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◇第一部◇ 第三章 魔力の胎動

甘い噂【2】

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 ギルがアスピダ城砦に待機しているうちにもリヒトの訪問があった。

 至る所で騎士たちが噂をしていたので、早い段階でギルの耳にも届いたのだ。共に見張りの任に就いていた近くの別隊に詳しく訊ねると、にわかには信じられない話を聞かされた。

 それは前回の訪問から五日も経っていないということである。

 リヒトが居住地としている王都からアスピダ城砦までは、馬を早駆けさせてやっと二日で戻れる距離。つまりはどちらかといえば何かの用事で王都へ行き、とんぼ返りでこちらに戻って来たと考える方が自然だ。

 ギルは唇を噛む。自分の予想が正解なら、物凄く嫌な予感がする。自分の口で確かめなくては落ち着かず、交代の時間がくるまで生きた心地がしなかった。

 しかしまもなく交代という時、城砦の前方を囲う塁壁るいへきへと、ゆっくり近づいてきているどす黒い塊が遠くに見えた。

「敵襲ーー!!」

 物見係が銅鑼どらを叩いて合図をする。

「来たか、神出鬼没で気持ちが悪い」

 副官を任せているアクセンが隣に立ち、悪態をつく。

 アクセンはギルより十歳は年上で、戦経験の豊富な騎士だ。剣技にも指揮官としての才にも秀でているが、騎士の家系で位が低いためにギルの下の地位に甘んじている。
 
「そう言わないでやってください、・・・・・総員揃ってるな? よし、出るぞ」
「はっ!」

 人ならざる者による敵襲。ここ一年で頻発しており、ギルの小隊がアスピダ城砦に呼ばれた要因ともなっていた。不可解なことにまるで引き寄せられているかのごとく、アスピダ城砦目掛けてヴィエボ国にやってくるのだ。

「あれはお隣の国? それともそのお隣でしたか?」
「その向こうであるかと、二つは国を越えて来ているかと思います」

 アクセンは歩を進める大群を見下ろしながら、口をおさえる。

「・・・・・・そんな遠くから、考えたくもないですな」
「ええ、俺もそう思います」

 ギルの小隊は三十人、加えて二十人のアスピダ城砦の騎士を含め、総勢五十人で迎え討つ体制を整える。

 対する敵軍はアンデッド、ボロ切れ同然の黒い布の中身は腐りかけの死体だ。彼らを兵士として敵国に送り込むのは、死霊使いを保有する国の常套手段じょうとうしゅだん

 見たところ、ざっと五百人前後。死体を術で操っているだけで攻撃力は皆無。死んでいるので何をしても殺せないが、死霊使い本体が術を掛け直さなければ再生はしない。手足を切り、動けなくしたのちに燃やして葬ってやるのがセオリーだった。

「ふざけてますね」

 鼻をつく腐臭に顔を顰め、騎士たちは各々の武器具を構える。

「・・・・・・様子見だろうか」

 ギルは不意に思い立った言葉を呟いた。

「隊長、何か言いました?」

 アクセンが渋い顔で振り返る。

「なんでもない」

 慌てて口をつぐむ。わずかな者だけが知り、広めてはならないことだ。

 ギルは大剣を肩に乗せ、声を張り上げる。

「お前らいいか! 戦い方はわかるな? 相手は屍だ、必要以上に痛めつけるなっ、一刻でカタをつけるぞっ!」
「はっ!」

 ギルは大剣の重みをモノともせず、先頭に立って黒い大群に突っ込んだ。後方には部下が続く。相手は地べたを歩くアンデッド、歩兵騎士のみで応戦する。

 一人一人が鍛錬を重ねた優秀な騎士たちだ、片付けるのに一刻もいらなかった。その場で火が放たれ、屍人をいたむ炎が空に燃え上がった。彼らは炎に弱く、瞬く間に塵と化していく。

 耳をつんざく叫びが炎の中にこだまする。

 アンデッドたちの断末魔の悲鳴である。

 祈りの言葉は神父によって行われ、辱めを受けた魂を鎮めるように、剣を奮った全ての騎士が片膝をつき祈りを捧げた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 後始末を終え、ギルは襲撃の報告書を手に持ち寮を出た。用事は直属の部下を通せとクライノートから全隊長におふれが出ており、それは彼が終日リヒトと一緒にいるという何よりの証拠だった。

 クライノートの使う総司令室と寝室を兼ねたプライベートルームは、獣人の姿を見られることを懸念してか城の奥まった場所に位置する。砦の敷地内にある騎士寮から距離があるが、入念に人払いを済ませてあるのだろう、随分前から誰の姿も見かけない。

 自分は家族なのだからクライノートの部屋に向かうところを見られても平気だが、とても愛想のいい顔は出来ない気分だったためにありがたかった。

「ふふ、ベイビー、クライはここを触られるのが好きだね」
「・・・・・・ん、・・・・・・はぁ、ああ」

 ギルは扉の前で立ち止まった。部屋の中から聞こえてくるむついにどきりとする。

「リヒトに撫でてもらうと気持ちがいい」
「ふふ、こんなに立派になっても私にはずっと可愛らしく思えてしまうよ」
「君の方が可愛らしかっただろうに、良く言う」

 ギルは一度廊下の突き当たりまで戻り、足音を鳴らしてから扉をノックをした。声が筒抜けるぐらいの扉だ、耳の良い獣人のクライノートにはバレバレの偽装かもしれないがやらないよりはマシだ。

「ギルか?」
「はい」

 クライノートは待っていたような声だった。

 「入れ」と許可を得てギルが中に入ると、ベッドの上にはなけなしの衣服を羽織ったリヒトが、クッションを背にして、くつろぐ獅子に寄り添って寝転んでいた。

「義父さま・・・・・・っ」

 ギルは言葉を失った。

「ふふ、ギル、久しいね。来ると思ってたよ」

 あられもない姿を見られても慌てることなく、リヒトはギルの来訪を喜んでいる。隠そうとする気もない。

「ったく、こいつはわざと噂を放置してたんだ」

 クライノートはそう言いながらも、黒く長い尻尾をリヒトの腰に回している。

「だって甘いみつに寄ってくるミツバチくんが見たくてさ」

 リヒトは茶目っ気たっぷりに言う。

 これは先ほどの甘ったるい会話も聞かされていたに違いない。

「何だよそれ・・・・・・、義父さまとクライは噂どうりの関係なのですか?」

 ギルの肩がわなわなと震えた。

「クライとの関係は否定しないよ、それを確かめにきた?」

 ギルはぎゅっと拳を握る。

「・・・・・・俺は」
「図星かな? もしかしてけ者にされたからねちゃった?」
「なっ、ちがいます!」

 揶揄うような話し方に、カッとなった。

「俺はただ、子どもの力がまた暴発して、義父さまが何とかしようと尽力じんりょくしているのではと考えたのです。そのためにクライから魔法の力を貰っているのだろうと。しかしあの時、義父さまが不自然にやつれていたのを思い出して気づいたのです。魔法の力を人間が使うとのでしょうっ? それならその役目は俺が代わらなくてはなりません。何故ならば、その子の護衛騎士は俺のはずだったからです・・・・・・っ!」

 言い切ったギルは呼吸を荒くする。

「ふむ、なるほど。つまりギルは、私のためにゲーニウスを辞めてもいいって言いにきてくれたんだね」

 リヒトは目を細めて微笑み、羽織っていたブラウスをまくり上げた。

「私が見込んだとおり、とても優しい男になった。ギル、これを見てごらん」
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