境界のクオリア

山碕田鶴

文字の大きさ
9 / 65

9.邂逅 四

しおりを挟む
「過去の縛りがなくなったのなら、儀式とやらを続ける必要がどこにある?」

   男は正面を向いたまま訊いた。

「あの、子どもの頃は他人が怖くて誰とも話せなかったんですけど、少しは友達が欲しいなと思ったり生活するのに必要に迫られてとかで、実家を出てから人と接することが急に増えたんです。結構頑張りもしました。そうしたら、自分では平気なつもりなのに蕁麻疹や熱が頻繁に出るようになって……かなりのストレスだったみたいで。でも、それでも普通に人と接して関われるようになりたいし、自分にもできるはずだと思っています。だから、ストレスを溜めないように毎日自分をリセットしたいと思って、駅前でぼーっとしているといいますか……」
「家で瞑想でもすれば済む話ではないのか?」
「家ではダメなんです。気持ちをリセットするのに、自分は存在しないって思うくらい自分を消さないと安心できなくて。モールにいた時、自分は透明人間でいいんだって思い込み過ぎたせいかな……僕は一人になりたいんじゃなくて、周りにたくさん人がいても誰も僕を知らないし気にされないことを確認したいんです。自分でも変だとは……思っていますけど……」
「それでわざわざ駅前か。突飛な発想と極端な行動力だな。存在を否定しないと生きられないとは、矛盾の極みだ。まあ、生き方なんてそれぞれだろうけどな」

   男は何の感慨もなく言った。

「あの、なんで僕の話を聞いてくれるんですか?」

   素直に疑問が口をついた。

「君が話し続けているからだろう」
「あ……すみません」

   長々と話したことを晴久は謝った。言い訳にはならないが、この男は話しやすかった。特に関心もなくつまらなそうにしているのに、聞いてくれている感じがとてもする。

「いちいち謝るな。君は私が訊くから答えているだけだろうが」

   男は溜息をついた。

「君が儀式だと、あまりにも珍しいことを言うから変な宗教にでもハマっているのかと期待した。単なる野次馬だ。そんなものかと納得できる程度に聞ければそれでよかった」

   身もふたもないことを男はあっさりと告げた。

「はあ。それで、少しは納得できたでしょうか」
「さっぱりだな」
「……ですよね」
「慣れないくせに加減も知らず人と接触しようとして、ストレスを消すための儀式までしてなお突き進む。強迫行為をやめられないのは、既に疾患の域だ」

   男は急に体ごと晴久に向き直ると、顔を覗き込むように距離を詰めた。

「人が近いと怖いと言ったな。今、近いだろう?」
「え?  え……え……」

   あまりにも直接的な物言いに、男との距離を意識して晴久の体がこわばった。
   顔が近い。目が近い。怖過ぎて目を逸らすことすらできない。鼓動が激しくなって胸が痛い。
   これほど近いのに、男は平然と晴久を見ていた。

「その、物理的な近さの問題ではなくて……いえ、それもありますが……か、からかわないでくださいっ。急に近づかないでくださいっ」
「からかってはいない。まあ、距離感は納得した」

   男は晴久に向き合ったまま、少し離れて座り直した。

「距離感って何ですか⁉︎  そんな近い人いませんからっ。放っておいてください。僕は星の友情くらいの距離が丁度なんです」
「星の……友情?」

   男が怪訝そうに訊いた。あっ、と小さく叫んだ晴久を男は驚いたように見つめている。
   晴久は自分の言葉がさすがにメルヘン過ぎて笑われると思い、口にしたことを後悔した。

「その……『星の友情』っていうのは、さっき話した時計台のプレートに書いてあったんです。解説らしきものは難しい字が多くて子供には読めませんでしたけど、星と星のように、遠く離れていても引き合うような友情のことなのかなって思ったんです。僕は、そんな関係があったらいいなってずっと思っていて……」
「幻想だな」

