『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

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第一章 凍てつく春と、雪解けのメス

第10.5話 霧生視点『黄金コンビの追憶と、俺の遠距離恋愛』

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霧生航:高校2年生

高校2年の秋。放課後の図書室。

部活の日誌を書き忘れた俺は、顧問に怒鳴られる前に書き上げようと図書室に駆け込んだ。

そこで、窓際の特等席にいる二人を見つけた。

西日が差し込む中、並んで赤本を広げている男女。

サッカー部のエース・五十嵐先輩と、いつも応援に来てくれる天野先輩だ。

「あ、五十嵐さん!この人、引退試合のドリンクの人っすよね?はじめまして、2年の霧生航です!」

俺が勢いよく挨拶すると、五十嵐さんは「うわ、うるせぇのが来た」と露骨に嫌そうな顔をしたけれど、隣の天野先輩はふわりと笑ってくれた。

「ふふ、はじめまして。天野皐月です。よろしくね、霧生くん」

机の上には、医学部の赤本が積まれている。

「え!? 二人とも医学部志望なんすか!?」

俺は素っ頓狂な声を上げた。

確かに五十嵐さんは頭がいいとは聞いていたけれど、天野先輩もだなんて。

「あ、でも確かに! 五十嵐さん手先器用だし、なんか外科医!って感じしますよね。天野先輩も優しそうで、小児科とかの女医さんって感じします!」

俺が適当(でも本心)なイメージを言うと、五十嵐さんがバシッと俺の頭を参考書で叩いた。

「……うるせぇよ。勉強の邪魔だ。さっさと行け」

口ではそう言いながらも、その耳が少し赤いのを俺は見逃さなかった。

天野先輩も「もう、乱暴なんだから」と笑いながら、五十嵐さんの腕を突いている。

夕日に照らされた二人の横顔は、映画のワンシーンみたいに綺麗で。

(……うわー。これが噂の『黄金コンビ』か。マジで絵になるなぁ)

俺は邪魔しちゃ悪いなと思って、ニヤニヤしながらその場を退散した。



11月下旬。文化祭。

俺はカメラ係として校内を走り回っていた。

そして、中庭のベンチで二人を見つけた。

人混みを避けるように座って、何かを話している。

そして――二人の手が、しっかりと繋がれているのを、俺の動体視力は捉えた。

「うおおお!やっぱり付き合ってるじゃないっすか!」

俺がカメラを構えて突撃すると、二人はバッと手を離した。

「ち、違げーよ!」

「霧生くん! 変なこと言わないで!」

顔を真っ赤にして否定する二人。

でも、その空気感はどう見ても「完成」されている。

「いいじゃないっすか!記念っすよ、記念!撮りますよー!」

俺は強引にシャッターを切った。

ファインダー越しの二人は、照れくさそうに、でも少しだけ距離を詰めて、はにかんでいた。

この写真、現像したら高く売れるかもな、なんて能天気なことを考えていた。



3月。卒業式。

俺は在校生として、卒業していく先輩たちを見ていた。

式の後、校庭で二人を見つけて駆け寄った。

けれど、近づくにつれて足が緩んだ。

いつもと雰囲気が違う。

五十嵐さんは、げっそりと痩せていて、目の下にクマがあった。

纏っている空気が、ひどく重くて暗い。

隣にいる天野先輩は、そんな五十嵐さんを気遣うように、心配そうな顔で覗き込んでいる。

「……五十嵐さん!ご卒業おめでとうございます!」

俺が声をかけると、五十嵐さんはビクリと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。

「……おう。サンキュ」

力のない声。いつもの覇気がない。

前期試験が終わったばかりだと聞いていた。手応えが悪かったのだろうか?

