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新しい噂
しおりを挟む「この前の出来事が、噂になってるんです」
すっかり行きつけになってしまった例の喫茶店で、目の前に座るロベルハイム様にそんなことを零す。
「この前のって、君の元夫との修羅場のこと?」
「修羅場…まあ、そうですね」
「へえ、どんな噂?」
ぱちぱちと瞳を瞬かせてそう尋ねる彼に、私は矢継ぎ早に言葉を続けた。
「駆け落ちしたカールに腹を立てた私が、愛人を連れて二人の仲を引き裂きに行ったって!」
「わあ…」
「愛人なんて、カールじゃあるまいし!」
どう転んでも悪役は自分なのだと、この噂を聞いた時は少し泣きそうだった。
「それは、俺のせいだね。ごめん、軽はずみに君を恋人だなんて言ったからだ」
「あれは私を庇ってくれたのだと理解しています。貴方を責めるつもりなんてありませんわ」
申し訳なさそうに眉を下げてそう言うロベルハイム様に、小さく首を振って答える。
「ただ、事情を知る貴方に愚痴を零したかっただけです」
「…愚痴を、か。アリスが社交界でいわれの無い非難を受けるのは俺の小説のせいでもあるからね。話くらいだったらいくらでも聞くよ」
「ありがとうございます」
大人しくその言葉に甘えさせてもらうことにする。
珈琲を啜って、小さくため息をついた。
「でも、どうして噂が広まったんだろうね」
「…そうですね」
「あの場には俺とアリス、それにカールとその恋人のリリィしかいなかったはずだろう?」
市街地だから、他にもお忍びで来ていた貴族がいたのだろうか。
なんだか腑に落ちない。
「カールとリリィには、もしかすると貴族の協力者でもいたんじゃないかい?」
「協力者…?」
そう言ったロベルハイム様に、思わず顔を顰める。
そんなこと思ってもみなかった。
「カールに協力だなんて、公爵家であるうちの家を敵に回すようなものですよ?」
「うーん、懸命な判断だとは言えないけど、それ程の力を持つ家紋の人間とか?」
「…現実的とは思えませんが」
誰が好き好んで、身分を手放して貴族社会を去ろうとする男に協力するだろうか。
損はしても得することなんてないはずだ。
そこまでして、カールに力を貸す理由なんて…
「…熱狂的な『永遠の恋を、君と。』のファンとか?」
「ええ…まさかそんな」
物語に影響されて面倒事を抱え込むなんて余程奇特な人なのだろうか。
「まあ、確証はないんだけどね」
「杞憂だといいのですが」
ただでさえ噂に困っているというのに、どこかしらの高位貴族がカールの味方をしているなんて、本当に頭が痛い話だ。
「面白がって噂を流しているのならまだいいんだけどね」
「全然よくありません」
「君を悪だと決めつけて、まるで自分が正しいことをしているなんて勘違いして、牙を向けてくる面倒な連中が、この世界には一定数存在する。そんな人間に目をつけられたのなら、厄介だ」
「…怖いこと言わないでください」
夫に捨てられ、傷を癒す間もなくそんなものにまで悪意を向けられたらたまったものじゃない。
絶対に御免だ。
「…君は、しばらく一人にならない方がいい」
「社交の場ではパートナーがいないのでは、どうしても一人になってしまいます」
「社交なんて、どうしても必要なの?」
「引きこもっていたら、噂を肯定してしまっている気がして、嫌なんです」
自分は間違ったことはしていない。
そう胸を張って言えるのに、それではまるで私が逃げているみたいだ。
うしろめたいことがないだけに、堂々としていたい。
「君は、案外気が強いよね、アリス」
「そうですか?」
「…はあ、責任は俺にもある。しばらく、君と一緒に行動させてくれ」
「パートナーになってくれるということですか?」
「そうだね。よろしく頼むよ」
その申し出は、願っても無いものだった。
一人で社交の場に出るのは、私だって少しいたたまれなかったのだ。
「ええ、よろしくお願いします」
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