35 / 45
英国編
揺れる心2
しおりを挟む
夕食時、成彦はエリオットと久しぶりにゆっくり顔を合わせた。近頃どちらも忙しかったせいもあり、特にエリオットは帰宅が深夜を越える夜が増えていた。
「・・・・・・言っていないことはないかな」
ソテーの肉にナイフを入れながら、エリオットは上品に唇を動かした。
「なんでしょうか」
「私に何か言い忘れていないかなと訊いたんだよ」
成彦は口に運びかけのスープを皿に戻す。
「え・・・・・・?」
「サテンスキー家の車を見たような気がしたからね。訪問者はいなかっただろうかと思って」
エリオットの目線はナイフを動かしている上にある。切り分けたソテー肉にソースを絡ませてフォークで器用に刺している。
「いません」
気持ちを落ちつけ、成彦は答えた。
「ならいいんだ。それと、市街地に出かけるなら気をつけて。もっと使用人の数を増やして行きなさい」
ちらりと、エリオットが視線を寄越す。
「セイの買い物に付き合って市場に行ってきたのだろう? 昼間帰宅した時に留守だったから執事長から聞いたんだ」
止めていた息が、はっと戻った。
エリオットは怪訝そうにカトラリーを置き、口を拭いた。
「最近上の空なことが多いし、やはりヒートが近いんじゃないのか」
「いえっ、ごめんなさい。でもヒートはまだです」
「そうか。だが心配だよ。屋敷にドミニクを置いていこうか」
「いけません。エリオット様の仕事に支障がでます」
成彦は元気だから平気だと見せるように、食事を再開する。
食後は二人一緒に入浴し、温まった身体を寄せ合いベッドに雪崩れ込んだ。
(するのかな・・・・・・)
エリオットの指と重なり絡み合った成彦の手がシーツに沈む。浴室ではしなかった。隅々まで綺麗に洗いっこをするということはしたが。
覆い被さったエリオットは髪やこめかみ、指の先から唇で愛撫する。大きな犬にすりすりと甘えられているみたいで、成彦は心地よさと安らぎを得る。
しかし頬に唇が触れたところで、エリオットは力尽きてしまったようだ。
成彦の胸を贅沢に陣取り、寝息を立てている。
「エリオット様?」
声をかけても起きる気配はなさそうだ。
きっと昼に休憩を惜しんで仕事を片付け、帰ってきてくれたのだろう。
今以上に優しくしないでと言ったのに、自分はどんどんエリオットを誰とも共有できなくなる。大切な番を誰にも触れられたくない。
成彦は溢れ出してしまいそうなエリオットへの想いを閉じ込めるように、眠る愛しい人の頭をかき抱いた。
× × ×
「あー! 来たなロニー・ヒューゴ兄弟! サボりはさすがに怒られんぞ!」
翌日、造船工場の小屋に出向くと、コーナーが腕組みをして仁王立ちして待っていた。
「ごめん・・・腹痛は嘘じゃないんだ。ね、ヒューゴ」
「ああ。大変だった」
ほんとかよと、信じがたいという目を向けてくるコーナー。
「お前らさぁ社長と会ったらまずいわけでもあんの?」
成彦は目を逸らした。
「ま、いいや。点呼とるから並べ」
コーナーは名前と顔を確認してボードに記載していく。
「あれ? デニスが来てないな。そういや三日前から休んでたな。誰か知っているか?」
全員の顔を見ながら訊ねるが、誰も知らない。
病気でしょうかと、セイが成彦に耳打ちした。
裕福じゃない家は満足に医者に行ける金もないだろう。ここにいる子どもたちは働いて稼いだお金を家族を養うための食い扶持に充てているはずだ。もしも苦しんで寝込んでいるなら、放っておけない。
成彦はセイと目を合わせて頷いた。
この日の仕事を終えた後、成彦とセイはデニスという子の家を見舞うことにした。近所で暮らしている子に家まで案内してもらい、場所を確認して帰す。正体を明かすわけにはいかないので、成彦とセイはいったんそこを離れると、商店に寄り、薬と食べ物を買った。
