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おこってるの?
しおりを挟むアレスは木剣を手放すと訓練場の中心から気だるげに隅の方に歩き始める。
声をかけようか迷ったが、今は少しアレスと話すのが気まずい。
こんなこと一度だってなかったのに。
今朝だって訓練に行きたくないと私をきつく抱きしめて離さなかったアレスを必死にはがして玄関から追い出したばかりだ。
半日も経たずにこんな思いをすることになるなんて誰が予想出来ただろうか。
ただただじっと彼に向けた視線の中に、長い赤い髪を一つに束ねた彼女を捉えた時は思わず目を疑った。
ラミティカ王国の漆黒の騎士服を身につけた女性はアレスに駆け寄ると、自らが持つタオルをふわりと彼に被せてその金色の頭を両手で優しく拭いてあげているのだ。
「ふふっ」
「…ルイーゼ?」
小さく笑い声をもらした私をゼノ兄様とロイド様、騎士団長様が不思議そうに見つめる。
「私は何を見せられているのでしょう」
「あー、あれか」
「フリート、彼女が例の?」
「はい、敵軍の捕虜だったのですがアレスが腕を見込みうちに引き抜きました」
どうやら彼女は敵国の出身らしい。
優秀な人材が流れてくることは喜ばしい限りだが、アレスが引き抜いたというのが気にかかる。
勿論アレスのことは信じているし、アレスから好かれていることだってわかっている。
だけど、そんなアレスだって私のことを騎士団に隠していたみたいだし、自らが引き抜いた彼女に頭を拭わせる程の信頼を置いているというのは僅かに私の自信を揺らがせた。
だって世の中には正妻の他に妾を持つ男性だっているわけで…
人間が誰しも一人だけを生涯愛し抜くわけではないことだって知っている。
アレスだってそういう面があったとしてもおかしくはないのだから。
「はい、完全に負のスパイラルに入ってるな。うちの妹は愚かで可愛らしい」
「そうだね、ルイーゼは可愛いね。アレスに嫌気がさしたら私がもらってしまおうか」
兄様達がからかうように私を見ていた。
「アレスがまさか浮気とはねえ」
「ゼノ兄様、アレスはただ女性に頭をふいてあもらっていただけよ。剣を交えて汗をかいてしまっていたようだから」
「遠征では女性なんて夜な夜なやってくる商売女ばかりだから、親密な関係になりやすい環境は整っている分仕方ないことかもしれないね。私だったら浮気なんて絶対にしないけれど」
兄様も、ロイド様も…
「もしかして、私に対してではなくこれはアレスに向けての嫌がらせですか?」
「バレたか」
「アレスはルイーゼに嫌われてしまったらきっとこの世の終わりみたいに絶望しちゃうと思うんだ」
なんだか二人とも暗にアレスが私を心の底から好いていると告げてくれているようで安心してしまう。
「この世の終わりと表現するなら、今朝家を出ていくアレスはまさにそんな感じでした」
「半日離れるだけでその様子じゃルイーゼに捨てられちゃったら本当に死んじゃうんじゃないかな」
「…捨てるなんて、そんなことしません」
はっきりとそう告げると二人は満足そうに微笑んでいた。
彼らはこれで結構情に厚い人達なのだ。
「ルイーゼ!?」
私の名前を呼ぶ声に、兄様達に向けていた視線を外す。
こちらに気がついたアレスは、目を丸くして焦ったように駆け寄ってきた。
「ルイーゼ何してんの!?」
「…兄様達が連れてきてくれたの」
彼の首元には先程のタオルがかかっていて、隅の方に落ち着いた翠色の糸でMというイニシャルが刺繍されていた。
なんだかアレスがMという頭文字から始まる彼女の所有物になってしまったかのような錯覚を覚えて胸が苦しい。
____これは嫉妬だ。
私が知るアレスは、私を愛おしそうに見つめるアレスだけで、自分の視野がいかに狭かったのか今更になって理解した。
アレスには当然ながら私の知らない世界があって、そこにはアレスだけの交友関係があり、私以外の女性だってたくさん存在するのだろう。
アレスの自由を縛りつけかねないこんな醜い感情抱きたくなんてなかったのに。
「どうしてここに来ちゃったわけ?」
眉を寄せて私を問い詰める彼に、怒っているのがひしひしと伝わってくる。
アレスからこんな感情を向けられたのは初めての経験ではない。
私が自らを危険に晒すようなことをしてしまった時、アレスは同じように私を叱ってくれた。
だけど今は違うのだ。
私は何も危ないことなんてしていないし、アレスに責められている理由がわからなかった。
「どうして怒ってるの?私、ここに来ちゃいけなかった?」
それはもしかして、彼女に私の存在を知られてしまうからなのだろうか。
そんなことないと思いたいのに、目の前の彼の様子から嫌な想像ばかりが膨らんでしまう。
「…ルイーゼは来ちゃダメだ」
「そっか」
アレスと出会って初めて
私は彼との間に溝を作ってしまうのだった。
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