「天野先輩も、おめでとうございます!」

「あ、ありがとう霧生くん」

天野先輩は笑顔を見せてくれたけれど、それはどこか貼り付けたように痛々しかった。

気まずい沈黙が流れる。

でも、今日が最後だ。俺は空気を読まないふりをして、スマホを取り出した。

「最後なんで、写真撮りましょ!並んでください!」

「……俺はいい」

「いいじゃないっすか!ほら!」

俺は強引に二人を並ばせ、カメラを向けた。

「はい、チーズ!」 カシャッ。 

画面の中の五十嵐さんは、レンズを見ようとせず、俯いて暗い顔をしていた。

天野先輩だけが、無理に口角を上げてピースをしている。

文化祭の時の、あんなに幸せそうだった二人とは、まるで別人みたいだった。

(……受験って、大変なんだな)

俺は呑気にそう思っただけだった。

まさかこれが、二人の最後のツーショットになるとは知らずに。



春休みに行われた、サッカー部の三送会(追い出し会)。

五十嵐さんが、地元の国立医学部に合格したと報告があった。

「すげー!さすが五十嵐さん!有言実行っすね!」

部員たちが盛り上がる中、俺は当然のように聞いた。

「じゃあ、天野先輩も一緒っすか?あの人なら余裕っすよね?」

その瞬間。五十嵐さんが、凍りついたように固まった。

周囲の空気も、ピリリと張り詰める。

「……あ?」

俺が首をかしげると、すぐに他の先輩が「おい霧生、あっちで肉焼くぞ!」と俺の首根っこを掴んで引きずっていった。

遠ざかる視界の端で、五十嵐さんが俯き、拳を握りしめているのが見えた。

あの時、俺は初めて「あ、やばいこと聞いたかも」と察した。

黄金コンビは、一緒に桜を見ることができなかったんだと。



そして4月。俺たちも受験生になった。

俺には、高校2年の夏から付き合い始めた彼女がいた。

彼女は医学部の保健学科志望。俺は医学科志望。

二人で「地元の国立に行こう」と約束して、図書館で勉強した。

でも、現実は甘くなかった。

センター試験の結果はボーダーギリギリ。地元の国立はE判定。

先生には「ここなら受かる」と、遠く離れた地方の国立大学を勧められた。

「……ごめん。俺、そっちに行くわ」

放課後の教室で告げると、彼女は泣いた。

「遠いよ……会えなくなっちゃうよ……」

俺だって寂しい。離れたくない。

でも、医者になる夢も諦められない。

俺は、泣いている彼女の手を握りしめた。 

五十嵐さんたちのことを思い出す。

あんなにお似合いだった二人が、進路の違いや受験の失敗で離れ離れになってしまったこと。

(俺は、絶対に離さない)

「……絶対、戻ってくるから」

俺は彼女の目を見て誓った。

「6年かかるけど、絶対に戻ってきて、この大学の研修医になる。だから……待っててほしい」

それは、自分への誓いでもあった。

彼女は泣きながら、それでも最後には「うん」と頷いてくれた。



あれから6年。

俺は約束通り、地元の国立大学病院に研修医として戻ってきた。

彼女とも、遠距離を乗り越えて続いている。

「おーい、霧生。オリエンテーション始まるぞー」

同期に呼ばれて席に着く。

名簿を見ると、一つ上の学年に『五十嵐拓海』の名前があった。

「うお!五十嵐さん、やっぱりここにいたんだ!」

嬉しくなって、他の名前も探す。

『天野皐月』。 ……ない。

どこにも、彼女の名前はなかった。

(……そっか)

 胸がチクリと痛んだ。

やっぱり、二人は終わってしまったんだ。

あんなに仲が良かったのに。

もしかしたら、天野先輩は医者になるのを諦めてしまったのかもしれない。

「……切ねぇなぁ」

 俺は名簿を閉じ、研修医生活をスタートさせた。



そして1年後の4月。研修医2年目、皮膚科ローテの初日。

インフルエンザで出遅れた俺が、慌てて医局に飛び込んだ時。

「初めまして、天野です」 目の前に、あの懐かしい笑顔があった。

少し大人びて、白衣を着た彼女が、そこにいた。

「えっ!?」

止まっていた時間が、動き出した気がした。

黄金コンビが、同じ病院に揃った。

二人の物語は、まだ終わってなかったんだ――!

俺はガッツポーズをしたい衝動を抑え、「天野先輩ですよね!?」と叫んでいた。
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