悪魔が夜来る

犬束

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第六夜 黒革の手帳

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「今更ですけど」と夛利ダリ氏が云いました。「ここはビブリオ・カフェ。たまには御本のお話でもしませんか?」

「そんなことを云いだしたのは」と、ミカはカウンター席から視線を巡らせ、「が眼に入ったからでしょう?」

 夛利氏、ミカ、そしてマキくんの三人がそろって注視した先には、珍しくボックス席に坐った悪魔の姿がありました。
 黒い革のような素材で装丁された、百科事典ほどに分厚い本を開げ、熱心に頁をめくったり戻ったり、何やらペンで書き込んだりしています。

「ねえ」とミカが悪魔に呼びかけました。「まさか、その分厚い本、旧約聖書のお勉強をしてるんじゃないでしょうね」

「違うよ」と悪魔は、いつものしゃがれた声で、そっけなく答えました。「これは県民手帳」

「県民手帳!?」

 意外な答に、三人は顔を見合わせました。

「手帳を名乗るには、サイズが大きくて厚すぎる」
「地獄の行政区画は県なんだ。県の他に、地獄都とか地獄どうとかも?」
「地獄の路線図、気になる」
「特産品なんかあるのかな?」
「じゃあ、ゆるキャラも居る?」

 口々に意見を投げかけます。

「人間には、関係ないじゃんよ」と悪魔は、音を立てて手帳を閉じました。

「もったいぶる必要ある?」とミカが食ってかかりました。「県民手帳なんて、県民でなくてもネットで買えるんだし、市販の手帳に機密なんて載せてないでしょうが」

「そんなに中身が見たいなら、買えばいいじゃん」

「買うわけないじゃん。欲しくもない、そんな馬鹿べらぼうにデカい手帳」

 ミカは身を乗り出し、今にも悪魔に飛びかかって、手帳を奪いとりそうなので、マキくんがなだめます。

「いくらなんでも、欲しくもない、は云いすぎですよ、ミカさん。他人ひとが愛用しているのに。印刷してある情報はともかく、書き込んである内容はプライベートだからね」

「さすがマキくん」と悪魔は手帳を上着の内ポケットに仕舞い、「おいらのプライベートばかりか、依頼人の個人情報も満載だから」

「小悪魔のくせに、余暇を満喫するなんて、生意気」とミカは憤懣やる方なく。

「差し支えのない頁を披露してくれれば、興味を持って、ここのお客さんも購買してくれるかもですよ」と夛利氏。

「まずは、内ポケットの構造に驚こうよ」とマキくん。「四次元なの?」

「仕様がねぇなぁ」と悪魔はしぶしぶ内ポケットから手帳を取り出し、頁を開いて三人に示すと、「残念だけど、人間には見えません」

 真っ白な頁には、罫線さえもありませんでした。

「もしも、僕が県民手帳を買ったら、お礼に僕の願いを叶えてくれる?」とマキくんがひねりを効かせてきました。

「なんと」と夛利氏。「いち手帳に、いち願いルール」

「こんな、自称悪魔に、そんな力があると期待してんの?」とミカが怪訝な表情で。

「だってさぁ、ちょっと興味ない? 地獄の県庁職員の仕事」とマキくんは前のめりで、嬉しそうに云いました。「例えば、県立図書館の司書になって、レファレンスサービスとか、稀覯本の管理や修繕に携わるとかさ。文化財課もやりがいがありそう。歴史が古くて、お宝の宝庫だよね、きっと。それに、県立の動物園や水族館があったら……」

「職員は足りてます」と宣言するなり、悪魔は手帳と共に、ぽんっ! と白い煙になって消失し、退出しましたとさ。


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