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2話 なに?虫に迷惑してるじゃと?

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 コミリアお婆ちゃんの楽しみは、自宅裏に生えた葡萄の木の手入れだった。

 この葡萄の木は、夫との結婚を祝して息子達からプレゼントされ皆で一緒に植えた物だ。毎年実を付けるその木を眺めながら、家族と過ごした日々を思い出しては懐かしんでいた。

 そんな彼女が御年80歳となる今年、葡萄の木に異変が起こる。

「変だねぇ……どうしちゃったんだい」

 明らかに樹勢が落ち、葉が変色している。 

 もう植えてから何十年も経つ老木とはいえ、急激に枯れてゆくその木を、コミリアお婆ちゃんは心配そうに見つめていた。

「やあお婆ちゃん、調子はどうかな?」

「それが困ったのよ」

 近所の男に相談すると、男は「じつは……」と切り出した。

「ここ最近、虫の吸害が酷くてな。近年猛威を奮っている〝虫の魔王〟の仕業だって言われてんだ。植物だけじゃねえ、動物も人間だって血を吸われどんどん死んじまってんだ」

 男は葡萄の木を見上げた。

「この木にも物凄い量の吸害の跡が見える。奴等は吸うと同時に毒を出すからタチが悪い。まぁこればっかりは諦めるしかねえよ」

「そんな……」

 魔族の仕業ならば諦めるしかない。けれど何もしないまま、この大切な木を枯らしてしまうなんて耐えられないと、コミリアお婆ちゃんはある決心をした。

「わたくし、アルダンの町のカナメ様に会ってきます」

「アルダン?! よせやい! ここからどれだけ離れてると思ってるんだい」

 男の静止も聞かず、コミリアお婆ちゃんはアルダンを目指した。魔族との戦争で子供と夫を亡くした彼女にとって、あの葡萄の木は家族が残してくれた大切なもの――あの木も大切な家族だ。

「もう何も魔族なんかに渡したくないよ」

 荷馬車や冒険者達に助けてもらいながら、必死な思いでアルダンの町へと辿り着いた彼女。着ていた服は既にボロボロで、靴の先から血が滲んでいた。それでも彼女は自分の体に鞭打って、丸い岩へと向かった。

 お祈りするように、丸い岩の前で膝を突く。

「カナメ様。どうか、どうか悪い虫をやっつけてください。わたくしの大切な葡萄の木を助けてください」

 しばらくそうやって祈っていた彼女は、旅の疲れからかその場に倒れてしまう。町の人々が彼女を助け宿屋に運ぶその様を、エブリは玉座の前で眺めていた。


「虫は嫌じゃ」


 エブリは死んだような顔で肘をつく。
 
 魔王にも苦手な物はある。
 それはまずい料理、病院、虫である。

「木を治しても虫がいる限り意味がない。なら虫を叩くしかないが、ううううぎぎぎぎ」

 焦ったように髪を掻きむしるエブリ。
 ほどなくして執事服の老人に泣きついた。

「ど、ど、どうしよう。信仰のためには願いは叶えてやりたいが、虫は無理、無理じゃあ!」

 あうあうと泣き喚くエブリ。 
 老人はフゥとため息をひとつ。

「ならば私がどうにかしてきましょう」

「おおお!! じい、それは本当か!?」

「はい。では行って参ります」

 そう言い残し、老人は霧のように消えたのだった。


◇◇◇◇◇


 深く広い森の中、永遠と続く夜の世界に、序列第5位〝虫の魔王〟が統べる領地があった。

「魔王様。こちらが此度の生命水にございます」

「うむ、ご苦労」

 形容するなら巨大なカメムシ。それが序列第5位魔王、虫の魔王である。

 配下達が持ってきた極上の液体をくゆらせながら、虫の魔王は不気味に笑った。

「やはり我が軍は優秀だな。戦闘能力こそ低いがそれでいいのだ、こうやって無限に近い数を操ればどんな相手も一瞬にして干からびる」

 グラスに注がれたその液体をちゅうちゅうと吸いながら虫の魔王は再び笑った。

 そんな時だ――部屋の中に突如として〝大きな存在〟が現れたのは。

「な、何者だ!!」

 声を荒げる虫の魔王。

 敵か味方かは分からないが、魔力の総量は自分をはるかに上回っていた。虫の魔王は「第4位以上の魔王だろう」と予測する。なぜなら自分より強い存在など、それ以外ないのだから。

