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第21話 取り戻した記憶①

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商店街の真ん中に小さな神社がある。神社と言っても、赤い鳥居をくぐると数十歩先に小さな祠があるだけだ。それでも隣の土地は小さな公園になっているため、近所の子供が集まる場所になっていた。しかし、この時は夏真っただ中。ミーンミーンと蝉の大合唱に日陰も全く涼しくない。神社には人っ子一人見当たらなかった。

そんな中、小学4年生の都築ましろはだれもいない神社に一人やって来た。この時間は、お店のかき入れ時なので誰も相手してくれない。店の手伝いをすることもあるが今日は暇だ。いつもは相手になってくれるあやかしたちも、この日は姿を見せなかった。

(最近影郎来てくれないからつまんないな。あやかしの世界も色々ゴタゴタしてるみたいだから忙しいのかな? 狐さんも来ないし。バクさんはおばあちゃんと一緒に働いてるしなあ)

ましろは夏休みの間、大好きな祖母の家に泊まりに来ていた。祖母の千代は定食屋をやっている。お店は地元のお客さんで結構繁盛しているが、訪れるのは人間ばかりではないことを、ましろと千代だけが知っていた。

人ならざる「あやかし」が集まる定食屋「寿寿亭」。千代がいつどこであやかしたちと知り合ったのかは、ましろも聞いてない。ただ、小さい頃から祖母の家に行くたび彼らに会うのですっかり慣れっこになってしまった。

彼らは「ここではないどこか」から来ると言っていた。人間に化けられるなど不思議な能力を持っており、飲み食いしなくても生きていける。夜も寝なくて平気らしい。バクさんなんて夢を食べる生き物なので、千代は悪夢を見たことがないと言う。そういえば、ましろも、ここに泊まっている間は寝覚めがいいことに気付いていた。

しかし、あやかしだって忙しい時がある。いつでもましろの相手をしてくれるとは限らない。千代の家に泊まるのは3週間だけ、それを逃せばまた一年待たなければならないのに、限られた時間しか会えないなんてもどかしい。とはいえ、ましろにできることは何もなく、こうして一人、炎天下の外に出てふらふら歩くしかなかった。

この日は30度を越える暑い日で、子供は外に出てこない。ましろ自身、五分足らずで頭がぼうっとなるくらいだから当然ではあるが、それでもがっかりしてしまう。みんな冷房の効いた涼しい部屋でゲームでもしているのだろう。

「あちっ……! なにこれ! ここに卵落としたら目玉焼きができちゃうよ!」

ましろは、遊具の金属部分に手を触れて慌てて引っ込めた。これでは遊ぶどころではない、滑り台なんて滑ったらお尻の皮膚がめくれて火傷してしまうだろう。やはり家に戻っておとなしくするのが吉なのか。ましろは、ふうとため息をついて、元来た道を戻ろうとした。その時。

「こんな日に外に出るなんて酔狂だな。人間なら早く奥に引っ込んだ方がいいんじゃないか?」

自分と同じくらいの子供の声がして、ましろはびっくりして後ろを振り返った。自分以外に誰もいないと思っていたのに、いつの間に現われたのだろう?

「だ、誰!?」

「あれ? お前俺が見えるのか? 不思議なこともあるもんだ」

「ってことは、あなたもあやかしなのね?」

真っ赤な髪の毛に赤い目をしたその少年は、どこからどう見ても異形にしか見えない。おまけに着物姿である。影郎や狐などと同じあやかしの一種かもしれないが、普段から見慣れているましろは、びっくりしただけで一切恐怖感はなかった。

「なんで怖がらないんだ? 俺みたいな奴初めてじゃないのか?」

「ああ、あなたみたいの見慣れているのよ。そこの寿寿亭という定食屋。あそこに行けば仲間に会えるかもよ?」

そう言ったが、相手は顔をしかめただけだった。

「お前みたいな奴初めてだな。名を名乗れ」

「それ言うならあなたが先に名乗りなさいよ。私はそんじょそこらの人間だけど、あなたみたいな人見たことがないわ? どこの何て言うあやかしなの?」

「それを言うなら、俺はそんじょそこらのあやかしだけど、お前みたいな人間見たことない。どこの何て言う人間だ?」

見事に言い返されて、ましろはきょとんとしてしまった。言われてみれば確かにその通りだ。

「くっ……言うわね。私は都築ましろ。そこの寿寿亭をやってるおばあちゃんの孫よ。私が教えたんだからあなたも教えなさいよ」

「俺は……蘇芳だ」

「すおう?」

「髪と目を見れば分かるだろう? 今ではまとめて赤と呼ぶようになったのか。つまらん時代だなあ。こういう深みのある赤い色を蘇芳と言う。分かったか、このタワケ」

「タワケとは何よ! 失礼しちゃうわね!」

ましろは頬を膨らませて反論した。自分と同じくらいの子供だと思って油断してたのに、こいつはあやかしの中でも口の悪い曲者だ。

「俺が見えた褒美にいいことを教えてやる。一週間後にこの辺で火事がある。ようく用心しといた方がいいぞ」

「えっ? それどういう意味?」

ぷんすかしてそっぽを向いていたら、突然奇妙なことを言われたのでぎょっとして振り返る。にわかに物騒な話になった。火事だって?

