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第26話 無敵の人

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「ブラッドリー氏の作品は、私にとっては机上の空論にしか思えません。まるで、暗い穴の中から全てを知った風というか。頭でっかちな子供の戯言にしか聞こえない」

ビアトリスは、自分が言われたかのように衝撃を受けた。彼女が、掛け値なしで賞賛した小説が雑にこき下ろされている。怒りと恥辱で顔が真っ赤になり、こみ上げる衝動を抑えるのに必死だった。

しかし、言われた当のエリオットは、それを聞いてもへらっとしており「なるほど、そういう見方もありますね」と淡々と答えている。一瞬緊迫した空気になりかけたが、エリオットの落ち着き払った反応にみな拍子抜けしてしまった。

「おい! わざと煽るような言い方してるんだから、ここは喧嘩を買うんだよ!」

セオドアが慌ててエリオットに話しかける。一応声を潜めているが、周囲に丸聞こえだ。

「あ、ああ、そうなのか。ええと、机上の空論ではなく、いわば私小説のような作品なのです。これを書いた時は時間がなくて、つい自分の体験に少し味付けして文章にしたんですが、暗い穴の中から全てを知った風というのは、正に言い得て妙でして、僕自身が他の世界に接する機会がなく、舞台や本の上で世界を知ったというのが土台にあります。ですから、そう言う意味では、大意を汲み取ってくれて感謝しています」

最初にけしかけた相手は毒気を抜かれたらしく、ぽかんとしていた。これでは、喧嘩を買うどころか、相手に感謝してしまっている。

「あちゃ~、そうじゃないんだよ。ここは言葉の殴り合いを楽しむ場所なんだ。理路整然に反論してどうする?」

隣でマークが顔に手を当てながら呟く。ビアトリスはえっ? と小声で反応した。

「さっき発言したのは、運営のサクラで、議論をしやすいようにわざと煽るようなことを言って場を温めてるんだ。みんなそれを期待してここまで来ている訳だから。もっと闘志を見せないと」

そういうものなのか。ビアトリスは呆気に取られたまま、中央にいるエリオットを見ていた。彼は、その後も、のらりくらりと論敵を交わし、白熱した議論には一度もならなかった。お前の小説はクソだと言われても「なるほど。今後の参考にしたいので、どこがどうクソだったか説明してください」と返してしまうのだ。あまつさえ、こんなことを言う始末だ。

「小説と言うのは、おのおのの感性によって判断基準が変わるものなので、勝ち負けという評価尺度で計れるものではないと思っています。それでも売れる小説と売れない小説があり、我々はそれを言語化する義務がある。作家にとってもそれが誠意ある態度だと信じています」

これには、司会者も「いや……ここはそれを承知の上で、敢えて勝敗を決める場所なので……」と弁解した。

「それなら、ハロッズ氏の『月と閃光』は僕の作品にはない視点があってとても新鮮だった。思春期の少年のひと夏の体験は、一見刺激的なものを連想させるが、淡々とした文体で綴られた本作は、むしろ何もないことに意味があるという気付きを教えてくれる——」

マークがまたあちゃーと呟くのが聞こえる。勝敗を決めると言われて、逆に敵に塩を送ってどうする? そう言いたいのだろう。しかし、ビアトリスは、ここで発言しているのはエリオットではなくペンドラゴン編集長だと分かっていた。今までペンドラゴンとエリオットが同一人物には見えず苦労していたが、これでやっと納得できた。ペンドラゴンのファンであるビアトリスにとっては、またとないご褒美だ。

この場は、すっかりエリオットによってかき乱された。彼自身だけがそのことに気付いていない。ある意味無敵の人だ。そんなしまらない空気の中、講評を行ったハムストリング氏が「まあ、たまにはこんな回があってもいいでしょう」と無理やり場を締めて終わりとなった。

