先行投資

槇村香月

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先行投資・俺だけの人。

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そんなこんなで結局、ベッドで一時間ほど戯れて、各々朝の支度を済ませようやく、朝食になる。
朝だというのに、軽い運動をしてしまった。
樹は大学に行く準備をし、私は朝食の為、台所へたつ。



「あ、そういえばもうすぐ俺の誕生日だ…」

壁にかかったカレンダーを見ながら、樹はぽそりと呟いた。

朝食の準備をしている私も、釣られて、カレンダーをみる。

カレンダーは、6月になっている。
蛙と水玉模様の絵柄がついていた。
今日は6月1日。
そして、樹の誕生日は20日。
樹は6月20日で、20歳になる。



(二十歳か…)
あんな小さかった樹も、二十歳になるのか…。


樹と知り合って、もう8年。
20日で、樹は成人する。大人になるのだ。
今までは漠然とした別れを考えたことがなかった。

でも…。
樹はもう、20歳になる。
子供のままではいられない。
いつまでも、私の保護下のもとにいない。


「公久さん…?」
「ん…?」
「どしたの?ぼーとして…」
「いや…その、なんでもない…、ご飯にするか」

感傷に入りすぎたようだ。

取り繕うように言い、用意した朝食を机に並べる。
今日のメニューは、サラダ目玉焼きとトーストとベーコン。ごくごく平凡な朝食だ。

樹はにこにこと笑いながら、いただきます、と手を合わせる。


食事の前は、いただきます。

樹は、私に会う前まで、食事の時いただきますと言ったことがなかったらしい。
食事はいつも一人だったからだ。


今では、ちゃんと私が教育して、食事前は、食べ物への礼儀として言わせているけれど。

「ん~、この焼き具合。ほんと、公久さんって、いい奥さんだよね」

目玉焼きを頬張りながら、そんな言葉を口にする樹。

最近、樹は私をよく『奥さん』といってからかう。
別に私は料理が好きなだけで、女のような体はしていないのに。
樹は私を女扱いしたいのか。
そりゃ、抱かれては、いるけれど…。