「ごきげんよう、虫の魔王」

「お、お前は!」

 虫の魔王は目の前に現れた老人に見覚えがあった。知っている、いや、見たことがある。魔族にこの者を知らぬ奴はいない。

「かつて魔族を統べた破壊の魔王の側近エドワール!! なぜ貴様が私の城に!!」

 ボガン!!! と、凄まじい音が響く。

 虫の魔王は頭を砕かれ、地面に体が埋まったことで、ようやく「自分が攻撃された」ことに気付いた。

「南の領地に手を出すな」

 冷淡な声が部屋に響く。

 自分の体から臭い匂いが発射される感覚と、老人の気配が消えたのを感じ、虫の魔王はそこで意識を失った。


◇◇◇◇◇


 コミリアお婆ちゃんが目を覚ますと、そこはアルダンの宿屋ではなく、自宅のベッドの上だった。

 彼女は「夢を見ていたのか」と思ったが、足先の痛みに視線を移すと、そこには確かに旅で負傷し、治療を受けた跡があることに気付く。

「どうして、どうして……? せっかくカナメ様に会いに行ったのに……」

 もはや彼女には再びアルダンに向かう気力も、体力も残っていなかった。だからせめて、葡萄の木が枯れ落ちるその瞬間を見届けようと庭に出た時、彼女は信じられない光景を目の当たりにした。

 そこには水々しい実をぶら下げ、青々とした葉が生い茂る、元気な姿の木があった。枯れた姿が嘘のようで、吸害の跡も塞がっていた。

 感極まって涙を浮かべるコミリアお婆ちゃん。彼女は木の前で祈るように膝をつく。

「カナメ様、ありがとうございます。わたくしの家族を救ってくださり、本当にありがとうございます」

 ザザァッと吹き抜ける風に揺れる葡萄の葉。今年も、来年も、ずっと先も、この木は大きな実を付けるだろう。エブリはそんな事を考えながら、戻ったエドワールに向き直った。

「じい、助かったぞ! お陰で信仰値が20も上がっちゃった!」

「おめでとうございます、魔王様」

「それにしても、いったいぜんたい何をしてきたんじゃ? 世界から虫を根絶したのか?」

「それに近いことです」

 エドワールは不敵な笑みを浮かべる。エブリは「ふぅん?」とつまらなそうに足をぶらぶらさせながら、青の炎を口の中へと放り込んだ。

「葡萄の香りがするようなしないような」

「気のせいにございます、魔王様」

「じいからカメムシの匂いがするようなしないような」

「気のせいにございます、魔王様」


 この日、魔界に激震が走った。

 第5位魔王と第6位魔王が協定を結んだという知らせが魔界中を駆け巡ったからだ。

 魔王は本来、己が魔界の唯一王であると志した強き者が成れる存在。手を取り合うなどあり得ないのだ。

 かつて魔界を支配した破壊の魔王を前に、他の魔王が協定を結んだ事はあった――しかし、過去の大戦を振り返ってみても、協定を結んだ前例は少ない。

「なぜ急に俺様と協定を?」

 そう言い、疑うような目を向けるのは、カバのような見た目を持つ序列第6位の〝獣の魔王〟。対する虫の魔王は復讐に燃える瞳で玉座を叩いた。

「南だ、南の領地を殲滅させるぞ!」

「南? 南にめぼしい領地なんてあったか?」

「うるさい! 南だ! 南南みなみみなみ!」

「なんでもいいけど興奮しないでくれ、臭くてたまらん」



◇◇◇◇◇



 町の冒険者、ノックは絶望していた。

 いつもは低級の魔物しかいないはずの森の中に、レギュルスを見つけたからだった。

(なんであんな化け物がこんな僻地に――!)

 レギュルスは危険度最上級に分類される魔物で、その姿は双頭の黒い熊である。

 左の頭は雷魔法を操り、右の頭は炎魔法を操る。顎の力はアルゴン鉱岩を軽く砕き、一瞬にして千里を駆けるとされる伝説上・・・の生き物だ。

 ばりんばりんと何かを齧るレギュルス。
 口元に見えるのは人の手と、耳。

 恐らく他の依頼を受けた冒険者が運悪く見つかったのだろう。そもそも彼自身、無事に帰れる保証はない。どれだけ足に自信があろうと見つかればそれでおしまいだ。

 ノックは首に下げていた物を強く握った。

「カナメ様、どうかお守りください……!」

 アルダン町民のほとんどが、丸い岩を模した小さなお守りを持っており、年に二度、カナメ様を崇めるお祭りを行なう際に、町民はこれを持ち寄って祈りを捧げるのである。

 冒険者ノックは、ガタガタと震えながらすがるようにして岩を握った。

 ――どれほどの時間が経ったのだろうか。

 永遠とも思える恐怖の中で、いつの間にか気を失っていたノックが目を覚ます。

「カナメ様が救ってくださったのか……?」

 そんな事を呟きながら、町の危機を知らせるためにノックは立ち上がる。がむしゃらに走り、森を抜けると、広い平原の先に栄えたアルダンの町が見えてきた――と同時に、彼は信じられない光景を目の当たりにした。

