ロボ彼がしたい10のこと

猫屋ちゃき

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第九話

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 釣りに行った次の日、月曜の朝に真野と長谷川は星奈の部屋にやって来ていた。
 真野はのんきにエプロン持参で、長谷川は緊迫して深刻そうな顔で。
 日曜の夜にメールで連絡すると、すぐに電話がかかってきた。長谷川はずいぶん慌てた様子で星奈からの報告を聞くのもそこそこに、エイジと電話で話したがった。
 星奈からスマホを受け取ると、エイジはしばらく声をひそめて話し込んでいた。何となく聞いてはいけないかと思い、星奈はキッチンに退避していたのだけれど、電話を終えたエイジはケロッとした顔でやってきて、「あの二人、明日来るって。それと、アジを冷蔵庫のチルドに入れときなって」と言っただけだった。

「今からメンテナンスをするから、牧村様は真野にアジのさばき方でも教わっていてください」

 到着するなり長谷川はエイジの肩を摑んで、居室にこもる意思表示をした。
 真野のほうを見れば、エプロンを身に着けてやる気満々だ。

「……よろしくお願いします」

 こうなれば星奈に選択肢はない。エイジのことは気になるけれど星奈にできることはないから、アジをさばいていたほうが有意義だ。

「ずいぶん釣ったんですね」

 チルドから取ってきたアジの入った袋をのぞくと、真野は目を丸くした。

「みんなで山分けしたんですけどね。エイジは四十匹くらい釣りました」
「すごいな。エイジは楽しんでましたか?」
「はい、すごく。初めてなのに、筋がいいっていうか」
「それはよかった」

 真野は話しながら、次々とアジの鱗を落としていく。包丁の背で表面を撫でていくと、ポロポロと鱗は取れた。

「アジには独特の硬い鱗があるので、それも忘れずに取るんですよ」
「この、外に出てる骨みたいなのですか?」
「そうです。尾のほうから包丁を入れて、削ぎ落としていくイメージで。ちなみにこれ、ゼイゴっていうんですよ」

 説明しながら、真野はすべてのアジのゼイゴを削いでいった。ゼイゴを削いだあとは胸びれを切り落とし、頭を落とし、腹を開いて、それを水を張ったボールの中で洗っていく。

「鱗を落とす、頭を落とす、腹を開いて中の血や臓物をきちんと洗う、ができれば大抵の魚の処理はできますよ。あとは開いて塩焼きにしてもよし、小麦粉つけて唐揚げにするもよし、フライにするもよしです」
「すごい……ありがとうございます」
 こうして魚を持って帰ってきたものの、どうしようかというのが本音だった。さばいたことなど当然なく、動画サイトで指南動画でも探そうかと思っていたほどだ。
 だから、真野に教えてもらえて星奈はすごく助かった。
「まさか、真野さんに魚のさばき方を教えてもらうとは思ってなかったです。真野さんがさばけるっていうのも、意外でした」
「ただ単に、若い頃貧乏したときに、魚を釣って食べてたってだけです。でも、こうしてそのときの経験が役立つときが来てよかった。牧村様も、いつかきっと役に立つときが来ますよ」
「そうですね。これからは、肉が高いときは魚を買うっていう選択肢ができました。ありがとうございます」

 星奈が心から感謝すると、真野は歯を見せて嬉しそうに笑った。
 この変な男たちとの付き合いも、もう三ヶ月になる。
 あいかわらず胡散臭いと思うし、怪しいと思う。エイジのことがなければ、きっと一生関わることがなかった人種だ。
 でも、今は彼らが悪人ではないと感じているし、毎日のメールのやりとりも、週に一度のメンテナンスで顔を合わせるのも、悪くないと思っている。

「真野さんの見立てでは、エイジはどこか悪そうですか?」

 下処理した魚を冷蔵庫に片づけ、真野がきれいに手を洗い終わるのを見計らって星奈は尋ねた。
 本当はもっと早くに尋ねたかったのだけれど、せっかくさばき方を教えてくれているのに水を差したくなかったのだ。

「悪いか悪くないかは、私は答えかねますね。私はあくまでボディ担当なので」
「昨日の電話のあと、長谷川さんは何か言ってましたか?」
「んー、あいつにとってはエイジの今の状況はなかなか心配みたいで、いろいろ言ってましたけど」

 真野はその見た目通りの飄々とした言い回しで、たくみに星奈の質問をかわした。
 こうして待つのがもどかしく、せめて真野から何か聞ければと思ったのだけれど、どうやらそれもさせてもらえないらしい。
 キッチンと居室を隔てる戸の向こうからは、ボソボソと会話が聞こえてくる。まだメンテナンスは続いているようだ。

「ヨモツヒラサカ」
「え?」

 不意に、真野が何かよくわからない単語を耳にした。
 居室のほうに神経を集中させていた星奈は慌てて真野のほうを見たけれど、彼は星奈を見ていなかった。

「今のって、ロボットの専門用語か何かですか?」
「ご存知ありませんか。人文系の学生さんなら、もしかするとと思ったのですが。……それなら、忘れてください。本当はたぶん、教えてはいけないことだった」

 今のはきっと、何か重大なヒントだったのだ。でも、星奈がそれが何なのかを考えるより前に、真野は話を打ち切ってしまった。
 おそらくは、長谷川の意思に反して何かを教えようとしてくれたのに。
 もう一度聞き直すべきかどうか星奈が迷っていると、スパーンと引き戸が開き、長谷川が出てきた。

「終わりましたよ! とりあえず、エイジにはよく説教しときましたから。……何というか、こう、よくないことが起きてたんですよ。エイジ、意思を強く持て。まだここにいたいならな」
「わかった。気をつける」

