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英国編

汽車の攻防

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 朝食まではいなさいよと声をかけてもらっていたが、日が入り始めて間もなくアパートメントを出発する。
 今ごろ屋敷は大騒ぎだろう。
 憔悴した歩みを進めながら、けれど足は止めない。駅まで歩ききった時には両足とも棒のようになり、風が吹いただけでぽっきりと折れてしまいそうだった。
 空腹と不安の表れで胃が痛くなり、駅舎の裏手でこっそり吐いた。
 出るものはないが、迫り上がってきた胃液を吐き、口を拭う。少しは鮮明になった頭で赤茶色の駅舎を眺めた。
 切符売りの窓口はまだ開いていない。人もいない。
 がらんどうな構内に入ると、アーチ型の天井の下の一番よく見える場所に満月のような時計が吊り下げられてあった。その奥にプラットホームが見え、そこまで行くと線路がひたすら続いていた。入港してきた人と荷物がこの駅からイギリスの内陸に運ばれていくのだ。
 入り口の方角から物音がした。
 成彦は素早く身を隠す。
 
「攫ってきた子どもはどうだ」
「猿轡を咬ませてからは大人しくしてます」
「ならいい。あと三十分ほどで駅員と汽車が発車点検に入る。すきを見計らって貨物室に乗せろ」
 
 話しながら、男たちは構内を物色しているらしい。

「しかし、サテンスキー侯爵家のオメガで間違いないんだろうな」
「汚い労働者の姿で彷徨いていると情報があったんだから間違いねぇよ。じゃなきゃ金なんか持ってないだろ」
「ならいい。使い道の山ほどあるオメガだ、傷はつけるなよ」
「わかってるよ」

 男たちは下見が済んだのか、外へ消えていく。
 成彦は盗賊の会話を息を殺して聞いた。今の言われようが事実ならセイは怪我もなく無事だ。
 盗賊はすぐに戻ってくる気配はない。利用客が増えてから怪しまれない格好で現れるのだろうか。先ほどの男たちの顔は覚えた。異なる見た目に偽装してこようとわかる。成彦はプラットホームに潜み、男たちの後を追って貨物室に飛び込む算段だった。
 一時間ごとに時計の鐘が鳴り、三度目の鐘が響いたあたりから駅はガヤガヤと賑わい始めた。この時間より前から汽車は線路上で構えていたが、数名の乗務員が乗り降りしていただけだった。しかし受付に係員が入り、貨物室を利用する運送業社が顔を見せる。
 カートに山と積まれた荷物の箱が後方車両に運ばれ乗せられる。カートを押す彼らの中に先ほどの男たちがいた。
 数えてみると、盗賊仲間は全部で五人。考えていた数より多くない。セイを救い出し、振り切って逃げることができるかもしれない。逃げ出してしまえばこちらのものだ。これだけ人が多い場所なら向こうも手やすく反撃できないだろう。
 結果的に見れば、この考えが安直だった。
 貨物室の中で成彦は扉の閉まる瞬間を絶望的な気持ちで見つめる。
 盗賊は運送業者の真似をしてカートの荷物を乗務員に渡していた。箱は大きく、あの中にセイが隠されているのだと思い行動した。
 盗賊は貨物室に乗らなかったが、成彦が目を盗んで貨物室に飛び込んだ時、見張りの男と共に両手を縛られたセイが目を見開いていた。
 別の箱に見張りの男が潜んでいたのだ。
 手足の自由な盗賊の一味は即座に扉を閉め、外に出られないようにその前に立つ。
 ニヤリと笑うと、クイと顎をしゃくった。
 成彦は何だろうと首を捻る。すると、後ろからもう一人の盗賊が成彦の体を羽交締めにした。

(まだ潜んでいたなんて・・・・・・)
 
 手も足も出ないまま成彦の手足は拘束される。
 そしてセイの横に転がされた。猿轡を咬まされているセイは声を上げられず、尻で床を移動し、成彦のそばに寄った。

「ごめんねセイ」
「んー、んん」

 セイは首を横に振る。

「なんだかよくわからないが別のガキも捕まりにきてくれるなんてな。あ? お前」

 成彦は顔を袖でこすられる。汚れが落ち、象牙色の肌が明かりの下に晒された。

「おいおい、こっちも東洋人の顔してねぇか? しかもかなり上等じゃねぇか」

 顎を乱暴に掴んで左右からじろじろ見られ、成彦の顔が苦痛に歪んだ。

「どうするよ」
「どうするもこうするもねぇよ、カシラに伝えてこい」
「わかったよ」
「頼むぜ、俺たちにご褒美が当たるかもしんねぇ。あと十五分で列車が出れば怖いもんなしだな」

 それから十五分待ち、発車時刻を越えた。車体が軋み動輪が回り出したのを感じる。連結部分の貫通扉から伝言に行っていた見張りが戻ってくると、ニタリと唇を引き上げた。
 成彦はこの先の展望が考えられなくなる。希望の兆しはない。目の前にあるのは真っ暗な未来だった。
 エリオットに助けられたとしても、自分のような番はいらないだろう。

「カシラが面白いことを思いついたんだってよ」

 戻ってきた見張りの男がもう一人の横にどさりと座るなり話し出す。

「あん?」
「幸運の女神が俺たちに傾いてるってんで、ここで強盗するんだと」
 
 もう一人が詳しく訊くと、凄いんだぜと目を輝かせた。

「何やらやたらと身なりのいい客が多いんだ。命を助けてやるかわりに金目のもんせびってやろうぜって話だ」

 成彦はセイと顔を合わせた。セイがこくりと頷く。
 もしかしたらエリオットたちかもしれない。だとすれば次の駅では警察が待機しているはずだ。

「俺たちも行こうぜ。こんな機会、勿体ねぇよ」
「見張りはどうすんの」

 男たちは拘束された二人を見やり、動けないことを確認する。

「ほっといて大丈夫だ」
「そうだな」

 彼らの頭の中はすでに金持ちからせしめる予定の金銀財宝でいっぱい。そそくさと立ち上がり、通過扉を抜けて略奪行為に加わりにいった。
 前方車両から悲鳴が上がる。
 始まったようだ。
 成彦はもぞもぞと体をひねって座った姿勢を取り、手にセイの口を近づけさせ、猿轡を外した。

「っはあ、ありがとうございます」

 苦しかったのだろう、セイは深く息を吐き出す。
 
「僕のせいでこんなことになって」
「成彦様のせいじゃありませんよ、私の不注意ですから。早く逃げましょ。私たちも油断しましたが、奴らも油断してます。逃げられないと思ってる今がチャンスです」
「・・・・・・うん」
「靴を脱がせてもらえますか。靴底にカミソリの刃が隠してあります」
「いつも持ち歩いてるの?」

 驚く成彦に、セイは「主人をお守りする付き人の心得です」とニコリとする。そしてカミソリの刃で手早く手縄を解き、貨物室を後方に移動した。
 客車は盗賊たちが彷徨いているのでそちらには行けない。
 けれどもどういうことか、最後尾の車両で桃色のドレスを着てめかしこんだ女の子が膝を抱えていた。
 服装と見た目からして五~六歳程度の良家の娘だ。
 この子と人攫いにあった子どもなのか。

「もう平気だよ。怖かったね」

 成彦は女の子の前で膝を折った。
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