   切って捨てるように言われて、晴久はうなだれた。笑われるより酷い。

「だいたい、そういう解釈なのか?  一度も近づいたことがなくて星と星の距離くらい薄い友情なら、そもそも引き合わないだろう?」

   男は追い打ちをかけるように続ける。

「宇宙は膨張しているって教わらなかったのか?  たとえ星と星が引き合っていても、どんどん離れていくだけだぞ」

   現実的かつ情緒のかけらもない指摘に晴久は脱力した。

「僕の生きる希望をあっさり砕かないでください」

   男は目だけ笑っていた。
   あ……。
   一瞬、何か小さくパチンと弾ける感覚を晴久は自分の中にはっきりと意識した。

   なんだろう?

   時計台の光景が目の前に広がる。毎時丁度になると踊り出す着飾った人形たち。何度聴いたかわからない、静かで物悲しいメロディー。
   時計台前のベンチに座り続けていた頃の気持ちを思い出したような気がした。
   なんだろう、この感じ。

「……そういえば。ショッピングモールの時計台っていつも同じ曲が流れるんですけど、朝でも昼でもいつ聴いてもなぜか『帰りなさい』って説教されている気分になったんですよ。僕の心の支えでしたけど……変な曲だったな」
「営業妨害甚だしい曲だな」
「はは、本当ですね」
「生きる希望、か……」

   男は腕時計をちらりと見て「時間だ」と立ち上がった。これから仕事だと言っていたはずだ。

「時間を取らせた。すまなかったな」

   男は座ったままの晴久に顔を寄せた。

「君も帰りなさい」

   たぶんそれは、晴久が記憶する限り自分に向けられた中で最も優しい響きだった。
   静かに寄せて満ちる波。あるはずのない記憶の音が聞こえたような気がした。

   波が引く──。

   晴久は男が視界から消える直前、とっさに男の腕をつかんでいた。

「おい?」

   振り向いた男には明らかに驚きの表情が見て取れた。
   晴久は自分でも驚いていた。
   引き止めてしまった。どうしよう。
   この状況をどうして良いかわからず困惑した。それでも、つかんだ腕を離すことができなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

日当たりの良い借家には、花の精が憑いていました⁉︎

山碕田鶴
ライト文芸
大学生になった河西一郎が入居したボロ借家は、日当たり良好、広い庭、縁側が魅力だが、なぜか庭には黒衣のおかっぱ美少女と作業着姿の爽やかお兄さんたちが居ついていた。彼らを花の精だと説明する大家の孫、二宮誠。銀髪長身で綿毛タンポポのような超絶美形の青年は、花の精が現れた経緯を知っているようだが……。 (表紙絵/山碕田鶴)

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

『 ゆりかご 』 

設楽理沙
ライト文芸
  - - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - - ◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。 " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。 ―――― 「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語 『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』 過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、 そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。 [大人の再生と静かな愛] “嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”  読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。 ――――            ・・・・・・・・・・ 芹 あさみ  36歳  専業主婦    娘:  ゆみ  中学2年生 13才 芹 裕輔   39歳  会社経営   息子: 拓哉   小学2年生  8才  早乙女京平  28歳  会社員  (家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト) 浅野エリカ   35歳  看護師 浅野マイケル  40歳  会社員 ❧イラストはAI生成画像自作  

見えない戦争

山碕田鶴
SF
長引く戦争と隣国からの亡命希望者のニュースに日々うんざりする公務員のAとB。 仕事の合間にぼやく一コマです。 ブラックジョーク系。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 『月のトカゲを探す者』第一部(全三部)。 (表紙絵/山碕田鶴)  

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子
恋愛
 来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。  学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。  ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。  そんなじれじれな話です。 *学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記) *エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。 *拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。  ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。 *作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。 関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役) 『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー) 『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル) 『物狂ほしや色と情』(名取葉子) 『さくやこの』(江原あきら) 『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)

処理中です...