 地平線の彼方に現れた魔物の群れ、群れ、群れ。

 空には黒い雲のようになった虫の大群。地上には様々な獣型の魔物が並び、中には複数匹のレギュルスの姿も確認できた。

「た、大変だあッ……!」

 とても町の防衛網では守りきれない。そう確信するノックは、全速力で町へと戻ったのだった。



◇◇◇◇◇



 エドワールが何かに勘づき口を開く。

「町に魔族が攻め入る予兆があります」

 それを聞いたエブリの表情がたちまち曇った。

「どこの軍じゃ?」

「恐らく、第5位と第6位かと」

 虫と獣か――と、唸るように腕を組んだエブリは、しばらくしてニッと笑った。

「なにが目的か知らんが、妾の縄張りを狙うとはいい度胸じゃ。信仰を失うわけにはいかん――〝青炎の軍〟を出すぞ」



◇◇◇◇◇



 人々は絶望の淵に立たされていた。
 
 町を守るおよそ800人の兵士達は、眼前に迫る数万を超える魔物の群れに戦慄していた。

 それもただの魔物ではない。
 伝説級の魔獣や幻獣、人を最も殺した虫の大群――つまり魔王の軍が、迫っている。

「おお、カナメ様……我らをどうかお救いください……」

 人々は町の中心にある岩に祈った。
 いまや町の神として崇められる偉大な岩だ。

「今回ばかりはカナメ様にも無理じゃぁ」
「魔族は襲った町の人を残らず食うらしい」
「もはや逃げることもかなわん、諦めよう」

 すでに戦意を失っている者も多い。
 そんな中だった――

「か、カナメ様!」
「な、なんだアレは……!」

 岩が突如として青色の炎に包まれた。
 やがて炎はいくつもの人の形を成してゆく。

 一歩、踏み締めるたびに炎が鎧となる。
 一歩、踏み締めるたびに炎が武器となる。

 炎から生み出されし人型は、立派な甲冑を着た騎士の姿となり、町の外へ行進する。

「か、カナメ様が助けてくれるぞ……!」

 町の人々は涙を流し、炎の騎士達を見送った。

「な、なんだこいつらは!」

 地平線にひしめく魔族の軍勢に体を震わせていた兵士は、町から現れた騎士達を指差した。

 体に青色の炎を纏いしその騎士達は、町を囲うようにずらりと隊列を組む。

 凄まじい数である。
 およそ5000はいるだろう。

 青炎の軍――それは信仰の魔王の保持する唯一にして最強の軍隊。

 これらは実態を持たず、捧げられた信仰のみで形成された思念体であるが、その強さは〝信仰心〟と比例する。人々がその時に抱いていた悲しみ・喜び・恐れといった感情が、そのまま兵士の強さに直結する。

「小賢しい僻地の小娘が!」

 激昂する虫の魔王が合図を送り、魔王連合軍が侵攻を始める。対する青い炎の騎士達もまた、主人の号令によって進み出す。

『虫と獣は根絶じゃあ!!』

 アルダンの民が見守る中、魔王軍対魔王軍の戦争が始まった――しかしその戦争は、一刻と立たずして終結してしまう。

 圧倒的な戦力差でもって青炎の騎士達が魔族を退けたのだ。

「奴は何者だ!」
「序列7位の魔王らしい」
「なぜ序列7位がこれほどまでに強い!」
「虫、一旦退却だ!」

 尻尾を巻いて逃げる魔王連合軍。
 町民の割れんばかりの歓声が響いた。

 これは、のちに〝アルダンの奇跡〟として永劫歴史で語られることになる。そしてこのアルダンの奇跡が、カナメ様を信仰する人間が爆発的に増えていくキッカケとなったのだった。

 戦争中、信仰の魔王――

「おお! 見ろじい! 旦那の10股が発覚し怒り狂った宿屋のソフィアの炎が一番強いな。すでに一人で30の魔物を倒したぞ!」

「やはり女子おなごの恨みが一番恐ろしいのでしょうな」
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