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六・闇と光の境界線にて、
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天候の優れない日が続き、大きく育つことができないアサガオが風に揺れている。しかしそれでも、小さな葉の間で、花は咲かせる生命の強さを示している。今はもうだいぶ朝の時間から過ぎてしまったため、アサガオの花はしおれてしまっているが、夏の景色は確かにそこにあった。
飛鳥は夏休みの宿題にとりかかっていた。夏休みもそろそろ後半である。今までほんの少ししか手をつけていなかったのだが、時期的にそろそろ本格的にやり始めなくてはいけないと、なんとなく思ったからだ。
「何か手伝おうか?」
ノートを開く飛鳥の前で、泳魚は頬杖をついて見守っている。
「大丈夫、量があるだけで難しいわけではなし」
飛鳥は鉛筆の先から目を放さずに言う。飛鳥は何事も早めに終わらせる性格でもなく、ぎりぎりになってから周りを巻き込んで慌ててやるわけでもなかった。ただ、たとえぎりぎりになってから始めたとしても、手伝ってくれる大人はいない。忙しい旅館の中にあっては存在しないのだ。そう言う経緯もあり、たいてい誰に言われるでもなく、宿題は終わらせてしまっていた。さらに言えば、宿題の手伝ってもらい方が分からないという理由もあった。
「……そうか」
泳魚は少し肩をすくめ、飛鳥が動かしている指の先を目で追っていた。
「そういえば、兄ちゃんは宿題ないの?」
「ん、あ、あぁ……」
泳魚は言葉を濁した。
「ふ~ん」
飛鳥は再び鉛筆を走らせる。あまり深く追求しないほうが良いと飛鳥は感じたからだ。
「わからないところがあったら、いつでも相談に乗る」
「うん、ありがとう」
飛鳥は少しだけ顔を上げて、泳魚を見る。白い肌の中にある少し茶けた瞳が、まるで保護者か何かのように、優しい笑みを浮かべて飛鳥のほうを見ている。
「……オレが見ていると、集中できないだろう?」
泳魚は立ち上がり、そう言うと部屋を出ていった。
「別に気にしてなかったんだけれどなぁ」
飛鳥はそう思ったが、追いかけていく程の事でもないので再び宿題に取り掛かった。
部屋を出た泳魚は一人、縁側にいた。ひとり、灰色で重い雲をたたえた天空を見上げている。
「雨は龍が地上に降りてきた証」
誰に言うでもなく、雲の留まる空に向かって囁いた。降り注ぐ雨はいつまでも静かな細かい雨を散らす。夏の夕暮れ時にありがちな夕立、通り雨の土砂振りではなく、ただただ、しとしとしっとりと湿ったような雨模様。こういう微妙な天気の時には、いくら夕暮れ時の残照の中であろうとヒグラシさえ鳴かなず静かなものである。
「今年はずいぶんと長い間、その龍か地上に降りてきているんだな。泳魚?」
ぼんやりと雨空を見ていた泳魚は名前を呼ばれるとは思わず、その声にはっとする。
「ハクアか」
泳魚は少し微笑む。夕暮れの迫る空気に部屋の照明が点き始め、やや黄色を帯びた部屋からのこぼれ灯が白い壁に反射して、泳魚の白い肌をますます透けたように淡くその笑顔を染めていた。
「名前。まさか君に呼ばれるとは思わなかったから、少し驚いた」
庭に咲く白いユウガオは、雨の香りと共に夕闇の気配によく馴染む。簾に蔦を絡ませて静かな雨粒が、白いドレスのようなその花びらに透明な宝石を飾る。風に煌きを散らしながら、揺れる緑の道に優雅に咲いている。その花と同じように、白く揺れている毛並みのハクアを泳魚は黙ったまま見つめる。
「白狐様はやはり何でも分かっていらっしゃる」
「ごまかすな」
「言いたいことは、分かっている、ハクア。それはオレが一番分かっているから……」
