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本編
8.ラーシュの心
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(あー、お腹いっぱいに満たされた気分だ。)
気を失ったシンシアの頬を労るようにつう、と撫でる小さな指先。
行為を終えたラーシュは彼女の寝顔を愛おしそうに見つめた。
「人間を好きになることなんて絶対ないと思ってたけど、分からないものだねえ。…ふふっ、やっぱりこの世界は面白いなあ。」
(…さて、と。)
視線をシンシアの胸元に落とす。
いや、正確には胸元ではなく、そこに我が物顔で鎮座する趣味の悪いペンダントにだ。
「"隷属の契約"…主人の命令に逆らえば呪殺、危害を加えようすれば呪殺、逃げ出そうとしたら呪殺、無理に壊したり外したりを試みても呪殺…か。」
ラーシュにしてみれば、自分以外の男…それも下衆な人間から贈られたという時点で不快極まりない。おまけに彼女を強く束縛する呪いが施されているとあれば、目障りどころの話ではなかった。
「どうしてやろっかな。」
ラーシュは思案する。
シンシアの「主人」とやら。
あれは金と権力で女をねじ伏せて優位に立つことに快感を覚える類の、節操のない男だ。
今はまだ華美に着飾った女しか視界にいれていないようだが、いつかはその欲望がシンシアにも向いていただろう。
彼女の整った顔立ちに気づき、気紛れに、無粋に手を出すときが来ていたはずだ。
「…考えるまでもないか。」
シンシアと自分を引き合わせるきっかけを作ったこと、たったそれだけは感謝してやってもいいけれど。
「でも、邪魔だからね。」
ラーシュは彼の幼い容貌を形作る大きな瞳を、酷薄に細めた。
本音を言えば、この呪具を見た瞬間、すぐにでも粉々に捻り潰してやりたいと思った。
それをしなかったのは、命を奪う呪いに怯える彼女をあれ以上怖がらせるのは可哀想だったからだ。
「あれはあれで可愛かったけど、恐慌状態に陥りそうなくらい怖がってたしね。…ま、こんなもの、僕にとっては子供騙しの玩具も同然だけど。」
しゅるり。
シンシアの首からペンダントを外すが、何も起こらない。…起こるはずもない。
呪具の効力を封じたまま外してやる程度、ラーシュにとっては造作もないことだった。
そのままペンダントのトップを握り込んで、ぐっと力を入れる。
忌々しい呪具はミシミシと音を立て、すぐにピシリとヒビが入った。
バキンッ!
あっけなく砕け散ったペンダントから黒い靄のようなものが立ち上る。
それはシンシアに狙いを定めたように纏わりつこうと蠢いたが、到達する前に何かに絡め取られて動きを止めた。
ぞぞぞ…じゅるっ。
ぼたっ。
ぼたり。
絡め取ったのは、先程シンシアを攻め立てたものとも記憶に干渉したものとも違う、どす黒い粘液を纏った墨色の触手。
触手は捕えた靄をじゅるじゅると締め上げる。
靄はまるで悲鳴をあげているかのようにもがいたが、触手の力が強くなるにつれ、徐々に吸収されるかのごとく小さくなっていった。
「おっと、全部食べちゃダメだよ。」
ラーシュが制止すると触手はぴたりと動きを止め、名残惜しそうに手を離す。
生き残った靄は逃げるように飛び去って行き、やがて2つに分かれて見えなくなった。
「うーん、やっぱり低ランクの術者だね、あんまり美味しくないや。」
破られた呪いは呪具の製作者と使用者に返る。
つまり、半端な実力で量産などすればするほど、安易に使えば使うほど、呪い返しに遭って身を滅ぼす確率は高まるのだ。
使用者も、製作した術者も、よほど自分の力に自信があるのか、あるいはその危険性に思い当たらないただの阿呆か。
どちらにせよ、 一時の金のために好き好んで破滅のリスクをばら蒔くなんて。
「ほーんと、人間って馬鹿だなあ。」
容易く無効化したペンダントの残骸をポイと捨て去ったラーシュの顔には、すでにそれらへの興味はひと欠片も残っていなかった。
今のラーシュが心を砕くのはただ一人、彼がその腕に抱いている少女にだけだ。
「ふふ、可愛い寝顔。…ごめんね、あんまり可愛かったから連れ込む前にがっついちゃった。さ、今度こそ帰ろうか。僕たちの巣へ♡
大丈夫。シンシアに嫌な思いをさせた奴らみーんな、僕がお仕置きしておくからさ。
君が望むならいずれ家族にも会わせてあげるし、許せないと思うのなら消してあげる。
君が僕のことを好きになるまで、いーっぱい愛してあげるからね。もちろんそのあとも、ずっと、ずーっと。」
* * * * *
同時刻。
魔性の森に分かたれた二つの街で、それぞれ一人分の凄惨な悲鳴が響き渡ったが、すやすやと寝息を立てながらラーシュとその触手に愛しげに抱えられ、森の奥へと運ばれていくシンシアには知る由もないことだった。
* * * * *
その後、腹を括ったらしいシンシアと番に嫌われたくないラーシュの二人は、あまりにかけ離れた価値観をどうにかするために、不器用ながらも互いの理解と歩み寄りを試みることになる。