「馬鹿か。私はお前の親だ」
「…親…ね…」
「そうだ…、大人をからかっても面白くないだろう」
「親…、そうだね…」


樹は突然口を閉じ、何かを思案する。
そして、じっと私の顔を見つめた。

なんだ…?その、何か言いたそうな瞳は…。


「樹…?」
「誕生日、」
「あ?ああ、後20日だな」
「うん…」

なんだ、どうも歯切れがわるいな…。

「なにか…欲しいものでもあるのか?」

樹ももう20歳だ。
欲しいものの一つや二つあるのかもしれない…。
安いものなら買ってやろうか…

久しぶりに、親心がむくむくと沸いてくる。

なんだかんだで、私は樹が可愛いんだ。
抱かれてはいるけれど、樹は私の養子だし…。
我儘も言われても、つい可愛いと思ってなんでもしてしまう。

30万くらいなら…成人祝いとして何か買ってやってもいいかもしれない。
それこそ、酒なんか二人で飲み明かして…。


「彼女…」
「は?」
「だから彼女……、っとなんでもない!」

えへへ~、と笑ってごまかしながら、ご馳走様、と席を立つ樹。
「樹、ちょっとま…」

「あ、それから、公久さん、もうおじさんなんだから…、あんまり無理しちゃ駄目だよ。パソコンは連続8時間までね」

「は…?なにを…」

「んじゃー、いってきまーす、あ、夜は遅くなるね。ご飯はいらないから」

「樹!」

「じゃーねっ」

ばたん、と無情にも響く、ドアの音。
樹は私の言葉も聞かずにドアを閉め、家から出て行った。

綺麗な見た目に反し、落ち着きのないやつだ。
日頃からもっと落ち着くように言って聞かせているのに。


縋るように、伸ばした手を下して、…ため息をつく。


樹がいなくなった部屋は、静寂と寂しさが部屋の中を充満していた。




「彼女…ね…」

樹は、確かにそういった。
本人はごまかしたつもりだけれど。
私はちゃんと、聞いた。

欲しいものはと聞いたら、彼女、っと。

彼女。

樹は…彼女が欲しいのだろうか…。
私なんかじゃなく…。
本当は…。
本当は今の生活を無理矢理合わせているんじゃないか。

育てて貰う代わりに。
もしかしなくても樹にとって私は、いつでも切れる存在なのではないか…

ただの親代わりで、血も繋がっていないんだから…


その時私、は…。

「やっぱり…このままじゃ…駄目なんだろうな…」


潮時、なのかも、しれない。

〝公久さんは、おじさんなんだから〟

「私は…樹と違って、10も年上だし…樹を…縛っていい存在じゃないかもしれない。でも…」

でも、まだ…私は…。

「…、仕事を、するか…」

これ以上考えたくなくて、そう呟き、玄関から背を向けた。


これ以上、樹が去った玄関を見たくなかったから。

いつか、樹が、この玄関から出ていく日が遠くないとわかっていても。


「馬鹿だな…、私は…」

最近は、どうも一人でいる瞬間が嫌になる。

樹と出会う前は一人で平気だったのに。

今は、一人の孤独が寂しくて堪らない。


特に、樹が部屋から出た瞬間が…私たちの終わりのように感じて。
終わりを、見ているような気がして。

「…私は、樹より子供なのかも、しれないな…」

自嘲気味につぶやく。
馬鹿だ。こんなこと、考えたって、意味ないのに。
終わりは何を考えたってやってくるのに。


いつまでも感傷に浸っていても、仕方がない。

私にだってやることがある。

簡単に家事をしてから、自分の部屋に戻ると、パソコンの前に座り、いつものように仕事へ。

取引先のメールをチェックして、株価や動向をチェックして…。


いつもは、仕事に集中できるのに、今日はなんだか乗り気になれない。
何故だろう。妙に物悲しい気持ちになる。

結局、適当にパソコンチェックした後、パソコンの切って、休憩がてらコーヒーブレイクを取ることにした。


 お気に入りの豆で作る自家製珈琲は、喫茶店のものより深みがあって上手い。

私は出来上がった珈琲カップを仕事場のデスクまで持っていき、嬉々としてカップに口をつける…

が…。

「…苦い…な…」

2、3口で飲むのをやめてしまった。

どうも胃がむかむかするのだ。珈琲なんか飲めない。

胃が炎症をおこしているのかもしれない…
そういえば、朝もいつもの半分も食べなかった。

ここ最近、買い物以外外へ出てもいなかったし…私の健康管理は最悪だと思う。

ここ何年も病院にいってないし、これを機に一度、病院へ検診にでもいくのがいいかもしれない…。
悪い病気だったら、樹にも悪い。

今日はこれ以上仕事もする気にならないし。
気分も悪い。


こうと決めたら、私の行動は早い。
病院に行くと気持ちを切り替えると、すぐさま、外出の準備をして、外に出た。


 行く場所は、ここ5年ほどでできた、近所の診療所だ。

一度、樹が熱を出して連れて行ったことがあるのだが、医者が凄い丁寧だった記憶がある。
確か、よぼよぼの爺さんだったが、適切な風邪のときのアドバイスをしてくれて…樹も2日くらいですっきり完治していた。


記憶を頼りに病院の道のりまで行くと、外装は少し古くなっていたものの、ちゃんと記憶通りに病院は存在していた。

なかなか繁盛しているらしく、病院内には数人のご老体や子供がいた。

中に入ると、ピンクのエプロンをつけた看護師が、カウンターから、「こんにちは」と声をかける。
私は受付に近づき保険証を鞄から取り出した。


「すいません、初めてなんですが…」
「ああ、こちらにご記入お願いしますか?」

受付で、保険証を出すと、看護師から紙を渡された。

受付でボールペンを借りて、紙に書かれた項目を一つ一つ記入していく。

全部書き終えて、再び受付に渡すとしばらく待つように指示された。 


「あ、戸塚さん、今日は院長代理の日なんですけど、大丈夫ですか…?」
「…院長…代理?」
「はい、院長先生、少しお年で。ちょっと身体悪くしちゃいまして。

今は息子さんが院長の代理として見てくれるんです。あ、でも腕は確かですよ。ハンサムですし」

「そうなのか…、いや、私は誰でも構わない」

「ありがとうございます」

おかけになって、もう少しお待ちくださいね…と、また待合室のソファーで待つことを指示される。
待っている間、暇なのでソファーに座り、近くにあったスポーツ紙を読んだ。


手にしたスポーツ誌にそっと、視線を落とす。
そこには大物俳優の浮気の文字。


なんでも、大物俳優が若い女と、夜で歩く姿を目撃されたらしい。



それにしても…浮気…ね…。
しかも、若い女と。
若い女…、か…。

〝彼女〟

先ほどの、樹の言葉が蘇る。
樹は…やはり若い女の方がいいんだろうか…。
…私は…樹のお荷物になっていないだろうか。


「戸塚さん、中へどうぞ」

樹の事を考えた時、名前が呼ばれた。

そのまま、新聞を元の場所に戻し、言われるがまま、診察室へと足を向ける。


 
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