 長谷川はプリプリとした雰囲気を漂わせていて、その背後から顔をのぞかせているエイジは何だかしょんぼりしている。長谷川の言う通り、メンテナンスというより説教されていたのだろう。

「あの、エイジはどこが悪かったんですか? もう大丈夫なんですか?」

 心配で、不安で、星奈は長谷川にすがるように尋ねた。
 星奈の視線を受けて長谷川は困った顔をして、目を伏せて小さくうなって、それから口を開いた。

「バグです。人格データのバグ。そのせいで不調をきたしていたってわけです。状況は悪いとしか言えないんですが、あとはもう、エイジの気合い次第です」
「人格データのバグ……気合い……」

 長谷川の言葉は歯切れが悪く、星奈はわかったようなわからないような、微妙な気分になった。でも、エイジがすぐに回収されないとわかってほっとした。

「今日は、急な連絡だったのに来てくださってありがとうございました。今後も気になることがあれば、来ていただけますか?」

 帰る二人を見送るとき、星奈は念押しするように尋ねた。いつでも連絡していいと言われている。駆けつけてくれると言われている。それでも、確かめておきたかったのだ。

「もちろん。緊急事態がないのが望ましいですがね」
「我々としても、最後までモニターをしていただきたいですから」

 真野も長谷川も笑顔で頷いてくれた。長谷川の笑顔は、どこか困っていたけれど。

「エイジ、もう平気?」

 二人が帰ったのを見届けてから、エイジはへたり込むように床に座った。その様子からエイジのただならぬ疲労を感じ取って、星奈は駆け寄った。

「うん、平気。すごい怒られたから、ちょっと凹んだだけ。まあ、俺が大事なことを忘れたらいけないんだけどさ」
「大事なこと?」
「そう。もう思い出したし、もう忘れないから大丈夫」
「……そっか」

 エイジはにこやかな表情を浮かべつつも、何を言われたのかを話す気はなさそうだった。それがわかったし、エイジの言葉で星奈も重要な言葉を思い出した。

「……ヨモツヒラサカ」

 真野が言っていた言葉を思い出しながら、星奈はこっそりスマホで検索する。
 そしてそれは、驚くほど簡単に検索に引っかかった。

黄泉比良坂よもつひらさかって……」

 真野が口にしたのはロボットの専門用語でもなんでもなく、神話の時代から日本に存在している言葉だった。
 漢字になると字面だけでおおよその意味は理解できる。
 黄泉、つまりあの世。黄泉比良坂はあの世へと続く坂の名前だ。
 そんな言葉を真野が呟いたということは、エイジは昨日、命の危険があったということだろうか。立ちくらみを起こしたときに、暗い下り坂に吸い込まれるような感覚があったと言っていたのも気になる。

「ねえ、エイジ。もしかして昨日、死にかけたの? 真野さんがね、黄泉比良坂って言ったの。黄泉比良坂って、あの世の入り口でしょ? だから、もしかしてエイジは昨日、死ぬような思いをしたんじゃないかと思って……」

 星奈が言うと、エイジは笑顔で首を振った。星奈をなだめようとするかのような、穏やかな笑顔だ。

「俺はロボットだ。ロボットは死なない。真野さんは、たとえで言ったんだよ」
「……本当?」
「本当だよ。だから、期間いっぱいセナのそばにいる」

 不安そうな星奈の顔を下から覗き込むように、エイジは優しく見つめてくる。握り拳ふたつ分を超えた、とても近い距離で。
 その距離感に、優しい視線に、星奈は何かを思い出そうとする。でも、はっきりしたものを感じるより先に、エイジは身体を離してしまった。

「残り三ヶ月、セナからもらうばかりじゃなくて、俺も返したいって思うんだ。だから、セナがたくさん楽しくなれることをしよう」

 何かを決意するようにエイジは言った。
 いつの間にこんなにはっきり意思表示ができるようになっていたのかと、星奈は驚く。
 出会ったばかりの頃は、もっとぼんやりして、淡々としていたのに。表情も豊かになったし、言葉に感情が乗るようになった。
 そう改めて感じて、確かに三ヶ月一緒に過ごしたし、残りの期間も三ヶ月なのだと思い知らされる。

「返すなんて、そんな……私だって、エイジにたくさんもらってるよ。いてくれるだけで、充分」
「ううん。ずっとそばにいられるわけじゃないから、“いるだけで”は充分じゃないんだ。俺がいなくなったあともセナが笑っていられるように、いろんなことをしたい」
「いなくなったあとも……」

 わかっていたはずのことなのに、エイジの口から聞かされると、それはなかなかに衝撃的だった。
 でも、エイジもいろいろ考えて口にしたのだとわかるから、星奈はショックを受けたのを隠して、努めて笑顔を浮かべてみせた。

「そうだね。いつまでもメソメソしてたら、エイジが研究所に帰りにくくなっちゃうしね。私だって、最後は笑顔で見送りたいもん。楽しいこと、いっぱいしなくちゃね」

 心の整理をしなくてはと、星奈は思う。
 エイジがやって来るあの日までは、絶対にもう二度と立ち上がれないと思っていた。エイジが来てからは、なし崩し的に生活が立て直されていき、このまま時間が解決してくれるのではと思えるようになっていた。
 でも、時薬ときぐすりなんて曖昧なものに任せていられないものもあると、三ヶ月経った今では感じている。
 意識して乗り越えなければずっと乗り越えられないものもあると。

「私がモニターでよかったって思ってもらいたいから、残りの三ヶ月、うんと楽しく過ごそうね」
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