「俺はそういうのが分かるあやかしなんだ。色と名前で何となく分かるだろう? つまりそういうこと……」

「にしたって、曖昧過ぎて何の対策もできないわよ! もっと詳しく教えて!」

「んーっと、神社の北側にある商工会館ってところ? そこの電気がバチバチ言ってる、暗くてよく分からないけど。直接見えるわけじゃないんだ。何となく頭に浮かんで……」

漏電だ。10歳のましろの知りうる範囲で思い当たることと言えばそれしかないが多分正解だろう。

「どうして一週間後なの?」

「なぜか頭にぱっと浮かぶんだ。それしか説明のしようがない。でもこういうのってよく当たるんだ。この近所のしか分からないし、お前みたいに俺に気付く人間もいないから意味ないけど」

この蘇芳というあやかしは何者だろう。でもそれより今は火事の方が心配だ。

「ありがと! 教えてくれて! すぐおばあちゃんに教えて来る!」

蘇芳が何か言う前に、ましろは公園を飛び出して寿寿亭へと走って行った。今、千代は忙しく働いているが、これはすぐ伝える必要がありそうだ。実際に火事が起きるのは一週間後らしいが、いてもたってもいられなかった。

「バクさん! おばあちゃんいる?」

「いるけど、厨房から一歩も動けないよ。ちょうど会社が昼休みでみんな昼食を食べに来ているから」

ましろは裏口から入り住居部分を抜け、忙しそうにしているバクさんに話しかけた。バクさんの正体は、夢を食べる獏で、勤務時間だけ人の姿に化けて働いている。人型のバクさんは、ロックミュージシャンばりにカッコいいのだが、人型になれる時間は限られているのが不満だ。本来の格好は象の鼻が付いたムーミンなので、どうしてもそっちのイメージに引きずられてしまう。

確かに狭い店内ではあるが全部のテーブルが埋まっている。バクさんに手伝ってもらっても、千代が客をさばけるギリギリの人数である。店に足を踏み入れた途端食べ物のおいしいにおいが鼻をくすぐり、まひろもお腹がぐーっと鳴った。

「分かった。私もお店手伝うから、手を動かしながら話聞いてくれる?」

普段のましろはそこまで手伝い熱心ではないので、バクさんは目を丸くしたが、猫の手も借りたい状況ではあるので、深くは聞かずに彼女の申し出を受け入れた。

「じゃあ、手を洗ってエプロンと三角巾つけてから小皿の用意とおみそ汁をよそってくれ」

バクさんに言われてましろはすぐに取り掛かった。本当はもっと早く言いたいのだが、余りに仕事が忙しいので慌ただしさに押し流されてチャンスを失ってしまう。千代手作りのぬか漬けが盛り付けてある小皿を盆に載せ、お椀にみそ汁をよそってその隣に置く。これなら子供でも慣れれば簡単にできた。

今日のみそ汁はいちょう切りにした人参と大根が入っている。寿寿亭はみそ汁やお漬物まで手を抜かずおいしいと評判だった。

「ありがとな、ましろ。やっと少し手が空いて来た。千代ちゃんはまだバタバタしてるけど、俺なら話を聞けるから先に話してみろよ。何か急いでたな?」

バクさんにそう話しかけられたのは2時近くになってからだった。ましろはさっき蘇芳から聞いた話を伝えた。それを聞いたバクさんは顔をしかめる。

「それを蘇芳というあやかしから聞いたってことか? そいつと会ったのは今日が初めて?」

「そうよ。今まであそこの神社には何度も行ったことあるけど、あやかしなんていなかったわ。火事のことを教えるためにわざわざ出て来てくれたのかしら?」

ましろはそう言ったが、バクさんは何も答えず、眉間のしわは余計に深まるばかりだった。火事が起きたら大変だからすぐに動かなきゃいけないのに。何か気にかかることでもあるのだろうか? ましろは首を傾げた。

「今の話は、とりあえず影郎に報告しよう。火事まで一週間あるんだろう? その間にきっとまたやって来るよ。なに、そんなに急ぐことない。安心して」

すぐにでも対処しないとまずいのに何のんきなことを言ってるのだろう? ましろは気が気でなかったが、何度尋ねてもバクさんは同じ答えを繰り返すのみだった。
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