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認められない
しおりを挟むコーヒーを飲みながら、ロベルハイム様はゆっくりと口を開く。
「最初はさ、自分が書いた本を嫌いだなんて言われてそりゃムカついたんだよね。しかも一番そういうのに憧れてそうな年代の女で…」
「こう見えて私、もう22ですよ?理想を追いかけるような年齢でもないでしょう」
「へえ、アリス22なんだ。俺の一つ上だ」
「……年下なのね」
年下に呼び捨てされるのもなんだか微妙な気持ちだ。
馴れ馴れしいけれど、これが彼の通常運転なのだろう。
「でもさあ、全ての人が同じ価値観を持って生きてるわけじゃないし、万人受けする物語なんてそれどんなつまんねえ話だよって今は思うよ」
苦笑を漏らしながらそんなことを言うロベルハイム様。
「頭が硬いなんて、価値観を押し付けてる俺の方がよっぽど頭が硬かったよ」
「そんなことは無いと思いますけど…」
あんなにも突飛なお話を考えられるのだから、きっと誰よりも豊かな考え方をしているのだろう。
「私は別に、あの本の内容が嫌いなわけではないのです」
あの夜会では、溜まっていた鬱憤を発散するように、嫌いだなどと宣ってしまったけれど、あの小説自体は素敵なお話だと思う。
「ただ、認められなかっただけ」
そんなことを言う私に、ロベルハイム様は不思議そうに首を傾げた。
「あんなに自由な恋愛話を認めてしまったら、私は今まで何のために頑張って来たのか分からなくなってしまうでしょう?」
「…?」
「家の存続や繁栄のために、定められたレールに乗って、決められた婚約者と一緒になったの。…そこに私の意思は無くとも、家のためにこの身を捧げたのだという誇りはあった。勿論、そう思えるまではつらい思いだってたくさんしてきた。ただでさえ夫だったカールはあんなだったから。だから、私があの本の内容を認めてしまえば、私は今までの自身の努力を否定することになるんじゃないかと思ったのです」
私だって、できることなら幸せにだってなんだって、なりたかったに決まっている。
婚約者があんな男でなければと、何度自分の運命を呪ったことか。
だけど、我慢したのは、それが家のためだと信じていたから。
そして、そんなものは貴族の女性ならば当たり前のことだと高を括っていたから。
だけど、そんな根本的な考えを覆してしまったのは、カールの駆け落ちと『永遠の恋を、君と。』の存在だった。
夫がいなくなれば、勿論家同士の繋がりだって崩れる。
カールが駆け落ちした瞬間、私の存在価値なんて最早無いように思えた。
幸い、そんなことはどうでもいいと、心から私を愛してくれる家族がいたから九死に一生を得たものの、これが違う家だったら、責任を問われるのは女性の方だったかもしれない。
女を駒だと考える家ならば、どうして逃したのだと責められるのは妻の方だ。
そんなことを考えるとゾッとしてしまう。
そして、『永遠の恋を、君と。』
この本のお陰で今やカールは物語の主人公のような扱いだ。
世は自由恋愛を求めている。
私のつまらない意地や矜恃なんて嘲笑うかのように、新しい価値観が貴族社会に芽吹き始めた。
正しいのはカールで、間違っていたのは私。
社交界で彼とリリィの噂を耳にする度、そんな考えが頭を過った。
認められなかった。
認めたくなかった。
「『永遠の恋を、君と。』が、私を捨てたカールの恋を正当化するようで、すごく嫌だったの」
「アリス…」
「こんなことあなたに言っても困らせるだけですね。ごめんなさい」
ぽつりと謝罪の言葉を述べると、ロベルハイム様は眉を下げて悲しげな表情を浮かべた。
「どう転んだって、今回の件で裁かれるべきなのは君の元夫だ。アリス、君は悪くないよ」
「…世間はそうは思ってくれないわ」
なんとも卑屈なことを口にする私は本当に可愛げがない人間だた思う。
「皮肉なことを言うようだけど、あの浮気男から解放された君はもう自由だ。世間なんて気にする必要はないんじゃない?」
気にする必要が、ない?
そんなことは今まで考えたこともなかった。
外聞ばかり気にしていた過去の私からすると、そんな考え方、目から鱗である。
「それに、君の元夫はあの小説の主人公とは似ても似つかない。あれは彼の行いを正当化する免罪符にはなり得ないさ。作者の俺が言うんだから間違いないよ」
「…そうですか」
「だからアリスは何も悪くない。安心して、噂なんて聞き流していたらいいよ」
そう言って笑みを深めるロベルハイム様に、なんだか胸がスっとした。
家族以外で私にこんな優しい言葉をかけてくれる人はカールと別れて以来初めてだった。
背中を押された気分だ。
「少し、元気が出ました。ありがとうございます、ロベルハイム様」
「いや、俺の小説が君に多大なる迷惑をかけたようだからね…本当にすまなかったよ」
「いえ、あなたが謝ることではありません」
流行りの小説に感化されたカールが勝手に主人公気取りで駆け落ちしただけだ。
それに伴う私への風評被害なんて、ロベルハイム様が気にするところではない。
彼は小説を書いただけなのだから。
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