そしてデニスの家に戻る途中、日が暮れるにしたがって濃い霧が目立ってきた。低所得者が暮らす下町の周辺は空気があまり綺麗ではないのかもしれない。見晴らしのいい高台の上にあるエリオットの屋敷が、雲の上の天上の建物のようだった。
「急ぎましょう。さらに暗くなると道に迷うかもしれません」
「うん」
帰宅が遅くなれば執事長の言いわけも限界がくる。
アパートメントの薄い扉を叩くと、向かいの路地裏に隠れる。室内から母親らしき女性が出てきて顔を手で覆った。あたりを見まわし、逡巡するようにおろおろしていたが、やがて扉の前に置かれていた紙袋を抱え中に引っ込んだ。
成彦はホッとする。
「受け取ってもらえましたね」
セイも胸を撫で下ろしている。
では早々に退散しましょうかとセイは腰を上げ、不意にアパートメントを凝視した。不自然な動作だ。成彦はセイの視線の先に目をやった。
だが特に何もない。
「セイ、帰ろう」
「はい」
「どうしたの?」
「二階の窓のカーテンが開いていて・・・気のせいだと思います」
つまりどういう意味なのかピンと来ていない成彦に、セイは気を取り直して首を横に振った。
この次の日。セイに都合がつかないと言われて、造船工場を休んだ。翌日も渋っていたが、前日も一日中成彦に張りついて過ごしていたので、都合がつかない用事というのは成彦を外に出さないための口実だと気づいていた。
「わかりました。今日は寄り道なしで帰りますよ」
セイと約束をし、特段取り沙汰されるようなことのない変化のない一日を過ごした帰り際、日中ピリピリしていたセイが汗を拭った。
「暑い?」
「いいえ」
ならばかいているのは冷や汗なのか、平和だった今日に似合わない怖い顔つきだった。
「成彦様はここで待っていてください」
ここでと言われても、工場をちょっと出たところの道端である。
「ここなら大工たちの目があります。安全です」
大仰な言いようにギョッとする。
「待って」
成彦は止めるが、踵を返したセイの背中があっという間に小さくなっていった。
「・・・・・・言っていないことはないかな」
ソテーの肉にナイフを入れながら、エリオットは上品に唇を動かした。
「なんでしょうか」
「私に何か言い忘れていないかなと訊いたんだよ」
成彦は口に運びかけのスープを皿に戻す。
「え・・・・・・?」
「サテンスキー家の車を見たような気がしたからね。訪問者はいなかっただろうかと思って」
エリオットの目線はナイフを動かしている上にある。切り分けたソテー肉にソースを絡ませてフォークで器用に刺している。
「いません」
気持ちを落ちつけ、成彦は答えた。
「ならいいんだ。それと、市街地に出かけるなら気をつけて。もっと使用人の数を増やして行きなさい」
ちらりと、エリオットが視線を寄越す。
「セイの買い物に付き合って市場に行ってきたのだろう? 昼間帰宅した時に留守だったから執事長から聞いたんだ」
止めていた息が、はっと戻った。
エリオットは怪訝そうにカトラリーを置き、口を拭いた。
「最近上の空なことが多いし、やはりヒートが近いんじゃないのか」
「いえっ、ごめんなさい。でもヒートはまだです」
「そうか。だが心配だよ。屋敷にドミニクを置いていこうか」
「いけません。エリオット様の仕事に支障がでます」
成彦は元気だから平気だと見せるように、食事を再開する。
食後は二人一緒に入浴し、温まった身体を寄せ合いベッドに雪崩れ込んだ。
(するのかな・・・・・・)
エリオットの指と重なり絡み合った成彦の手がシーツに沈む。浴室ではしなかった。隅々まで綺麗に洗いっこをするということはしたが。
覆い被さったエリオットは髪やこめかみ、指の先から唇で愛撫する。大きな犬にすりすりと甘えられているみたいで、成彦は心地よさと安らぎを得る。
しかし頬に唇が触れたところで、エリオットは力尽きてしまったようだ。
成彦の胸を贅沢に陣取り、寝息を立てている。
「エリオット様?」
声をかけても起きる気配はなさそうだ。
