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後日談
4.シンシア
しおりを挟む「ん……」
──魔性の森、最深部。
結界によって一帯を隔離された湖のほとりにそびえる大樹の根元。
ラーシュの魔力により青く結晶化した地層内部に造られた居住空間で眠っていたシンシアは、ぱちぱちとひとり目を覚ました。
緩慢に身体を起こすと、きゅるるる、と腹部が音を立てる。
「……お腹、空いた……」
地中にあるこの空間には日光が入らないため、昼夜を問わずとても暗い。
顔にかかる銀糸のような長い髪を軽く払うと、シンシアは明かりを灯すためベッドサイドの魔道具に手を伸ばした。
そっと触れて僅かに魔力を流すことで、ぽうっと寒色の光が部屋全体を照らし出す。
あの日、ラーシュに強引に貞操を奪われ意識を失ったシンシアは、気がついたらこの部屋に連れ込まれており、以来、一歩も外に出ることを許されていない。
ただ、シンシア専用に設えられたこの部屋の魔道具は、申し訳程度の生活魔法しか使えない彼女でも問題なく利用でき、かつ効果の高いものが取り揃えられているため、特に不便を感じることはなかった。
改めて、ゆったりと部屋を見回すシンシア。
(相変わらず不思議なところ……)
壁も床も天井も、すべてが青みがかった水晶のような鉱物で造られている。
家具や調度品はその鉱物を削り出したと思われる骨組みに、例えば椅子ならば正体のよく分からない繊維や素材を用いて──この辺りで採取できる魔法素材なのだろうか──座面を張るなど、何かしらの加工を施して作られているようだった。
シンシアが今着せられている衣服も、見たこともない繊維で織られ、未知の光沢を放つ布でできたもの。
貧民上がりの自分に服飾のことはよく分からないが、おそらく上等な品なのだろうとシンシアは思っている。
実際、活動的でありながら大人びた美しさを醸し出すデザインは、彼女も嫌いではなかった。
(こういうのが好みだとか、そういうことなのかな……。服も家も、ほとんど青色なのはもう突っ込まないけど)
とはいえ、シンシア自身も落ち着いた色を好む質であるので、特に心を乱されるものでもない。
……常にうぞうぞと居住空間のあちこちをうろつき、 甲斐甲斐しくシンシアの世話を焼く真っ赤な自立型の触手たちがいなければ、の話である。
ちらりと視線を移せば、部屋のテーブルには、たった今シンシアの「お腹空いた」という呟きを聞きつけた耳(?)敏い触手たちがせっせと朝食を準備してくれているところだった。
彼らはラーシュの背丈の三分の一ほどの大きさで、観葉植物のように半球状に集まった数十本の触手が、わさわさと一つの個体を形成している。
傍目にはラーシュに服従しているように見えるが、彼らがラーシュそのものなのか、あるいは子供のような存在なのか、単なる配下の魔物ということなのか、シンシアにはよく分かっていない。
(異質……だけど、よく気が利くし、助かってはいる……)
食事の内容は、どこから手に入れて来たのか、ふかふかの白パンに具だくさんのスープ、ジビエの肉をローストしたもの(何の動物のものかは定かでない)、謎の果物を用いた甘そうなパイなどだ。
正直スープの具材すら得体が知れなかったが、どれもこれも、シンシアが今までに食べたこともないほどに美味であろうことは確かだった。
(監禁同然の生活とはいえ、それなりに丁重に扱われていると思っていい……のかな。)
少なくとも、使用人のようにあちこちを動き回る毒々しい見た目の触手たちや、提供 される食事や衣類の出所が不明なことなどに目をつむれば、何不自由ない生活を送れていると言えるだろう。
(違和感は拭えないけれど、慣れはする。だから触手だの怪しげな食材だのはまあ良いんだ。問題はそこじゃなくて……)
ぼんやりと座ったまま動かないシンシアを不思議に思ったのか、触手たちがうにょうにょと上下に蠢きながらこちらを窺っている。
配膳を終えた彼らに何となく期待の眼(?)差しで見られているような気がして、シンシア は朝食の席に着こうと、ゆっくり立ち上がった。
「っ!痛っ……。」
途端に、全身の疲労や下腹部の違和感、腰部の強い痛みを感じ、思わずうずくまってしまう。
触手たちはシンシアの様子に気づくものの、原因には思い当たらないようで、オロオロと焦ったように周りをうろつくだけだった。
「大丈夫だから、気にしないで」
シンシアはそう取り繕い、軋む身体を叱咤してテーブルに腰掛け、食事を摂る。
朝食は思った通り、とても美味しかった。
* * * *
(触手くんたちには大したことないって思わせておかないと。感づかれたら、絶対にあの魔族……ラーシュに伝わってしまう)
ここへ来て以来、無尽蔵の体力を持つラーシュに、暇さえあれば身体を求められる生活。
彼に気に入られたとはいえ、あくまで人間の女性にすぎないシンシアは、既に身体の限界を感じていた。
初めはそれを伝えようと考えたものの、番になりたいと言って自分を強引にここに連れ込んだはずの彼は、閨での行為以外にまともなコミュニケーションを取ろうともしない。
何かを話そうとしても、すぐにそういう行為に持ち込まれてしまうのだ。
シンシアの好きなものや嫌いなもの、考えていることや困っていること。そういうものに、まるで興味がないといったように。
(好きな相手となら、もっと色んな話をしたり、一緒に食事やデートをしたり、ロマンチックなことをしたいと思うものなんじゃないの。……私は、彼とそういうことを期待してしまうのに。)
経験が乏しい故に純粋な恋愛への憧れが強いシンシアにとって、恋した相手とはいえ、彼の態度は理解し難いものであった。
その疑問はやがて、ひとつの可能性に変わる。
(やっぱり、好きだとか番になりたいだなんて全部嘘で、私は、結局性欲を発散するための「家畜」にすぎないんじゃないか……?)
一度生まれてしまった憶測は、何度もシンシアの頭を過り、じわじわと彼女の精神を蝕んでいく。
再び湧き上がったその不安を隠すように、彼女はそっと自らの髪に触れ、くしゃりと握り潰した。
だから、身体の限界も、膨れ上がる不安も。
口にした途端に用済みだと掌を返され始末される恐怖から、ラーシュに言い出すことはできないでいる。
(だって……。身体が限界だなんて言ったら最後、見限られて捨てられる人間は、あの屋敷で何人も見てきたもの。)
考えた瞬間に思い出したくもない情景がフラッシュバックし、シンシアは堪らず口元を押さえた。
──結局のところ、物珍しく感じたらしい人間を相手に性欲の発散に夢中になっているだけで、ひどく気紛れに見える彼は、些細なきっかけで突然興味を失って、自分を惨めに捨てるに違いない。
熱烈な求愛を受けたとて、どうしても、その可能性を否定できなかった。
愛していると言いながら性行為以外にろくな会話もしようとしないことが、何よりの証拠ではないのか。
(今日だって、終わった途端にあっさりとこの部屋を出ていった)
けれど。
(苦しいし、こわい。こわいのに。)
死と裏切りへの恐怖に心をじわじわと蝕まれながらも、それでも、彼に求められ愛を囁かれるたびに、胸の奥がときめいて温かくなってしまうのだ。
それは無理もないことだった。
同意なく強引に暴かれたとはいえ、かの魔族がシンシアの生きざまに理解を示してみせたあのときに、彼女の心はラーシュという存在に奪われてしまったのだから。
しかしシンシアにとっては、それが何より惨めで恐ろしかった。
(こんな、こんなのおかしい。愛されていない……かもしれない、いつ殺されるかも分からないのに、朝から晩まで慰み物にされることを喜んでしまっているなんて……っ!)
「そんなの、認めない。……認めたくない。」
余分なことは喋らない質のシンシアが、唯一ポツリと漏らしたその言葉の意味を理解できる存在はこの部屋にはいないようで、いつもは彼女のどんな小さな呟きにも即座に対応してみせる触手達も、困ったように首(?)を傾げるだけだった。
そして、そんな彼女のもとに。
「ただいま♡ねえ、なにを認めたくないって?」
この空間の主が、帰還した。
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