。
知らぬ男と一夜を共にしたが、反省はしても後悔はない。
清々しい気持ちで朝を迎えたリディアだったが……契約印が消えてない!?
困惑するリディア。更に困惑する事態が訪れて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる