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刺客十番勝負〜北町奉行所との合議。
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草木も眠る丑三つ刻。
伝三郎と早乙女静之助ことお静が南町奉行大岡越前守忠相のもとを訪ねていた。刻が刻なだけに門番も取り次ぎ役も嫌な顔をしたが、伝三郎の慌てようが尋常ではないし、何より血の滲む小袖に何かが包んであるのを見て、何かとんでもない大事が起きたと察したのだろう。直ぐに取り次いでくれた。
書院に通された二人は奉行大岡越前守忠相がやって来るのをじっと待っていた。
足音が近付いてきた。
「伝三郎。何事か」
「は。このような刻限に参じ仕りましたる事、先ずはお詫び申し上げまする」
「良い。さような事は些事じゃ。して、用向きを申せ」
「は。実は先刻、当家組屋敷に二人の死末屋が現れ、此れらと応戦。死末屋を返り討ちに致しましてございます」
「な、何と。組屋敷にまで襲いきたか」
「は。しかし、さようなる事は些事にございます。問題は、まずこれをご覧下されませ」
小袖に包まれた首を見せる。
「はて。この者、何処かで見たような」
首を傾げる御奉行に、
「北町奉行所定廻り同心木村太郎兵衛殿にございます」
大岡忠相は余りの事に節句した。
それはそうだろう。
何しろ、北町奉行所定廻り同心が死末屋であり、南町奉行所隠密与力を暗殺しようとして失敗し、返り討ちにあったのだ。
大岡忠相の額には玉のような脂汗がびっしりと浮かんでいる。
「この事、誰ぞに話したか」
「御奉行。人はそれを愚問と申します」
「然り。済まぬ。些か気が動転しておったようじゃ。して、この事を何とするぞ」
「それは御奉行の胸先三寸かと存じます」
「表沙汰にはできぬ」
「無論の事。これは北町の大久保様と合議を致し、木村太郎兵衛殿は急な心の臓の発作とでもせずば大事になるは必定。襲われたとは申せ、某は罪科の無き者まで仕置き致されるを望みませぬ」
「心の臓の発作か。うむ。それしか手はあるまいの。相分かった。大久保殿に急使を出す。其の方らに一部屋与える故、暫し仮眠致せ。疲れてもおろうが、大久保殿が参られたら同席せよ。それまではゆるりと致せ」
「は。御言葉に甘えまして」
伝三郎とお静は腰元に案内されて六畳の部屋に通された。
其処は宿直の与力同心達が寝泊まりする部屋の近くで、既に布団が敷いてあった。
鎖帷子、鎖籠手、鎖脛当を外し、帯を少し緩め、枕元に鯉口を切った刀と小太刀、紫房ノ十手を置いて一眠りする。
どれくらい眠っていただろうか。部屋の外に人の気配を感じて小太刀を引き寄せ、抜き放った。お静は逆手抜きに構えている。
敵意も殺気も感じない。
しかし、だからと言って味方かと言えば否と答えるしかない。手練れの中には一切の敵意や殺気を感じさせずに人を殺める術を持ち合わせているからだ。斯く言う伝三郎とお静も同じ事ができるので安心はできない。
「誰方かな」
「若様」
声音は女のもので、この奉行所内で伝三郎を若様と呼ぶ者は一人しかいない。
「お咲か」
「はい」
「入れ」
伝三郎が許しを与えると、お咲が入ってきた。
顔を上げたお咲は、伝三郎とお静が小太刀を構えているのにびっくりした顔をした。
二人はその顔を見て、気不味そうに鞘に納める。
「久しぶりだな、お咲。元気だったか」
「はい。皆様に親切にしていただいています」
「そうか。それはなによりだ。左吉はどうしてる」
「父も元気でございます」
お咲はにこりと笑った。
「して、何用だ」
「あ、はい。北町奉行大久保備中守様がお越しになられ、若様とお静さんをお呼びにございます」
「何、備中守様が参られたとな。分かった。衣服を整える故に暫し待て」
伝三郎とお静は緩めた帯を引き締め、刀と小太刀を差し、鎖帷子と鎖籠手を着けて御奉行の書院に向かった。
そこには北町奉行大久保備中守様と与力の三谷七右衛門殿が座っていた。
伝三郎と早乙女静之助ことお静が南町奉行大岡越前守忠相のもとを訪ねていた。刻が刻なだけに門番も取り次ぎ役も嫌な顔をしたが、伝三郎の慌てようが尋常ではないし、何より血の滲む小袖に何かが包んであるのを見て、何かとんでもない大事が起きたと察したのだろう。直ぐに取り次いでくれた。
書院に通された二人は奉行大岡越前守忠相がやって来るのをじっと待っていた。
足音が近付いてきた。
「伝三郎。何事か」
「は。このような刻限に参じ仕りましたる事、先ずはお詫び申し上げまする」
「良い。さような事は些事じゃ。して、用向きを申せ」
「は。実は先刻、当家組屋敷に二人の死末屋が現れ、此れらと応戦。死末屋を返り討ちに致しましてございます」
「な、何と。組屋敷にまで襲いきたか」
「は。しかし、さようなる事は些事にございます。問題は、まずこれをご覧下されませ」
小袖に包まれた首を見せる。
「はて。この者、何処かで見たような」
首を傾げる御奉行に、
「北町奉行所定廻り同心木村太郎兵衛殿にございます」
大岡忠相は余りの事に節句した。
それはそうだろう。
何しろ、北町奉行所定廻り同心が死末屋であり、南町奉行所隠密与力を暗殺しようとして失敗し、返り討ちにあったのだ。
大岡忠相の額には玉のような脂汗がびっしりと浮かんでいる。
「この事、誰ぞに話したか」
「御奉行。人はそれを愚問と申します」
「然り。済まぬ。些か気が動転しておったようじゃ。して、この事を何とするぞ」
「それは御奉行の胸先三寸かと存じます」
「表沙汰にはできぬ」
「無論の事。これは北町の大久保様と合議を致し、木村太郎兵衛殿は急な心の臓の発作とでもせずば大事になるは必定。襲われたとは申せ、某は罪科の無き者まで仕置き致されるを望みませぬ」
「心の臓の発作か。うむ。それしか手はあるまいの。相分かった。大久保殿に急使を出す。其の方らに一部屋与える故、暫し仮眠致せ。疲れてもおろうが、大久保殿が参られたら同席せよ。それまではゆるりと致せ」
「は。御言葉に甘えまして」
伝三郎とお静は腰元に案内されて六畳の部屋に通された。
其処は宿直の与力同心達が寝泊まりする部屋の近くで、既に布団が敷いてあった。
鎖帷子、鎖籠手、鎖脛当を外し、帯を少し緩め、枕元に鯉口を切った刀と小太刀、紫房ノ十手を置いて一眠りする。
どれくらい眠っていただろうか。部屋の外に人の気配を感じて小太刀を引き寄せ、抜き放った。お静は逆手抜きに構えている。
敵意も殺気も感じない。
しかし、だからと言って味方かと言えば否と答えるしかない。手練れの中には一切の敵意や殺気を感じさせずに人を殺める術を持ち合わせているからだ。斯く言う伝三郎とお静も同じ事ができるので安心はできない。
「誰方かな」
「若様」
声音は女のもので、この奉行所内で伝三郎を若様と呼ぶ者は一人しかいない。
「お咲か」
「はい」
「入れ」
伝三郎が許しを与えると、お咲が入ってきた。
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お咲はにこりと笑った。
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「あ、はい。北町奉行大久保備中守様がお越しになられ、若様とお静さんをお呼びにございます」
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