解散となってから、セオドアとアンジェリカがエリオットのところに駆け寄るのが見えた。

「おい! ここでかっこいいところ見せてやる作戦だったのにどうしたんだよ!?」

やはりそのつもりだったのだ。そんなことをする必要はなかったのに、ビアトリスは驚くやら呆れるやらだった。

「人と争うのはやっぱり苦手なんだよ。辛口の意見でも自分に益があればと思ってついつい聞いちゃう。取るに足らなければ聞き流せばいいだけだし」

ある意味エリオットらしいと言えばらしいと言える。彼女も彼と話がしたかったが、マークの手前知らない人の振りをしなければならず、断腸の思いでその場を離れた。

「本当はこういうのを見せるつもりじゃなかったんだけどなあ。実際はもっとショー的なものなんだ。でも、議論らしい議論ができたとも言えるから、僕は嫌いじゃないけどね。ただ、激しい論戦を見たかった客にとっては肩透かしだろうな。あの人は今後出入り禁止かも」

マークはそう言って微かに笑った。じゃ、僕らも失礼しようかと彼が言うので、そのまま後に着いて部屋を出る。結局、エリオットたちとは挨拶もできなかった。

「編集長は、さっきの作品についてどう思います? ぜひご意見が聞きたいです」

建物を出たところで、ビアトリスはマークに話しかけた。

「そうだな。話が長くなるから、ちょっとお茶でも飲みながら話そうか?」

ビアトリスはうん? と一瞬固まったが、別に他意はないと思い快諾した。アンジェリカが気を付けろなどと言ってたが、マークは紳士だし大丈夫だろう。アンジェリカは、女権拡張主義者の割には案外保守的なところがある。それもビアトリスを思ってのことなのだろうが。

「そうだな。僕の目には、あのブラッドリーはそれなりに手練れのように感じたな。本来ああいう場所に出てくるようなぽっと出の作家ではない。でも、聞いたことがないし、今までどうしていたんだろう?」

マークに急所を突かれて、ビアトリスは持っていたお茶のカップを取り落としそうになった。

「あそこは喧嘩をしたい人がエントリーする場所だから、本来彼みたいな人は近づかないんだけどなあ。何を勘違いしたのやら。自分の作品を見てくれるところがなくて困っていたのかな? 辛口の意見でもいいと言ってたし。でも、他人の作品の批評は的確だし、彼自身、別の名前で批評家でもやっているんだろうか?」

マークが次々に正解にたどり着くので、ビアトリスは内心冷や冷やしていた。やはり、仕事人としてのマークは優秀だ。優れた編集長はペンドラゴンだけではなかったのだ。

「それより、ビアトリス。今日は、多くの同業者に面通しできてよかった。これだけでも収穫があったよ。君の作品が載るのはいよいよ来月号からだ。気を引き締めて行こうね」

マークが、仕事人の顔になってビアトリスに語り掛ける。彼女も、お願いしますと頭を下げた。アンジェリカが心配するようなことは何も起きないではないか。マークは信用しても大丈夫そうだ。

マークと別れ、アンジェリカと住むアパートに帰って来ると、アンジェリカは既に帰宅していた。

「ちょっと! エリオットが出場するなんて聞いてなかったわよ! あなたの差し金ね! 私がマークと批評会を見に行くことを話したんでしょう?」

ビアトリスにしては強めに抗議するが、その程度で臆するアンジェリカではない。

「そうよ。だってあなた、すっかり『楡の木』派閥になっちゃって面白くないんだもの。ここは一つ、エリオットに存在感を出してもらおうと思ってけしかけたの。すごく嫌がっていたけど私と兄で作戦を練って。でもエリオットはやっぱりエリオットだったわね。どれだけボロクソ言われてもニコニコしてるんだから」

「もう、私あそこで何度立ち上がって発言しようと思ったか。抑えるのが大変だったのよ」

「あんなに自分がない人だとは思わなかったわ」

つんとした調子でアンジェリカが言うので、ビアトリスはエリオットを擁護したくなった。

「今までずっとひどい扱いを受けて来たから、何でもニコニコしてやり過ごす処世術を身に着けただけよ。もちろん、元々穏やかで優しい性格だからそうなったんだけど……でも本当のところ、彼がどう思っているのかは私も知らない。彼のこともっと知りたい」

そう言ってしんみりとなったビアトリスを見て、アンジェリカも声を落とした。

「やっぱりあなたたち夫婦なのね。これからの女性は結婚に縛られず生きる道を選ぶべきだと思うけど、あなた達見てると結婚も悪くないって思えてくるわね」

そう言うとキッチンに向かい二人分の紅茶を用意しに行った。



★★★

最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
このヘタレヒーローじゃ勝負にならないよなと思ったら清き一票をお願いします!

「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。

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