【完結】天才強言士の少年ユルは、世界救済の旅だと知らない(上)

ふくねこ

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野宿の夜

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 ユルはにんまりと満足げな笑みを浮かべて頷き、火が高くなるまで待ち、大牙狼の肉塊を右手で掴む。
 摩擦を解除、耐熱たいねつ+5を付与。
 勢いを増した炎の中へ右手を入れ、必要以上に口を尖らせながら口笛を吹き、肉塊が焼けるのを心待ちにし始める。
 ふと、その顔が曇った。

「さぶい……」

 肌に触れる空気の冷たさに、ユルは耐冷を解除していたことを思い出す。
 だが、耐熱を解除すれば焼いた肉で体が温まるかな、それもいいな、と考え、久しぶりの寒さを享受することに決めた。

 時間をかけて火を通したが、大牙狼の肉は繊維質で硬く、生臭かった。美味いとは言えない食事を終え、ユルは耐冷+3を付与。
 ふと、大牙狼が潜んでいた穴の存在に気を留めた。

 そういえば大牙狼は2匹で行動することが多いビストだったはず。まだ潜んでいるかも。
 念のため中を確認すべきかと少し迷ったが、襲われたとしても、あのビストなら+3以上の剛性を付与しておけば傷にはならないはず。何より、面倒くさいしと、ユルは確認を行わずに大地へ背を預けた。

 長い欠伸のあとに新月の月を眺め、ユルは県を巡る自分の旅に思いを巡らせ、物憂げな表情で深く長いため息を吐く。
 国府資料館に納められている、把握されている県についての資料に記載されていた内容。

 全県民が2つの巨大な“宿”で暮らす県、抽象的で意味がわからなかったが、県の総力を上げて“指輪”を育てている県。
 2500メートルの高さをもつ、巨大という言葉では表現しきれない一枚岩の上に居を構えた県や、大船団を組んで世界の海を旅する県。

 ユルにはもはや気が触れているとしか思えないが、ビストの中でも危険度が飛び抜けて高い、単眼竜クロプスドラゴンが住む沼のほとりに居を構えた県もあった。

(……移動する県なんて、探しようもないし)

 間違いなく、苦労苦心の連続だろう。
 ベッドで、できれば柔らかいベッドで眠る夜は幾つあるだろうか。
 考えれば不安や不満は際限なく湧いてくる。

(やめよう。眠れなくなる)

 座り直して頭と幹の間に枕を挟んでから、ユルはもういちど長いため息を吐く。
 そのまま暫くの間、茫洋ぼうようと月を眺めていたが、やがて深い眠りへと落ちていった。

***

 小石のような雲が1つのみ浮かぶ、快晴に近い青空。
 降り注ぐ柔らかな陽光に瞼の裏を刺激され、ユルは穏やかな気持ちで目覚めた。
 起き抜けに日向でまどろむ猫のような欠伸をし、屈伸運動を繰り返す。

(よし、水浴びー)

 興奮で少し鼻腔を膨らませたユルは、吹き抜ける風に水の匂いを嗅ぎとり、考える。
 近くに川か沢があるはず。枕を押し込めた背嚢バックパックを背負い、風が吹き込んでくる方角へずんずんと進んでいく。
 数分ほど歩くと、大人の足で4歩ほどの横幅がある川があった。

 ユルは歩きながら器用に服を脱いでいき、川の側で背嚢バックパックを投げ捨て、全裸に。
 まだ冷たい初春の水を両手で汲み取り、猫と例えられる顔に似つかわしくない、筋肉で引き締まった体に何度も浴びせかける。

 水浴びを満喫し終え、麻袋に入った白い石鹸を背嚢バックパックから取り出し、水に浸した服を洗い始めた。
 必要以上に唇を尖らせて口笛を吹きながら洗濯を終え、剛性を解除。
 濡れた服と石鹸にそれぞれ速乾そっかん性と凝固ぎょうこ性を+3で付与し、服の白さと石鹸の乾き具合に満足、したり顔で2つの強言を解除。

 だがユルは突然、渋い顔になった。

(あー、首から上か……) 

 心の底から面倒くさそうに頭を水に浸し、手指で髪の毛の汚れを流す。
 国府からの支給品に頭髪や体を洗える石鹸が入っていなかったことを思い出し、国府長に腹を立てながら。
 
 仕上げの洗顔までを終えて、ふう、ひと仕事終えた、とため息を吐くユルの耳に、ふと人の声が飛び込んできた。

(んー?)

 振り向いたユルの目に、底の深い容器を手にした数人の男女が映る。何かを議論しながら近づいてきた彼らもユルに気づき、その場で一斉に足を止めた。

「あ……」

 生活に使われているのかと考え、かつ自分が全裸であることに非常の気まずさを感じたユルは、顔を歪めながら低く唸り、ほうぼうに跳ねた髪をするりと撫でる。

「きゃーっ!!」

 栗毛の少女と母親らしき中年女性が両手で顔を覆い、鋭く叫んだ。これはまずい、面倒くさいことになると、ユルは大慌てで服を着ようと立ち上がる。

「アンタ、川で体を洗ったの? ちょっと……もう……勘弁してよ!」

 中年女性が大股で近づき、大事な部分を隠しながら慌てて服を拾い集めるユルの目の前で大股を開いて立ち、腰に手を当てて続ける。

「この川の水はねえ……そう、使っている人もいるんだよ! アンタの汚い垢とか何とかを共有しろって? え?」

 奥歯に何か詰まったような物言いではあったが、女性とは思えない野太い声。
 迫力満点で圧力をかける女性に、どうにか服を着終えたユルは素直に事情を説明。自分が旅人であること、数日ぶりに水を見つけたので、何も考えずに使ってしまったことまでを伝え、そこから反撃に転じた。

「でもですね。そもそも、自由に使えない川なら看板か何かでそう教えておくべきじゃないですか? 僕のような旅人は知らないんですよ」

 理は自分にあると確信を持つユルの横に薙いだグラディウスの軌道を思わせる細い目には、相手への挑発と批判の色が乗っていた。

「はいぃ? アンタさ、なに言ってんのよ? ここに入るとき、事務所で管理隊に注意されたでしょ!」

(……あー)

 なるほど。わざわざ防護防護壁を越えなくても、どこかに管理事務所があったのか。まあ確かに、それが当然か。

 中年女性の言葉から事態を察知し、ユルは渋い顔でぼりぼりと頭を掻くが、それでも旅人である自分への説明が足りないからこうなるのだと、素直に謝りはしなかった。

「防護防護壁を越えたので、事務所は通ってません。第一、そういう決まりがあるなら県に入るときにしっかり伝えてもらわないと……」

 意地を張っていたが、ユルの声には少しずつ張りがなくなり、言い終えたころにはバツが悪そうに頭を掻きながら首部を垂れていた。
 中年女性は相手が怯んだと見たのか、止めを刺さんとばかりにユルへ理詰めで迫り、最終的に何も反論できなくなったユルが頭を下げる形になった。

「最初からそうやって素直に謝りなさいよ。……それよりアンタ、管理隊の許可なしでここにいるんでしょ? ここは旅人が来るところじゃないし。今すぐ出て行ってよ」

 ユルは薄い唇を真一文字に結んで不満を前面に押し出し、背嚢バックパックを背負う。
 周囲を取り囲む県民たちの目に明確な敵意を感じながら、県民たちが来た道へと。
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