地道な努力はやがて実を結び、確かな双方向の愛を育んで温かな家庭を築いていくのだけれど、それはまた別の話。
気を失ったシンシアの頬を労るようにつう、と撫でる小さな指先。
行為を終えたラーシュは彼女の寝顔を愛おしそうに見つめた。
「人間を好きになることなんて絶対ないと思ってたけど、分からないものだねえ。…ふふっ、やっぱりこの世界は面白いなあ。」
(…さて、と。)
視線をシンシアの胸元に落とす。
いや、正確には胸元ではなく、そこに我が物顔で鎮座する趣味の悪いペンダントにだ。
「"隷属の契約"…主人の命令に逆らえば呪殺、危害を加えようすれば呪殺、逃げ出そうとしたら呪殺、無理に壊したり外したりを試みても呪殺…か。」
ラーシュにしてみれば、自分以外の男…それも下衆な人間から贈られたという時点で不快極まりない。おまけに彼女を強く束縛する呪いが施されているとあれば、目障りどころの話ではなかった。
「どうしてやろっかな。」
ラーシュは思案する。
シンシアの「主人」とやら。
あれは金と権力で女をねじ伏せて優位に立つことに快感を覚える類の、節操のない男だ。
今はまだ華美に着飾った女しか視界にいれていないようだが、いつかはその欲望がシンシアにも向いていただろう。
彼女の整った顔立ちに気づき、気紛れに、無粋に手を出すときが来ていたはずだ。
「…考えるまでもないか。」
シンシアと自分を引き合わせるきっかけを作ったこと、たったそれだけは感謝してやってもいいけれど。
「でも、邪魔だからね。」
ラーシュは彼の幼い容貌を形作る大きな瞳を、酷薄に細めた。
本音を言えば、この呪具を見た瞬間、すぐにでも粉々に捻り潰してやりたいと思った。
それをしなかったのは、命を奪う呪いに怯える彼女をあれ以上怖がらせるのは可哀想だったからだ。
「あれはあれで可愛かったけど、恐慌状態に陥りそうなくらい怖がってたしね。…ま、こんなもの、僕にとっては子供騙しの玩具も同然だけど。」
しゅるり。
シンシアの首からペンダントを外すが、何も起こらない。…起こるはずもない。
呪具の効力を封じたまま外してやる程度、ラーシュにとっては造作もないことだった。
そのままペンダントのトップを握り込んで、ぐっと力を入れる。
忌々しい呪具はミシミシと音を立て、すぐにピシリとヒビが入った。
バキンッ!
あっけなく砕け散ったペンダントから黒い靄のようなものが立ち上る。
それはシンシアに狙いを定めたように纏わりつこうと蠢いたが、到達する前に何かに絡め取られて動きを止めた。
ぞぞぞ…じゅるっ。
ぼたっ。
ぼたり。
絡め取ったのは、先程シンシアを攻め立てたものとも記憶に干渉したものとも違う、どす黒い粘液を纏った墨色の触手。
触手は捕えた靄をじゅるじゅると締め上げる。
靄はまるで悲鳴をあげているかのようにもがいたが、触手の力が強くなるにつれ、徐々に吸収されるかのごとく小さくなっていった。
「おっと、全部食べちゃダメだよ。」
ラーシュが制止すると触手はぴたりと動きを止め、名残惜しそうに手を離す。
生き残った靄は逃げるように飛び去って行き、やがて2つに分かれて見えなくなった。
「うーん、やっぱり低ランクの術者だね、あんまり美味しくないや。」
破られた呪いは呪具の製作者と使用者に返る。
つまり、半端な実力で量産などすればするほど、安易に使えば使うほど、呪い返しに遭って身を滅ぼす確率は高まるのだ。
使用者も、製作した術者も、よほど自分の力に自信があるのか、あるいはその危険性に思い当たらないただの阿呆か。
どちらにせよ、 一時の金のために好き好んで破滅のリスクをばら蒔くなんて。
「ほーんと、人間って馬鹿だなあ。」
容易く無効化したペンダントの残骸をポイと捨て去ったラーシュの顔には、すでにそれらへの興味はひと欠片も残っていなかった。
今のラーシュが心を砕くのはただ一人、彼がその腕に抱いている少女にだけだ。
「ふふ、可愛い寝顔。…ごめんね、あんまり可愛かったから連れ込む前にがっついちゃった。さ、今度こそ帰ろうか。僕たちの巣へ♡
大丈夫。シンシアに嫌な思いをさせた奴らみーんな、僕がお仕置きしておくからさ。
君が望むならいずれ家族にも会わせてあげるし、許せないと思うのなら消してあげる。
君が僕のことを好きになるまで、いーっぱい愛してあげるからね。もちろんそのあとも、ずっと、ずーっと。」
* * * * *
同時刻。
魔性の森に分かたれた二つの街で、それぞれ一人分の凄惨な悲鳴が響き渡ったが、すやすやと寝息を立てながらラーシュとその触手に愛しげに抱えられ、森の奥へと運ばれていくシンシアには知る由もないことだった。
* * * * *
その後、腹を括ったらしいシンシアと番に嫌われたくないラーシュの二人は、あまりにかけ離れた価値観をどうにかするために、不器用ながらも互いの理解と歩み寄りを試みることになる。
地道な努力はやがて実を結び、確かな双方向の愛を育んで温かな家庭を築いていくのだけれど、それはまた別の話。
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