きっと昼に休憩を惜しんで仕事を片付け、帰ってきてくれたのだろう。
今以上に優しくしないでと言ったのに、自分はどんどんエリオットを誰とも共有できなくなる。大切な番を誰にも触れられたくない。
成彦は溢れ出してしまいそうなエリオットへの想いを閉じ込めるように、眠る愛しい人の頭をかき抱いた。
× × ×
「あー! 来たなロニー・ヒューゴ兄弟! サボりはさすがに怒られんぞ!」
翌日、造船工場の小屋に出向くと、コーナーが腕組みをして仁王立ちして待っていた。
「ごめん・・・腹痛は嘘じゃないんだ。ね、ヒューゴ」
「ああ。大変だった」
ほんとかよと、信じがたいという目を向けてくるコーナー。
「お前らさぁ社長と会ったらまずいわけでもあんの?」
成彦は目を逸らした。
「ま、いいや。点呼とるから並べ」
コーナーは名前と顔を確認してボードに記載していく。
「あれ? デニスが来てないな。そういや三日前から休んでたな。誰か知っているか?」
全員の顔を見ながら訊ねるが、誰も知らない。
病気でしょうかと、セイが成彦に耳打ちした。
裕福じゃない家は満足に医者に行ける金もないだろう。ここにいる子どもたちは働いて稼いだお金を家族を養うための食い扶持に充てているはずだ。もしも苦しんで寝込んでいるなら、放っておけない。
成彦はセイと目を合わせて頷いた。
この日の仕事を終えた後、成彦とセイはデニスという子の家を見舞うことにした。近所で暮らしている子に家まで案内してもらい、場所を確認して帰す。正体を明かすわけにはいかないので、成彦とセイはいったんそこを離れると、商店に寄り、薬と食べ物を買った。
そしてデニスの家に戻る途中、日が暮れるにしたがって濃い霧が目立ってきた。低所得者が暮らす下町の周辺は空気があまり綺麗ではないのかもしれない。見晴らしのいい高台の上にあるエリオットの屋敷が、雲の上の天上の建物のようだった。
「急ぎましょう。さらに暗くなると道に迷うかもしれません」
「うん」
帰宅が遅くなれば執事長の言いわけも限界がくる。
アパートメントの薄い扉を叩くと、向かいの路地裏に隠れる。室内から母親らしき女性が出てきて顔を手で覆った。あたりを見まわし、逡巡するようにおろおろしていたが、やがて扉の前に置かれていた紙袋を抱え中に引っ込んだ。
成彦はホッとする。
「受け取ってもらえましたね」
セイも胸を撫で下ろしている。
では早々に退散しましょうかとセイは腰を上げ、不意にアパートメントを凝視した。不自然な動作だ。成彦はセイの視線の先に目をやった。
だが特に何もない。
「セイ、帰ろう」
「はい」
「どうしたの?」
「二階の窓のカーテンが開いていて・・・気のせいだと思います」
つまりどういう意味なのかピンと来ていない成彦に、セイは気を取り直して首を横に振った。
この次の日。セイに都合がつかないと言われて、造船工場を休んだ。翌日も渋っていたが、前日も一日中成彦に張りついて過ごしていたので、都合がつかない用事というのは成彦を外に出さないための口実だと気づいていた。
「わかりました。今日は寄り道なしで帰りますよ」
セイと約束をし、特段取り沙汰されるようなことのない変化のない一日を過ごした帰り際、日中ピリピリしていたセイが汗を拭った。
「暑い?」
「いいえ」
ならばかいているのは冷や汗なのか、平和だった今日に似合わない怖い顔つきだった。
「成彦様はここで待っていてください」
ここでと言われても、工場をちょっと出たところの道端である。
「ここなら大工たちの目があります。安全です」
大仰な言いようにギョッとする。
「待って」
成彦は止めるが、踵を返したセイの背中があっという間に小さくなっていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
163
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる