魚は夢現に浮橋を飛び、鳥は現界の夢に泳ぐ。

まいまい@”

文字の大きさ
9 / 16
-3-

九・消え行く泡のように、

しおりを挟む
 甘い水の匂いが漂って……雨音は囁くように軒を飛び跳ねている。
 飛鳥は目をひらいた。外からの薄明るい光が、滴り落ちそうな水の煌きとなって、ゆらゆらと天井に光の影を浮かべている。天井の木目の流れ、一様ではない節穴の波紋が、それと重なり、夢の続きのような色を作り出している。
 目覚めてはいるのだが、手足に力が入らない。このまま再び夢という深いまどろみの中に沈みそうだ。
「あの時、助けてくれたのは、誰なのだろう?」
 どこかで見覚えのあるような、あの影。もううっすらとしか記憶の無い幼少の出来事。河原で遊んでいた時、水に足を取られておぼれた時の記憶。今では指先に残る濡れて冷えた肌のぬくもりだけが、感触として覚えている。

 飛鳥は寝返りをうち隣を見た。隣では泳魚が眠っているはずであったが、彼の姿は無い。何も無い畳の床が、そこにあった。
(兄ちゃんはもう起きたのだろうか)
 泳魚は起きるのが早い。彼が起きている、それだけで、このまどろみから起きられるような気がした。少しでも長く一緒にいたいという、恋にも似た感情が湧き上がり、意識にかかった雲を掃う。彼の気配はそれを充分に成してくれる。
 飛鳥はなんとか布団から出て、居間へと向かった。朝も早いせいか、廊下には人の気配がしなかった。その静かな廊下を歩く。飛鳥は居間の戸を開け中をのぞいてみた。誰もいない部屋は薄暗く、そこに満ちる空気は肌にまとわりつく。
「あれ、いない」
 飛鳥の予想では、そこに座っていてぼんやりしているはずであった。しかし居間をいくら見回してみても、泳魚の姿は無かった。予想は裏切られたのだ。
 ふと居間にあるテレビが目に入る。岩のように黒い画面のテレビ。この消えているテレビを、今つければ、何が映し出されるだろう。飛鳥の望むものは、きっと何も映らない。
「どこにいるんだろう?」
 その時、部屋の隅で水の跳ねる音がした。水面近くを泳いでいた金魚が人の気配を察して水をはじいたために、水が舞ったのだ。金魚は今日も変わらず赤く美しいその鱗を、水中で揺らしている。
「君は、今日も元気だね」
 飛鳥は水槽に近づき、赤い鱗の小さな魚にそうっと語りかけた。
「兄ちゃん、どこに行ったか。知っていてもしゃべれないよね」
 金魚は変わらず大きな目で、どこを見ているのか分からない視線であたりを見回している。
 飛鳥はため息をつく。これといって用事があるわけではないのだが、姿が見えないということに多少の不安を感じてしまう。
「ハクアに金魚のフンのようだって、言われたっけな」
 ハクアに言われたことを思い出し、泳魚にべったりな飛鳥は「確かに」と思い、苦笑いをする。
「ちょっとそこら辺に、探しに行こう」
 飛鳥は居間を出ることにした。

 飛鳥は居間から出て家中を探した。しかし、どこへ行っても泳魚の姿は無かった。
「もしかしたら、外にいるのかもしれない」
 飛鳥はふと思い立って玄関へ向かう。すると泳魚の靴はなかった。つまり家の中にはいないようなのだ。
「こんな朝早くに。雨の中、兄ちゃんはどこへでかけたのだろう」
 そう思いながらも、飛鳥は玄関の鍵を開けて外へ出てみた。雨の降る庭や商店街へ向かう道路を軽く見渡してみたが、泳魚はいなかった。
「本当に、どこへ行ったのだろう」
 家の中へ入ろうと再び玄関に手をかけた時、飛鳥は違和感を感じた。
「さっき、玄関の鍵を開けて外に出た」
 この扉は関係者かぞく用の玄関で、大抵、鍵がかかっている。だから鍵がかかっていることに、最初は違和感を感じなかった。関係者である飛鳥はここの鍵を持っている。しかし、泳魚は鍵を持っていない。つまり泳魚は外に出たあと、ここの鍵を閉められないのだ。両親のどちらかが、玄関が開いていることに気が付いて鍵を閉めたとも考えられるが、出かける前や夜の戸締りの時間ならいざ知らず、こんな朝からそのような確認をするとは思えない。
 鍵がかかっていた以上、泳魚はこの玄関から出ていない。それは泳魚は外にもいない可能性があるということになる。
 もしかしたら窓から落縁おちえんへ出て外に出たのかもしれないが、わざわざ靴を持っていってそこから出て行くという、そんな面倒なことをする理由が分からない。
 飛鳥はため息をついた。
「本当にどこへ行ったのだろう」
 家の中にいるのか、もしくは外へ出たのか、泳魚がどこにいるのかまったく分からなかった。それらがわかる痕跡はどこにも無かった。

 誰かに聞けば知っているかもしれない。飛鳥はそう思い本館の厨房の方へ向かう。そこにならば誰かはいるはずである。飛鳥は厨房を覗き込んだ。中では何人かの人が、休むことなく朝食の準備をしていた。
「飛鳥ちゃん、今日は朝早いね」
 厨房の入り口で作業をしていた女性が話しかけてきた。飛鳥よりも七つか八つくらい年上くらいの、従業員の中では一番若い人である。
「何か探しているの?」
「兄ちゃんどこへ行ったか知らない? どこを探してもいないんだ」
「お兄さん?」 
 その言葉は、兄という存在自体に疑問がかけられているそんな違和感を感じた。
「その人、飛鳥ちゃんのお友達?」
「違うよ、従兄だよ」
「従兄、ねぇ」
 首をかしげ飛鳥の言葉を繰り返す。
「見なかった?」
「飛鳥ちゃんに、従兄なんていたかしら」
「……」
 飛鳥は彼女が冗談で言っていると思った。
「私は分からないわ。ごめんね。役に立てなくて。今は忙しいから、またあとでね」
 そう言って厨房の奥へ去っていく。

「うそだ」
 あの人が泳魚の事を知らないはずが無かった。彼女が何かと泳魚を気にかけていた事を飛鳥は知っていた。二人で滝に行く時、泳魚は弁当を作ってきたが、それを一緒に作ったはずなのだ。それを彼女が嬉しそうに話していたのを、飛鳥は知っている。それどころか今、恋人がいるのかどうか聞いてきて欲しいと、飛鳥に頼んできたほどなのだ。泳魚の事を知らないはずがなかった。
「うそだ、うそだ、うそだ」
 飛鳥は廊下を駆け、自分の部屋の戸を開ける。
 起きた時は気がつかなかったのだが、部屋にあるのは飛鳥が眠っていた布団が一組だけであった。本当ならば、畳まれた布団がもう一組、そこにあるはずである。しかし、イグサの床が見えるだけで、隣にあるはずの泳魚の布団は見当たらなかった。

 なんでだ? なんで……だ? 

 ―ー心の中でこだまする。

 どこにもない泳魚の気配、何一つ残っていない泳魚がいたという痕跡、泳魚の存在が消えている。消えてしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です* 最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

処理中です...