泳魚は再び空を見上げる。
「空は……遠い」
暗い色に染まった静かな夕暮れ。草むらの虫は唄い、魚は跳ね水音を響かせる。夕闇に沈む暮れの中、黒い鳥たちは、山のほうへと飛んでいく。
飛鳥は夏休みの宿題にとりかかっていた。夏休みもそろそろ後半である。今までほんの少ししか手をつけていなかったのだが、時期的にそろそろ本格的にやり始めなくてはいけないと、なんとなく思ったからだ。
「何か手伝おうか?」
ノートを開く飛鳥の前で、泳魚は頬杖をついて見守っている。
「大丈夫、量があるだけで難しいわけではなし」
飛鳥は鉛筆の先から目を放さずに言う。飛鳥は何事も早めに終わらせる性格でもなく、ぎりぎりになってから周りを巻き込んで慌ててやるわけでもなかった。ただ、たとえぎりぎりになってから始めたとしても、手伝ってくれる大人はいない。忙しい旅館の中にあっては存在しないのだ。そう言う経緯もあり、たいてい誰に言われるでもなく、宿題は終わらせてしまっていた。さらに言えば、宿題の手伝ってもらい方が分からないという理由もあった。
「……そうか」
泳魚は少し肩をすくめ、飛鳥が動かしている指の先を目で追っていた。
「そういえば、兄ちゃんは宿題ないの?」
「ん、あ、あぁ……」
泳魚は言葉を濁した。
「ふ~ん」
飛鳥は再び鉛筆を走らせる。あまり深く追求しないほうが良いと飛鳥は感じたからだ。
「わからないところがあったら、いつでも相談に乗る」
「うん、ありがとう」
飛鳥は少しだけ顔を上げて、泳魚を見る。白い肌の中にある少し茶けた瞳が、まるで保護者か何かのように、優しい笑みを浮かべて飛鳥のほうを見ている。
「……オレが見ていると、集中できないだろう?」
泳魚は立ち上がり、そう言うと部屋を出ていった。
「別に気にしてなかったんだけれどなぁ」
飛鳥はそう思ったが、追いかけていく程の事でもないので再び宿題に取り掛かった。
部屋を出た泳魚は一人、縁側にいた。ひとり、灰色で重い雲をたたえた天空を見上げている。
「雨は龍が地上に降りてきた証」
誰に言うでもなく、雲の留まる空に向かって囁いた。降り注ぐ雨はいつまでも静かな細かい雨を散らす。夏の夕暮れ時にありがちな夕立、通り雨の土砂振りではなく、ただただ、しとしとしっとりと湿ったような雨模様。こういう微妙な天気の時には、いくら夕暮れ時の残照の中であろうとヒグラシさえ鳴かなず静かなものである。
「今年はずいぶんと長い間、その龍か地上に降りてきているんだな。泳魚?」
ぼんやりと雨空を見ていた泳魚は名前を呼ばれるとは思わず、その声にはっとする。
「ハクアか」
泳魚は少し微笑む。夕暮れの迫る空気に部屋の照明が点き始め、やや黄色を帯びた部屋からのこぼれ灯が白い壁に反射して、泳魚の白い肌をますます透けたように淡くその笑顔を染めていた。
「名前。まさか君に呼ばれるとは思わなかったから、少し驚いた」
庭に咲く白いユウガオは、雨の香りと共に夕闇の気配によく馴染む。簾に蔦を絡ませて静かな雨粒が、白いドレスのようなその花びらに透明な宝石を飾る。風に煌きを散らしながら、揺れる緑の道に優雅に咲いている。その花と同じように、白く揺れている毛並みのハクアを泳魚は黙ったまま見つめる。
「白狐様はやはり何でも分かっていらっしゃる」
「ごまかすな」
「言いたいことは、分かっている、ハクア。それはオレが一番分かっているから……」
泳魚は再び空を見上げる。
「空は……遠い」
暗い色に染まった静かな夕暮れ。草むらの虫は唄い、魚は跳ね水音を響かせる。夕闇に沈む暮れの中、黒い鳥たちは、山のほうへと飛んでいく。
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